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性暴力被害者が抱える自責感。”全ての人がマイノリティ”様々な心の傷を捉えた映画「一月の声に歓びを刻め」三島有紀子監督とディスカッション。

ソーシャルビジネスの構想をゴールに、社会課題を実践的に学ぶ青学エリックゼミ。12/07の授業では、『幼な子われらに生まれ』で知られる、モントリオール受賞監督の三島有紀子監督がいらっしゃいました。
三島有紀子監督ご自身が、ずっと向き合ってこられた過去の事件と心の傷をモチーフに制作された、2/9公開予定の「一月の声に歓びを刻め」。今回、特別に事前に映画を視聴し、監督とゼミ生でディスカッションをさせていただきました。

中央右が三島有紀子監督、中央左が松永エリック教授

性被害者の心の叫び・私が考える映画の意義

私にとっての映画を見る意義の一つは、「私の言動は、世間の”普通”が当てはまらない人に、”普通”を押し付けていないか?」と、前提を疑う一助になる点です。実際、様々な映画を通して他の立場を自分事化して考えることで、無意識のバイアスを持っていた自分に気が付くこともありました。
その点、皆さんは性暴力について、バイアスの無いフラットな視点を持っているという自信はありますか?

性暴力被害者が、その後の経過において受ける心理的社会的身体的ダメージのことを二次被害と言います。その中には、「どうして逃れられなかったんだろう」という自責感や、自分は汚れてしまったという感情、パートナーと性的な関係を持てないという行動の変化などの、様々な考え方と行動の変化が含まれます。
※その他、性暴力被害者の二次被害の例や原因については、アジア女性基金の以下のサイトが分かりやすくまとまっていると感じたので、是非読んでみてください。
https://www.awf.or.jp/pdf/0168.pdf
上記の、「被害者が罪悪感を持つこと」に対して、意外だったので驚いたと話してくれたゼミ生もいました。
このように、無知を知る機会や、自分のバイアスに気がつく機会が得られることは、映画や小説等のストーリーを見る意義の一つなのではないでしょうか。ストーリーを見ただけで性被害者の心の傷を完全に理解することはあり得ませんが、自分の無知やバイアスによって他者を傷つけてしまう可能性を少しでも減らす手段になるのではないかと考えています。

全ての人がマイノリティである

”マイノリティ”についてのディスカッションでは、様々な意見が出てきました。
「全ての人が、見る角度によってマイノリティになる」「所属するコミュニティを変えれば、マイノリティになったりマジョリティになったりする」「同じグループ内の会話でも、会話の流れが変われば、マイノリティは移り変わる」「それなのに、日本人はマイノリティになることを気にしすぎている。海外の人は、他人と違うことを誇りに思っているので、見習うべきだ」
ゼミ生から様々な意見が出てきて、どの意見にも共感しました。一方で、周囲の理解が得られない状況や、深いトラウマを抱えている状況では、マイノリティであることを誇りに思える事はないはずなので、難しい問題だと感じました。
その点、本映画全体では、身近な人の理解が得られない人や深いトラウマを抱えた人など、自分のユニークな点だと割り切って誇れる状況にいない人たちの、声にならない叫びが共鳴していました。更に、第二章には、その苦しい叫びを全て受け入れるような温かさがあるような気がして、観た人の声にならない叫びも、第二章に吸収されていくような感覚を覚えました(だいぶ抽象的な表現ですが、この感覚はこれ以上言語化せずに残したかった)。

第二章 東京・八丈島

心の傷

浅かれ深かれ、心の傷は誰もが抱えていて、その傷との付き合い方は自分のペースで・自分のやり方で良いと思っています。憐れんでもいいし、逃げてもいいし、心の奥にとりあえず閉まってもいいし、一人で戦ってもいいし、他人に助けを求めてもいいし、映画等のストーリーに助けを求めても良いと思っています。でも、個人的な意見としては、その選択肢を沢山持っている人は強い。傷を抱えながらも普段は普通に振舞っている人が、少し気持ちが下がったときに戻ってくることができる心の寄り場として、この映画は大きな力を発揮すると思っています。
他人の心の傷を自分事化し自分の”普通”を疑う手段として、そして、自分の心の傷に付き合っていくための一つの手段として、多くの人にこの映画が届きますように。

第三章 ⼤阪・堂島のワンシーン

2024年2月9日(金)公開「一月の声に歓びを刻め」
キャスト:前田敦子 カルーセル麻紀 哀川翔
脚本・監督:三島有紀子監督
公式HP https://ichikoe.com/

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