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私の証明

#創作大賞
#お仕事小説部門

prologue


常に最善を尽くしてきた。

そのはずだった。

ただ、今でも思うことがある。

あの時、あの選択は本当に正しかったのかと___。

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┏              ┓

私の証明


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[ mother and wife ]


コンコン、と入口の壁を叩く音がする。

「おはようございます。」

カーテンが開くと同時に、さわやかな笑顔で迎えてくれる男性。

ベッドの頭側をリモコンで起こしながら、「眩暈はないですか」と声をかける彼。優しい声が胸に沁みた。

彼は私の左手首の脈に触れながら、時計をみて数を数えた。

「大丈夫ですね」の一言は、私の心をほっと落ち着かせてくれました。

男性の胸元に付けられた名札に目をやると、彼の名前と職業が書かれている。

「作業…療法士?」

「あ、そうです、リハビリの。」

聞き慣れない職業だった。リハビリ、ということはわかるけれど、名前からは仕事の内容が想像しづらい不思議な名前だ。

車椅子に乗って部屋の外に出る。

廊下は中庭の窓から日が差して、まぶしかった。

「今日もいい天気ですね。」

他愛もない会話は、心を落ち着かせてくれる魔法のようだった。

「そうですね。」とありきたりな答えも、声を出すだけで気持ちが楽になる。

あの日、_______

当たり前のことが、当たり前にできなくなった。


⋯回想⋯

♪Happy birthdayの曲♪

「ふぅっ」
ロウソクが消えると同時に明かりが付く。

「おめでと~!!」
20歳を超える子供たちに囲まれて私は50回目の誕生日を迎えた。

「おめでとう、お母さん。」

結婚して30年が経つ。夫は変わらず優しかった。

「あと10年がんばったら、どこ行こうか。」

「え~あと10年も?今年どこか行きましょうよ。」

夫婦でそんな話をした矢先の出来事だった。

「あれ…?」

ぐにゃあ、と視界が歪み、世界が90度回転した。

脳梗塞。

右手と右足にしびれがでて、急に力が入らなくなった。

「おおうさん(お父さん)、おおうああん。。。」

「どうしたどうした。なんだ。しっかりしろ。」

お父さんも狼狽えているのがわかった。救急車を呼ぶときも、ここはどこだとか、住所がすぐに口から出なくて慌てふためていた。

意識はかろうじてあった。

ただ、夢か現実か、曖昧な状態がしばらく続いた。

「……さん、タカギさん。」

はっ、と目が覚めた。

車椅子に座って、立とうとする自分を自覚する。

ぼやけていた視界のピントが、徐々に合い始める。

目の前に居たのは、病院の人だろうか。制服を着た青年だった。

周りを見渡すと、白を基調とした部屋で、病院であることはすぐにわかった。

「タカギさん、ここがどこか、分かりますか?」

「病院……ですよね。」

「そうです。やっと繋がりましたね。」

繋がった、というのは意識のことだろう。

異世界転生の漫画やアニメが最近溢れているが、きっとこんな感じだ。

左手を動かす。グーパーの感覚が脳に戻ってくる。

右手は……あれ、どうやって動かしたらいいのかわからない。

右手をおそるおそる見ると、膝の上にだらんとソレは置いてあった。

「何これ」

ソレに左手を伸ばす。手のような形をしたソレを手指から触り、手首、前腕、肘、、、と辿っていく。

肩を触った時、ソレが自分の身体に付いていることがわかった。

何も、感じなかった。



━ Occupational Therapist
   作 業 療 法 士


「55歳女性、脳梗塞。高木りさ。血圧は…」

僕は病院で、作業療法士という仕事をしている。

「主婦か。子どもはもう大きいから問題ないとして、夫と二人暮らしになるね。おそらく、家事を全般に担っていたと思う。仕事は…」

病気を患って、障害を持つ人たちがいる。

僕はその人たちの____生きる力を取り戻す手伝いをしている。

「じゃあ、挨拶に行ってくる。」

ピッ。と電子開錠音を鳴らし、スタッフ用の階段を上った。

コンコンと二回ノックをする。

「おはようございます。」

カーテンを開けると、彼女と目が合った。

「作業療法士の工藤です。お名前と生年月日、お願いします。」

「タカギリサ、昭和よんじゅう…」

医療の現場では、患者の間違いがよく起こる。

リハビリをする時だけでなく、検査、服薬、点滴など何かをする度に本人確認をするのが基本だ。

「じゃあ、起こしていきますね。」

声をかけながら、ベッドのリモコンを操作する。
15度、30度と少しずつベッドの頭側が角度をつけて起き上がる。

「眩暈はないですか。」と確認すると「大丈夫です。」と頷いた。

彼女の手は、弛緩性麻痺だった。

弛緩性というのは、だらんと完全に脱力した状態を言い、脳からの信号はまったく手に届いていない状態を指す。

脳梗塞によって手足に向かう神経経路が遮断され、手足からの感覚も脳には届いていないようだった。

一般的に脳梗塞は発症から時間経過とともに麻痺の回復が期待できる。
この時期に適切なリハビリテーションを提供し、患者の回復を最大限に伸ばすことが僕たちの役割だ。

「何これ」

ようやく、彼女も自分の手の異変に気付いた。
いや、きっと膝の上にあるナニカには気づいていたのだろう。
そのナニカが、自分の手だってことに気づき、頭の中で処理できるまでに時間がかかったのだ。

「大変でしたね。」

「はい…。何もかもが急で。」


脳梗塞を患って、急に手足の力が出なくなると、身体全体の使い方が全く変わる。

重心は麻痺のある方に偏り、まっすぐ座っているつもりが、臀部からの感覚が乏しくなり左右を揃えようとするほど麻痺のある側へ崩れてしまう。

脳梗塞と言っても症状は多種多様なため一概には言えないが、高木さんも例外ではないようだった。


ー lost myself


不思議な感覚でした。

右手の位置にある”ソレ”は、私のモノとは思えなかった。

「動いて」と念じると、ピクッとかすかに指先が動いた。

でも先生がやってくれたからなのか、自分の力なのか自信は持てず、毎回のように動かせるわけではなく、脳の指令は行き当たりばったりの迷子のようで。

「そうですそうです。ほら、今動きました。」

指令が次第に道を覚えるかのように、手指に動きが伝わり始める。

「掴めましたね。ばっちりです。」

けれど、先生の励ましも虚しく、指令はまた迷子になる。その繰り返しだった。

毎日毎日リハビリは続く。
指令の通り道が現れたと思えば霧に包まれる。
朝目覚めるとすぐ、私は自分の右手を見る。グーパーを繰り返すと麻痺が何も無かったことのようにすんなりと動いた。「嗚呼よかった。やっぱり夢だったんだ。」と安堵とともに嬉しさがこみ上げてくる。

そして、本当の朝が来る。私の目尻から流れる涙だけは本物だった。

右手を見て、グーパーを繰り返す。

数回に一度、ピクッと反応する右手。

信じたくなかった。

この動かない手が、現実だなんて。

母として、妻として存在してきた私の価値。

こんな手じゃ、私に生きる意味なんて…。


━ Occupational Therapist
   作 業 療 法 士


僕が作業療法士になったきっかけは、父だった。

父は医療職でもなんでもないが、酒に酔うたび、オウムのように同じことを言っていた。

「いいか。世の中、外見だとか中身だとか言うが、もっと大事なもんがある。何だか知ってるか?」

「何それ。人は見た目が一番って聞いたことあるけど、違うの?」

気持ちよく答えてもらうために、いつも同じ返事をする。

まるで台本のある漫才のボケとツッコミのようだ。

僕は高校3年生になって、進路を決めかねていた。

父は仕事終わりに酒を飲むのが習慣で、二本目に差し掛かると、だいたい仕事の話をし始める。

そこで決まって言う文句があった。

「手に職を。」

小さい頃から耳にタコができるほど聞き飽きた言葉だった。
父は無資格のまま一般企業に勤めたものの、「石の上にも三年」ができずに職を転々とした。

その時に痛感したのだろう。
仕事の苦労を話す時には必ず、「資格があればもっと楽が出来たのに」と壊れたラジオのように繰り返した。

父のレールに乗りたかったわけでも、洗脳されたわけでもない(と思う)が、僕が選んだ仕事は「作業療法士」という国家資格を持つ医療職であった。


「ほら、俺が言ったとおりだ」と父が言うたび、握りしめた右手の中に反論したい気持ちを抑えた。

父の思い通りになったことは癪に障るが、僕はこの仕事を選んだことを後悔していない。

むしろ、この仕事に出会えたことに感謝している。

「そう、その調子です。」

高木さんの手を取り支えながら、そんな昔のことを思い出していた。

作業療法士は、患者さんの手を治すことが多いけれど、実際は手を治しているんじゃない。

手の治療を通して、彼ら、彼女たちの人生を支えている。

その事実が、この仕事でよかったと思える何よりの瞬間だ。

「先生!」

はっと目をやると、高木さんの右手がお手玉をしっかり掴んでいた。

「できた。できましたね高木さん!」

眉をしかめていた彼女の顔が、ふっと緩んだ。
「はい。」と短い返事の中に、数えきれないほどの感情が詰まっているように感じた。

勝負は――― ここからだ。


ー recover and discover


感覚を掴んでからは、面白いように回復が進んだ。

大きく軽いものから、小さく重いものが持てるように徐々に摘める種類も増えてきた。
スプーンを握るのがやっとだったのが、箸を使えるまでになった。

動かない手は、少しずつ使える手に変わってきていた。

ようやく自分の身体を取り戻してきた感覚。

短いようで長い道のりだった。

安堵と喜びが胸の奥からこみ上げてくる。

その時だった。もう一つの障壁を見つけてしまったのは。

ペンは持てるのに、字だけは上手く書けなかった。

形が出てこない、部首が崩れてしまう、脳の中にあったはずの漢字が霧の中に埋もれてしまった。

失書という症状らしい。ペンは持てるのに、書くことができなかった。

幸い、スマホやパソコンのキーボードでは関係なく書くことができたから、日常生活には支障はないと言っていい。でも、私にとって字が書けないことは、社会的に役に立たないことを示すステイグマ(聖痕)だった。

名前、ひらがな、漢字、小学校のドリルでなぞるように、何度も何度も練習した。
小学生の時のような吸収力はもうない。
脳は誤った形をわざと信号として送ってくる。
そんな自分が憎たらしかった。

悔しい。

どうして私が…。

私は文字を失った。

もう一度、私は文字を取り戻せるのだろうか。


━ Occupational Therapist
   作 業 療 法 士


失書とは、高次脳機能障害に含まれる一種の症状である。

高次と呼ばれるのは、複数の情報を統合して処理するからであって、「書く」ためには字の情報を記憶貯蔵庫から引き出し、それを視覚的なイメージとして創り上げ、文字を書くために手指を動かす、といった動作を同時処理している。

正常であれば何てことのない作業だが、一度損傷を受けた脳にとってはオーバーフロー(過剰負荷)を引き起こすほどに難しいのだ。

私たちは子供のころから成長とともに効率よく脳の処理を自動化している。しかし一部が損傷を受けると、新たな道を開拓するしかなく、処理の自動化は破綻し、ルートを再探索して意識的に道順を学習するしかない。

現代でもブラックボックス(解明されていない部分)が多い脳の再学習は、不可能ではないにしても困難を極めることは間違いない。

この困難をともに乗り越える手伝いをすることが、僕たちの仕事だ。


失書の治療に有効と言われる手段はいくつかある。

「書を失う」わけだが、闇雲に書く練習をしているだけではほとんど改善は見込めない。
なぜか。
書くための順路が整わないからだ。


繰り返しになるが、書くためには①文字の情報を記憶から取り出し、②文字の形、書き順が視覚的にイメージとなって浮かばせ、③手指を動かして初めて字として書くことができる。

なぜ書く練習が意味をなさないかと言うと、闇雲に書いても失敗ばかりを積み重ね、字の情報が正されないままにエラーを学習してしまうからだ。

壊れたラジオのようにノイズを繰り返すだけになる。

だから、書く練習だけでなく、読む練習や図形パズルのような視覚的な認知を鍛える練習も必要になる。

それだけ、「書く」ことは複雑なのだ。

「高木さん、まずは自分の名前から始めましょう。」

「はい。お願いします。」


失われた文字とともに、母として妻としての役割を取り戻す。

これが、作業療法士の仕事だ。


[ art and proof ]


作業療法をしていると、一瞬一瞬が選択の連続だ。

今でも時々思い返すことがある。

あの時、あなたと過ごした時間は本当にあれでよかったのだろうかと。

机の一番上の引き出しにある手のひらサイズの巾着袋。
僕はそれを手に取り、紐を緩めて中身を取り出した。
木でできた円柱状のソレを握り締めて、僕はつぶやく。


教えてください。本当に。よかったんですか。


━ Occupational Therapist
   作 業 療 法 士


相葉さやか、32歳、女性、脊髄小脳変性症。

僕の手元には無機質な情報が載った処方箋。

いつもの光景だ。

病気で入院した患者さんがリハビリテーションを受けるには、医師からの処方が必要になる。
薬や注射と同じように、リハビリテーションも立派な治療だ。
僕たちはその処方箋をもとに、リハビリのプログラムを立案していく。

僕は作業療法士という資格を持つ。一般的にリハビリテーションには理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の3つの資格がある。
それぞれに違う特色があって、端的に言うと理学療法士は運動の専門家、作業療法士は生活の専門家、言語聴覚士は言語の専門家だ。

僕は処方箋を手に、電子カルテの入ったパソコンを開く。

患者がなぜ入院に至ったのか、どんな治療をしているのか、患者が経験してきたことが様々な職種の視点でカルテに書かれている。
僕はそのカルテから、患者の経験を想像する。病名宣告、治療に関する説明。医療者にとってはありふれた流れ作業でも、患者にとっては一生に一度の大イベントなんだと。

病室のドアはほとんどが開きっぱなしだ。
プライバシーの問題はごもっともだが、ドアを閉め切っていると中の音が聞こえにくく、転倒などの異変に察知しにくいからだ。

患者の部屋の前に着く。
部屋の名前と、処方箋の名前を確認する。
さまざまな状態を脳内で想定して、深呼吸をする。
「よし。」と心の中で呟く。

白を基調とした病室の中、彼女はベッドの上に横たわっていた。

壁を2回ノックすると、彼女はこちらに目を向けた。

「リハビリです。宜しくお願いします。」
アイコンタクトに彼女はにっこりと笑った。
「お願いします。」と発したその声は、小さくかすれていた。

彼女の病気は、難病だった。
脊髄小脳変性症という名の進行性の神経難病。
歩く時にふらついたり、手が震える、ろれつが回りにくくなる等の症状が現れる神経の病気。動かすことは出来るのに、力の調整が効かずに上手に動かすことが出来ない。後頭部の下側にある小脳の細胞が変性するために起こる症状で、運動の調整が効かない状態のことを運動失調症状と呼ぶ。
すべての症状が教科書通りに出るわけではないけれど、彼女も例外はなく該当する症状があった。


「難病って、本当に治らないんですよね?」

笑って返せばいいのか、深刻な顔で頷けばいいのか、いつも迷ってラグが生じてしまう。
「うーん、そうですねぇ」と当たり障りなく、悩んでいるふりをする。
彼女が何を求めているのか、表情を見逃すまいと観察をした。

すると目尻が下がり、
「やっぱり、そうなんですね」と選ばれた言葉とは裏腹に、彼女はにっこりと笑った。

あの笑顔の裏の苦しみは、僕の想像できる範疇にはなかった。


━ can't see the future


カチッ。PCからマウスのクリック音が鳴り響いた。

難病とは
治療が困難で、慢性的経過をたどり、本人・家族の経済的・身体的・精神的負担が大きい疾患

厚生労働省 難病とは

よくあるドラマや漫画なら、奇跡的な治療方法が見つかって、ハッピーエンドの兆しが見えるでしょう。
誰しもが奇跡を求め、祈り、地獄のような現実(リアル)から目を覚ます夢を見ます。
でも、残念ながら現実はそうじゃありませんでした。

「おはようございます。今日も頑張りましょう。」

カーテンが開くと、リハビリの先生がアイコンタクトと同時に挨拶をしてくれる。
爽やかな笑顔で、やりたくない陰鬱な気持ちを振り払ってくれる。
気づけば先生の思うがまま、私はリハビリの準備を始める。

先生は親切で、今の身体の状況を踏まえながら、動きやすい方法を提案してくれる。言ったとおりにやってみると、さっきまでびくともしなかった自分の身体が、羽根のように軽くなる。というのは言い過ぎだけど、消費税分くらいは軽くなるから、今の私は税抜きだ。

ただ、時に私を現実に引きずり戻すのもリハビリの先生。

「では、目標をどうしましょうか。」

きっと千人居たら千人に聞くテンプレートなのだろう。
でも私にとっては、苦痛以外の何物でもなかった。

未来(さき)のことを考えると、憂鬱になる。

5年先、10年先、自分は本当に動けているのだろうか。

誰かの迷惑になっていないだろうか。

生きていて、いいのだろうか。

そんな思いが鎖になって、身体を締め付ける。

「何を目標にしたら、いいんですか?」

やっと出た一言。
先の見えないトンネルに居る私には、どうしたらいいかわからなかった。

「じゃあ、一緒に考えましょう。」

先生の声は、落ち着いていた。
絵カードを取り出し、一つ一つ、見せてくる。
身の回りのことや、趣味のこと、様々な活動をイラストにまとめたものだ。
「これは?やりたいと思いますか?興味はありますか?」
活動の断捨離のように、自分の興味が整理されていく。
自分にとって必要なことは何か。大事なことは何か。

人生であまり考えられてこなかった自分の内側と、初めて向き合っている。

「これ…!!!」

”家族との対話”を表すイラストだった。

家族と話したい。
当たり前のことだけど、病気になってからも私は笑顔を振りまいてばかりで、本当の気持ちを話せていなかった。
そのイラストに手をかけたとき、自分の気持ちに改めて気づいた。

「これです。これが一番です。」

イラストを選んだだけでは、目標を決めたことにはならない。
「やりたい」と選んだカードを集めて、私の生活の中に取り入れていこうと先生は考えをまとめていた。

「こんなのどうです?」

「この活動はここで、これは毎日ではなく、休日の時に家族と…。」

先生の提案は私の生活にすっと入った。
先を見ることが、帰ることが楽しみになった。

「ありがとうございます。」

私は病気になって初めて、うれし涙を流した。


━ go home


「退院おめでとうございます。」

2か月間の入院とリハビリを終えて、彼女が退院する。
一緒に考えた理想の生活に近づけるように、1日1日、できることはやってき
た。
彼女の部屋を訪室すると、花柄のブラウスとロングスカートを履いた女性がベッド横の車椅子に座っていた。

普段は病衣やパジャマ姿しか見ないから、私服姿は見違えるようだ。

こうして私服姿を見ると、病人ではなく、普通の人なんだと改めて気づかされる。

「先生、じゃあまた。」

「また来られても困ります。定期的な診察には来てほしいですけどね。」

車椅子を押す旦那さんの背中を見送りながら、少しでも長い間、在宅生活が送れるようにと祈った。

次に会う時はもっと、つらい時期になるだろうから。

そんな思いを胸にしまって、僕は現実から目を逸らすように彼女に背を向けた。


━ lost controller


「ご飯できたぞ~」

夫の声がする。
目は開いている。声も聞こえる。
だけど、身体が動いてくれない。

手すりを掴もうと右手を動かすと、右手は暴れまわり、思うように手を伸ばしてくれなかった。何度か手すりを行き過ぎ、ぶつかるようにしてやっと手すりを掴んだ。次は身体を起こそうとするが、背もたれから離れた途端にメトロノームのように左右に振られる身体。足の位置も決まらず、立とうとしても足に力が入らない。

この病気は、ゲームで言うコントローラーがない。
上下右左の十字キーを押せば、壁にぶつかるまで止まらない氷の床のように力加減がコントロールできない。
アタマではわかっているはずなのに、私の脳は身体の指揮権を放棄した。

幾度となく手足のコントロールを練習してきたけれど、スムーズな動作とは程遠く、筋力をフルに使って強張らせ、ブレーキをかけながら動かすことでスピードをコントロールしていた。
一つ一つの動作が全力だから、効率なんてものはない。
一度これを使えば、1時間は休みたくなるような労力がかかる。

「大丈夫か?あぁ…動けないのか。」

夫は脇の下に手を入れ、身体を立たせるように持ち上げてくれた。
その手助けが一つのスイッチとなり、やっとの思いで足に力が伝わる。

誰か、私の身体のコントローラーを作ってよ。

夫の肩をつかみながら、ブリキ仕掛けの人形のようにカクカクと歩く。

リビングの椅子にたどり着くころには、夫の肩に爪痕がついていた。
私は愛する人さえも、優しく触れることができなくなっていた。

「ごめんね。痛かったでしょ。」

「いや。ぜんぜん。ご飯食べよう。」

その言葉に大粒の涙がこぼれた。

こんな私と一緒になってくれて、ありがとう。ごめんね。


止まらない涙とともに、少し昔のことを思い出した。

夫が私にプロポーズをした時のこと。

彼と私は、美術館を巡るのが共通の趣味だった。
お互いに特に詳しいわけでもないけれど、どこかの誰かが何かを伝えたいのだろうという思いを作品に込めていて、それを二人であーでもないこーでもないと憶測を話し合う時間がたまらなく好きだった。

美術館に併設されたカフェで、私たちはデザートセットを頼んだ。
たくさんあるメニューの中から、私たちは必ず同じメニューを頼んだ。
二人なら、別々のものを頼んでシェアをするカップルもいるだろう。
でも、私たちは空間と時間と味覚と、全部シェアしたかった。
同じチーズケーキを同じ方向からフォークを入れて、同じタイミングで口に運ぶ。

「ん~おいしい。」
「うんこれは、おいしい。」

美術評論家でも、美食研究家でもない私たちに語彙はない。
ただただ、二人で美味しいと言い合うだけで、幸せはどこの誰にも負けなかった。

そんな時だ。
彼の視線が泳ぎ、落ち着きがなく見えた。

「どうか、した?」
彼の動揺は分かりやすい。あまり感情が出る方ではない人だと思うけれど、私からしたら信号よりも分かりやすかった。
ジャケットの内ポケットに何か隠している。そっか、今日は。

「もしかして、今日って特別な日?」
彼はこくりとうなずき、内ポケットから箱を取り出した。

「ずっと一緒に居てくれないか。」

まっすぐなプロポーズだった。
私は照れて顔を真っ赤にしたことを覚えている。

そうだ。彼との時間、空間、そして味覚を一緒にできることが何よりの幸せだったんだ。

リビングで泣きながらご飯を食べる私をみて、夫も泣きながらご飯を食べていた。

ああ。幸せだ。


━ secret time


14時から17時の3時間。

夫は疲れをリセットするため、昼寝をする時間だ。

私のことで、たくさんの迷惑をかけた。
家事をするだけでも大変なことなのに、私の身体を拭いたり、トイレのたびに付いてきて転ばないように手助けをしてくれたり。
私たちは一般的に言えば仲のいい夫婦だと思う。夫は優しいし、お互いを敬う気持ちだって忘れない。

でも。

”家族と話したい”

この目標は、まったくと言っていいほど、進んでいなかった。

「ねー、あれとってくれるー?」
「おー。わかった今行くー。」

夫婦の会話はこんなものだ。
長年の付き合いで分かりすぎる二人だからこそ、面と向かって話すことはそれほど多くない。
何か特別なことを伝えたいわけではないけれど、伝えられなかったら後悔しそう。そんな思いを抱えながら、時計の時間をみる。

カチ。

デジタルの電波時計が14:00を表示した。
30分前に身体が動きやすくなる薬を飲んだおかげで、身体は軽くなっていた。ベッドから起き上がり、使い古した机の上に、ノートとペンを出す。

もう2冊目になる。毎日この時間になると、言いたいことをノートに書きなぐっていた。誰に対してでもないただの愚痴もあれば、夫への気持ちを書き連ねたこともある。

でも、この時間にしていることは秘密で。
このノートには、自分の名前を一切書き入れなかった。
夫はこの下手くそな字を見れば、きっと私のだとわかるだろう。

でも、私は私であることを、証明する気にはならなかった。


作品に向かいながら、私は何を伝えたいのかと自問自答した。

あの時、夫と散々話した憶測みたいに、私の作品を誰かが何かを思って話してくれることなんてあるのかな。

作者の私がどんな人で、どんな心境で、どんなことを伝えたくて作品を作ったなんて、本当に理解できるのだろうか。普通は無理だ。

でもきっと。

誰に伝わるか、どう伝わるかなんて、二の次なのだろう。
創りたいから創る。思うままに創る。
きっと芸術なんてそんなものだ。
誤解が誤解を生んで、誤解を呼んで、誤解のまま誤解されて、気づけばすごい!なんて言われるのだろう。
少しだけ虚しいけれど、この世界は誤解だらけで出来ていると思うと、何だか気が楽になった。

私はありのまま、無心で作品を創り続けた。


━ Occupational Therapist
   作 業 療 法 士


会いたくはなかった。

でも、いつかこの時が来ることはわかっていた。

処方箋の一覧に、昔みた名前を見つけてしまった。

4年前にみた、脊髄小脳変性症の彼女の名前だ。

長い期間、在宅でよく頑張ってこられましたねと称賛をあげたかった。
でも、病室の彼女は人工呼吸器につながれ、それどころじゃなかった。

(ピリリリリリ、ピリリリリリ)
人工呼吸器のアラーム音が部屋に鳴り響く。
呼吸に合わせて空気が送り込まれ、マスクの脇からぶぉぉ、と空気が漏れる音がする。そこに遅れて呼吸器のアラーム音が鳴り、下手なオーケストラは耳に不快でしかない。
僕が部屋を訪れようとすると、ちょうど看護師が部屋から出てくるところだった。
「お疲れ様です。状態はどうでしたか?」
「Vital sign(バイタルサイン)は落ち着いています。意識もありますし、自発呼吸も増えてきているのでもう少しで呼吸器は外れるかと。」

部屋には、人工呼吸器や点滴につながれてベッドに横たわる彼女がいた。
顔を覗き、「アイバさん」と声をかけると彼女と目が合った。
人工呼吸器とつながった透明なマスクで口を覆われていて、声にはならない。
「話さなくて大丈夫ですよ」と手でOKサインを作り、もう片方の手で胸の上に手を当て、呼吸を助けた。今は少しでも安静にして身体の負担を減らすこと、そして二次的な問題を作らないために「廃用症候群」と「褥創」の予防をすることが今のやるべきことだ。

廃用症候群(はいようしょうこうぐん)
説明
 廃用症候群とは過度に安静にすることや、活動性が低下したことによる身体に生じた様々な状態をさします。
 ベッドで長期に安静にした場合には、疾患の経過の裏で生理的な変化として以下の「廃用症候群の症状の種類」に示すような症状が起こり得ます。病気になれば、安静にして、寝ていることがごく自然な行動ですが、このことを長く続けると、廃用症候群を引き起こしてしまいます。

健康長寿ネット

褥瘡(じょくそう)
説明
 褥瘡とは、寝たきりなどによって、体重で圧迫されている場所の血流が悪くなったり滞ることで、皮膚の一部が赤い色味をおびたり、ただれたり、傷ができてしまうことです。一般的に「床ずれ」ともいわれています。

日本褥瘡学会

つまり、医師が行う治療を妨げず、そして身体に生じる二次的な悪影響を最小限にすることが、僕たち医療者にできる最善だ。

時間の合間に部屋を訪れ、身体の向きやベッドとの接触面の圧を見ながら、その都度身体の位置を調整した。圧が一ヶ所に高い時、それは本人の寝やすさにもつながり、決して安楽な状態ではない。寝ることしかできないのに、つらい姿勢で居続けなければいけないなんて、地獄のような時間なはずだ。少しでもつらくないようにと、こまめに身体とクッションの位置を入れ替えながら、楽な姿勢を探す。地味にみえる作業だが、身体を動かせない患者にとっては文字通り救いの手になる。

決まった時間にベッドから身体を起こし、車椅子に座ってもらう。身体の弱った病人にとっては、重力に抗して起きること自体が身体にとって大きな意味を持つ。通常、寝ている状態から身体を起こすと脳や上半身にある血液は重力の影響で下に落ちていくが、人間の身体は重力の変化や血圧変化をいち早く察知し、血管を収縮させて血液が通る場所を狭くすることで血圧が急激に下がらないように調整している。寝ている時間が長くなればなるほど、この調整機能の反応が遅れ、いわゆる立ちくらみが起きやすくなるのだ。これを治すには、重力に抗する活動を徐々に増やし、調整機能を取り戻していくしかない。

「先生、、、お久しぶりです。」

人工呼吸器が外れて話せるようになったのは、入院して5日目のことだ。

車椅子に乗れるようになったものの、数分も経つと血圧が下がってしまい、体力的にもギリギリだった。

「先生に、見て欲しいものがあるんです。」

秘密の時間の話を、彼女は話してくれた。
でも最近はもう名前すらもまともに書けなくなってしまったと。

あの秘密の時間には、日記だけでなくさまざまな作品作りもしていたようだ。

10日目にしてようやく、車椅子に乗って1時間程度の活動ができるようになった。

車椅子でリハビリの部屋に連れてこられたアイバさんは、何をするでもなく、にこにこしながら皆がリハビリに励む姿を傍観していた。

「今日は何をやりましょうか?」

リハビリのプログラムを決めるのが仕事でもあるのだが、僕はご本人の意向を汲みたいがために、いつもこの質問をする。

やらなければいけない訓練を与えるよりも、やりたいを引き出すことが僕にとっては大切だと考えているからだ。

「ここに居るだけで、私は頑張っているのよ。」

彼女の言葉にハッとさせられる。
何かをしていないと居られないのは、それを退屈に感じている人だけだ。
彼女は車椅子に座っているだけでも大変なのだ。
傍目には座っているだけに見えるかもしれないが、体力のない彼女にとっては、100m走を走る速度でフルマラソンをするくらいのツラい運動になる。

余裕なんて、あるわけないのだ。

「こんなの、私の手じゃない!!」

隣に座るおばあちゃんが、声を荒らげた。

周りがコンマ数秒静かになり、視線がひとつに集まったことがわかる。

よくある風景だが、いつ見ても人が声を荒らげる姿は気持ちのいいものでは無い。

感情が不安定なこともあって、隣のおばあちゃんは長居せず車椅子のまま病室に戻った。

「……私は、字も書けないのに。」

ボソッと小さな声で呟いたその言葉は、僕の胸の奥を突き刺した。

俺は、彼女に何ができるのだろう。

失われた身体の機能は、そのほとんどが病気の進行によるものだ。進行は止められないし、出来ても進行の速度を少しだけ緩やかにするくらい。

そこに大きな意味を見いだせるかと聞かれても、答えを見つけることはできなかった。


━ make my name


ちょうど、ほかの患者さんが持ってきた棒状の木材があった。

直径は3cmで、程よい長さに切れば大きめのハンコになりそうだ。

7-8cmの長さになるようにノコギリで切る。

彼女は言った。
「字も書けない、、、」

短い一言に、彼女の想いが込められていたような気がした。

彼女の手はもう字を書くことはおろか、細かいものをつまむことすらできず、グーパーをするのがやっとだった。

考えた。

彼女の身体で、どうしたら想いを叶えてあげられるのか。

障害によって足りない力を補うには、道具が必要だ。

きっと道具があっても、一人ですべてを成し遂げることは難しいけれど。

自分でやる割合が、1%上がるくらいの小さなことかもしれない。

何%を自分でやれば、自分でやったことになるのかなんてわからないけれど。

僕にできることは、彼女の持てる力を少しでも多く引き出してあげることだ。

______そのための、ハンコだった。

彼女は不思議そうに僕の顔を覗いた。

「先生、何をしているの?」

車椅子の上で、周りを眺めることしかできない彼女。

することがないのではない。

できることが、ないのだ。

「前に、作品のこと教えてくれたじゃないですか。」

「ああ、秘密の時間の、ね。」

部屋に置かれた作品たちを思い出すように、彼女は目を閉じる。

「その作品たちに、アイバさんのサインでもあったら価値が出ると思うんですよ。」

「価値?そんな、私なんかの作品に価値なんか出ませんよ。」

僕は切った円柱状の木材を手に取り、彼女に見せる。

彼女は目を丸くして、「何んですかそれ…?」と首を傾げた。

「ハンコです。アイバさん専用の。」

僕は彼女に説明した。
サインの形、表記、カタカナにするかアルファベットにするか。
何種類か書いてみて、気に入ったものを木材にトレースし、それを彫った。

二人で、一つのものを創る時間。

僕が彫り作業に入ると、彼女はニコニコしながら待っていた。

1時間にも満たない時間だった。

「できた。」

出来立てのハンコに、朱肉を付けて白い紙に置く。

「押してみてください。」

彼女のか細い手が、ハンコの真上に置かれる。
もう片方の手を上から重ねて、体重を乗せるように前かがみになる。

「OK。いいですよ。」

身体を車椅子に戻し、姿勢を整える。

僕はハンコをゆっくりと紙から離した。


「 iba 」

「Aは無くてよかったんですか?」
「いいのいいの。iだけで、アイって読むでしょ。」
「なるほど。アーティストですね。」
「ほらみて。bとaもさ、こう書くと手を繋いでいるみたいじゃない?」


よし。と私たちは手を取り握手をした。

少しインクの付きが悪いところを修正するため、少しだけ預かることにした。

「ではまた明日。」

そう言って、部屋に戻った。

彼女の想いが形になった瞬間だった。


━ the end is sudden


朝方、看護師が訪室すると、息をしていなかったらしい。

まるで寝ているようだったと。

その知らせを聞いた僕は現実を受け入れられず、何度も何度もカルテを見直した。

僕は何てことをしてしまったんだろう。
死ぬ直前の日に、こんなハンコ作りなんて場違いなことをして。

最後の時間が、あれでよかったのか。
もっと何か、できることはあったんじゃないか。

考えれば考えるほど、心は沈んでいった。

家族にも合わせる顔はなく、ハンコも渡せずに机の奥に隠すように仕舞った。

バカだ。

まだまだ先のことだと思った。

もう一度家に帰って、もう一度家族と過ごす時間を作ることができると思っていた。

…甘かった。

希望的観測だった。

願望だった。

医療者なら、あらゆる可能性を考えて動くべきだろ。

俺はしばらく、自分の無力さを責めた。

病室から、白い布がかかったベッドが運び出される。
旦那さんが僕の方をみて深く会釈をした。

机の中の、あのハンコを渡すべきか悩んだ。

気づけば彼女と旦那さんは下の階に下りたようだ。

後悔する時間はなかった。

机の奥にあった巾着袋を握りしめ、階段を駆け下りた。

1階にある霊安室で、最後のお別れをする。

旦那さんに、すべてを伝えよう。

彼女が最後のリハビリで、何をしたのか。

どんな時間を過ごしていたのかを。

霊安室の前に着いた。

ノックをする。

扉を開けると、旦那さんが彼女の写真を両手に抱えて座っていた。

乱れた呼吸を抑えて、「すみません」と声を絞り出す。

「最後のリハビリを担当した者です。旦那さんには伝えておきたくて。」

「わざわざ、ありがとうございます。ぜひ教えてください。」
旦那さんは柔らかな表情で、僕の言葉を待った。

「昨日は調子がよくって、車椅子に乗れました。リハビリの部屋に来て、いつものようにみんなのリハビリを眺めながら、ニコニコ過ごしていました。」

「あぁ、彼女らしい。」

「いつしか奥さんは言っていました。旦那さんに秘密の、作品たちが部屋で眠っているって。」

「作品たちは彼女が生きた証です。ずっと知っていました。」

旦那さんは気づいていたようだ。彼女が生き生きと作業することが嬉しくて、気づかないふりをしていた。

「その作品たちには、一つもサインを書かなかったそうです。」
「はい。たしかに。」

そして僕は、巾着袋を旦那さんに渡した。

「これは…。何ですか。」

「ハンコです。最後の日に、僕と奥さんで一緒に作りました。」

胸を張って言えなかった。でも、後ろめたさを出してもいけないと思った。

「…ありがとうございます。そうですか。もう名前は書けないだろうと思って、私も諦めていたのです。何度か、名前が書けないかと家で確認したのですけどね。そうか、そんな手があったのですね。ハンコか…。」

僕は医療者だ。

感情的になることはない。

ただ、この時だけは、目の前の視界がにじんでいた。

「奥さんは言っていました。旦那さんと美術館を巡るのが好きだったと。」
「あぁ…。そうです。」
「あの日のことを思い出しながら、誰かが自分の作品を見て、あーでもないこーでもないと話す人が居てくれたらいいなと。」
「そんなことを。そうですか。」

止まらなかった。自分の後ろめたさじゃなく、彼女が伝えようとした思いをすべて伝えなければ後悔すると思った。

「旦那さんと二人で手を取り合えば、ハンコなら彼女も押せる可能性があると思って。…すいません。最後の日に、こんなことで時間を使ってしまって。」
「先生、少し聞いてもいいですか?」
「AibaのAが抜けている気がするのですが。」

「Aは無くてよかったんですか?」
「いいのいいの。iだけで、アイって読むでしょ。」
「なるほど。アーティストですね。」
「ほらみて。bとaもさ、こう書くと手を繋いでいるみたいじゃない?」

彼女の言葉を思い返しながら、丁寧に旦那さんに一字一句伝えた。

「彼女らしい。ずっと考えていたのでしょうね。個展を開いたら、この名前にすることを。」

僕は歯を食いしばった。涙がこぼれ落ちないように。
自分が選択した「ハンコ作り」が本当に正しかったのか、良かったのかと不安だった。だけど、旦那さんと言葉を交わすことで自分の選択に正当性が持てた。

「渡せて、良かったです。」

旦那さんは優しく微笑んだ。

「彼女も、笑っていたでしょ。」

ハンコが出来たときの、二人で握手した時を思い出す。

「はい。それはもう。」

「あなたのおかげです。彼女が最後まで笑っていられたのは。彼女の名を、この世にしっかりと残したでのすから。ハンコに思いを込めて。」

もう、声にはならなかった。

僕は頭を深く下げた。

旦那さんが去った後も、しばらく顔は上げられなかった。


[ i scream ]


私は叫べなかった。

あの事故を起こした日も。

手が治らないと言われたあの日も。


━ Occupational Therapist
   作 業 療 法 士


「はい、今からですか?」

整形外科医からの連絡だった。

外来のリハビリをしてほしい人がいると。

20代の女性。工場での勤務中に、誤ってプレスに手を挟み込んでしまったらしい。いくつかの病院で診てもらったが、痛みは消えず、仕事をしながら通える当院を紹介されたらしい。

氷川めぐみ。前髪は目が隠れるくらいに長く、大人しそうな印象を受けた。

「氷川さんですね、宜しくお願いします。」

テーブルの一角に二つ折りにしたバスタオルを敷き、その前の椅子に誘導する。バスタオルを敷くのは、テーブルに直に手を置いてしまうとテーブルは冷たく固いため、無意識に力が入ってしまうからだ。

「今、痛いところはありますか?」
テンプレート通りの問診を始める。
痛みの強さ、部位、種類などを聞いていき、痛みの原因や対処方法を探るのが僕たちの仕事だ。
手を触り、関節に痛みが出ているのか、筋や腱に痛みが出ているのか、はたまた皮膚なのかを探っていく。

「あ、そこ痛いです。」
テンションを変えずにボソッと出た一言。
「ここですね。我慢できない痛みが10だとして、今この動きで痛みはどれくらいですか?」
「8くらいですね。」
「えっ?めちゃくちゃ痛いじゃないですか。」
「…はい。」

顔色変えずに淡々と言う姿に違和感を覚えた。
痛みの数字を大げさに言っているのかとも思ったが、嘘をつくようにも思えない。他の人よりも痛覚が過敏なタイプかとも思ったが、他の部位で過剰反応はみられない。
いくつかの病院を受診する患者の中には「ドクター・ショッピング」と呼ばれる人もいる。ウインドウショッピングのように病院を転々とし、気に入った医師を探す行為のことで、特に難治性の症状を有する患者に多いという。

そんなことが脳裏をよぎりながらも、目の前の彼女がいたずらに症状を操作しているようには見えなかった。

結論から言えば、これまで複数の医師が付けてきた診断と問診の結果は一致しなかった。

手には明らかに神経障害があり、筋力低下の四文字では説明しきれない症状を抱えていた。しかし、これまでの診断と検査結果からは「神経に断裂や損傷はみられない」と結論付けられていた。

医師の指示の下で働く僕たちにとって、医師の結論を疑うことはタブーだ。
ただ、医師が全能の神ではない。
それと同時に、自分が見たこと、考えたことがすべて正しいとも思わない。

だから、これまでの経緯を踏まえ、彼女がどんな思いでここに来たのかを想像した。
医師の診断に不信感を抱き、どうしたら治るのかと不安を抱え、最後のクモの糸を掴むかのように僕の前に座っている。

「大変でしたね。」

ありきたりだけれど、僕にはその言葉しか出てこなかった。

わかったふりも、安心させるための方便をつく勇気もなかった。

ただただ、彼女の実に起きた出来事を、自分事のように受け止めた。

「何とか、宜しくお願いします。」

か細い声で彼女は言った。

単調な、感情が抑え込まれた一言だった。
だけれど、僕にはそれが叫びに聞こえたんだ。


━ hope


この病院が、最後の希望だった。

私は変に楽観的で、「なるようになる」と思いながら生きてきた。
自分のことに無責任という見方もできるかもしれない。
あまり深く考えたことがなかった。

事故当時はものすごい痛みだった。
けれど、安静にしていれば「何とかなる」だろうし、病院に行けば「何とかなる」と思っていた。
家に帰って数日様子を見たけれど、「何ともならなくて」とうとう病院を受診した。

「なんでこんなになるまで放っておいたんだ」
「早く来ないからこんなことに」

散々な言われようだった。
私は手を怪我したから病院に行ったのに、心まで怪我を負った気分になった。だけど、こんなにも騒いだにもかかわらず、治療は痛み止めを飲んで様子を見ることだけだった。ふざけるな。

心の中の私が悪態をついた。

親にこのことを愚痴ったら、病院を変えることを勧められた。

でも、どこに行っても
「紹介状がないと」
「最初の病院でこう言われていますから」
「診断に間違いはなさそうですね」
と診察代がかさむばかりで、結論は何も変わらなかった。

もう、治らない。

そんな諦めの言葉が、私の心のほとんどを黒く蝕んでいた。


同じ県内にある病院で、手の怪我ではひと際有名なところを紹介された。

勤務中に起きた事故だったから、職場では労災として扱われた。
私は工場での勤務が難しいと判断され、事務の経理課に異動した。

事務仕事のほとんどは在宅で行うよう指示が出ていた。
ちょうど感染症対策で出勤するスタッフを必要最小限にしていたから、私は専ら自宅で仕事をした。決まった会議には出席するけれど、それ以外は自由にできた。だから、リハビリの時間を上司に報告すれば、その時間は勤務扱いで受診することができる。

この手を治すためなら。

その思いを胸に診察室に入る。

「検査の結果は、前院で調べられた通りです。
 うちには手のリハビリがありますので、通院して様子をみましょう。」

可もなく不可もなく、想定通りの結果だった。

煮え切らない思いを抱えながら、リハビリ室へと足を運ぶ。
お世辞にも広いとは言えない部屋だった。真ん中に四人掛けのテーブルがある。

「氷川さんですね、宜しくお願いします。」

担当は30前後くらいの男性スタッフだった。

この人には、私の叫びは届くのだろうか。

━ Occupational Therapist
   作 業 療 法 士


病態は雲を掴むかのように難しかった。

医師からは神経が切れているとか損傷を受けている診断はなく、プレスで母指の部分を強く押されてしまっただけだそうだ。

しかし、親指にはしびれがあり、単なる圧痛とは異なる神経性の疼痛があり、筋肉の収縮は著しく弱かった。

特に母指球と呼ばれる母指の内側のぷっくらと膨れている部分が瘦せ細っていた。これでは母指を動かすことができず、物をつまむときに適切なフォームが取れないため、つまむことが難しかった。

「ここの筋肉が弱いと物がつまめません。僕たちが指を動かすだけでは筋肉を維持できませんから、電気刺激装置を使って筋がこれ以上痩せ細るのを食い止めましょう。」
煙草の箱より少し大きい長方形の電気刺激装置を取り出した。
膨らんでいるはずの親指の付け根に電気を通りやすくするためのジェルを塗って、その上から電気パッドを貼った。
そして端末を操作し、痛みの我慢できる範囲ぎりぎりまで電気の出力を上げていく。

「痛っ。痛いです。」

顔色を見ながら、出力を下げる。
「これくらいならどうでしょう。」
「大丈夫です。」

手指周辺のマッサージと電気刺激、そして自力で指を動かす練習を実践した。
来る日も来る日も変わらずにリハビリをしていく。
昨日と今日の変化はあるのかわからない。

通って2か月が経とうとしていたその時。

「動いた。動きました。」

親指の先がぴくっと動いた。動いた幅は2㎜程度だ。わずかに力が入った、というだけなのかもしれない。

でも、この2㎜は僕たちにとって希望の光だった。

数か月単位で1㎜の変化。でもこの人は怪我をしてから半年以上経って、1㎜も前に進めなかった。だからこそ、この2㎜には価値があった。


━ possible


親指が2㎜だけ動いた。

これまで人差し指でつまもうとしても、親指に全く力がなく、くにゃっと親指が逃げてしまってつまむことはできなかった。でも2㎜動いたおかげで、物が親指に当たった時にくにゃっと逃げることなく支えられるようになった。

重い物は支えきれないけれど、少しだけ力が伝わるようになった。

この2㎜事件から少し面白くなり、家にあるものをつまむ練習をこっそり始めた。ペンや消しゴム、クリップやスティックのりなど、デスクの上はリハビリ道具でいっぱいになっていた。

出来ることが増えると、不思議と楽しくなる。
暗闇の中に一筋の光が差した。

「氷川さん、今の右手でやってみたいことはなんですか?」
唐突な質問だった。

親指はまだ2㎜しか動いていない。
ここに来る前と比べてもそれ以外に進歩はなかった。

「何ができるのでしょうか。」
質問に質問で返した。
悪いとは思ったけれど、自分の想像力では答えられなかったからだ。

すると、先生は少し悩むように唸った後、こう答えた。

「少し大変ですが、食事が摂れるようになると思います。右手で。」

え?右手で?
怪我をしてからずっと、食事は左手で食べていた。
箸も左手で使えるものだから器用なものだ。
怪我をしてから右手が使えなくなって、お椀を持つことすらも今はできていない。なのに、右手で食事を?

私は目をまん丸くして先生を見あげていた。

「大丈夫です。急に明日から箸を使えだなんていいませんから。」
心の中が読まれたようで恥ずかしかった。
「でも、本当ですか?」
心の中で抱いた疑問符がつい声に出てしまった。

「自助具を使います。この道具を使えば、自分のことができるようになります。」

これが私の生活を変えることになるとは、この時はまだ想像できなかった。


━ Occupational Therapist
   作 業 療 法 士


自助具とは、自立を助ける道具のことを言う。
小さな子供が箸の練習をする時に、持ちやすくグリップが付いている物や箸が離れないようにくっ付いている物と言えば想像しやすいだろうか。
食事だけではなく、着替えや歯磨き、掃除や洗濯などの家事をするにも、ちょっとしたひと工夫で一人で出来るようになる道具はすべて、自助具として扱われる。

自助具を使うことについて、誤解もある。
それは「回復を諦めたから使われる手段」という誤解だ。
自助具を使うタイミングの一つに、身体の機能回復がプラトー(上限)に達した後に残存した能力を補填するために使用する場合がある。
だからこそ、自助具を使うことが「もう機能回復の見込みはありません」と言われたかのように誤解を生む。

でも実はそうではない。
自助具は生活動作の難しいところを支援する道具であり、機能回復途中でも使うことができる。回復によって機能が変わると合わなくなるため、短期間で作り直しや修正が必要であることがデメリットになるが、自助具を使うことで早い時期から自分の力で生活動作をやり遂げられることが最大のメリットだ。
生活の中で「自分でできる」ってことは、一日の中で手を使う回数が増えることになり、手の回復には非常に有効となる。

そのねらいを込めて、彼女に自助具を提案した。

少しでも出来ることが増えて、生活が豊かになるようにと。



━ self-help device


2か月で2㎜。

その調子で1㎜ずつ動くようになったらいいのだけれど、そんな希望的観測通りにはいかないのが現実だった。

先生は問題を見つけるたび、色々な自助具を作ってきた。

スプーンを持つのに手の力が弱くてすぐ落としてしまった私に、ただ持つところを太くするだけじゃなくて、外食でも使いやすいようにキレイでコンパクトなデザインにしてバッグに入れるところまで考えてくれるとか。

左手の爪を切るのに、テーブルに置いて手のひらで押せる爪切りの置台を作ってくれるとか。

道具が増えるたびに少しずつ、生活の彩りが戻ってくる。

それと同時に心にも色付くのがわかった。

「何それ?指輪?」
「これね、右手でスプーン持てないんだけどさ、これ付けるとほら。親指が使えなくてもスプーンとかフォークが持てるの。いいでしょ。」
「すっごい。デザインもかわいいし。」

カフェで同僚とランチをしている時に褒められたことがある。
この時、私は外で食べることを許された気がした。

怪我をしてから、左手だけで食事をする姿の不格好さが嫌で、外で食べることを避けていた。でも、右手でまた食べられるようになった時、私はまた「食べに行きたい」と思えるようになった。

とある日の仕事終わり。
「はぁ…疲れたあ。」

会社の外に出た瞬間、ため息が漏れた。
帰り道のコンビニで自分へのご褒美を選ぶ時間が、いつもの楽しみだった。
デザートコーナー、アイスコーナーを行ったり来たりする時間も楽しみの一つだ。
パッケージをみて、口の中に広がる味と触感をイメージする。
今の気分と照らし合わせながら、今日のご褒美を探す。

「あっ…。」

大好きなアイスがあった。
でも溶けるまでが固くて、右手でスプーンを持っても固いアイスに刺さらず、思うように食べられなかった。

だから。

いつも柔らかいプリンやゼリーか、棒アイスしか選べなかった。

ご褒美って、なんだっけ。


━ Occupational Therapist
   作 業 療 法 士


夏の暑い日だった。
蝉が止めどなく合唱を続ける。
こんな日も病院の中は人でごった返していた。

「ほんと暑いですよね。夏って感じで。」
「ですね。へとへとです。」

リハビリをする時、他愛もない世間話を交わしながら、リラックスできる雰囲気を作る。挨拶のようなものだ。

「アイスとか、よく食べますか?この季節」

季節柄の、よくある話題だ。

「食べます、すごく好きでした。」
「そうですよね。好き、、でした?」
「最近はあんまり、、というか棒アイスしか食べられなくって。」

「どうしてですか?」

と聞きながらハッと気づく。
アイスに使うスプーンは小さくて、しかもアイスは固い。
右手では親指の力も弱く、アイスをすくえない。

だから、片手で持つだけで食べられる棒アイスしかなかった。

「そっか、だから…。じゃあ、溶けるまで待つしか…いや、それじゃ美味しくないですよね。」

あのアイスが食べたい。冷たくて固いうちに、スプーンですくって口に運びたい。
そんな心の声が聞こえてきた。

「ice cream」


━ i scream


私は叫べなかった。

あの事故を起こした日も。

手が治らないと言われたあの日も。


でも、心の叫びを聞いてくれる人が居る。

「氷川さん、できましたよ。」

先生が持ってきてくれたのは、アイスを食べるための自助具だった。

「ここをこうやって持つようになっていて、これなら落とさないですし、しかも溶けるスプーンを使ってるので、スッとすくえると思います。」

「先生。」
「どうしました?どこか痛かったですか?」

「じゃじゃ~ん。一緒に食べませんか?」

私はあのアイスを買ってきた。
しかも二つ。

「いや、こういうのは受け取れなくて。」
「先生、これはリハビリです。先生が作った道具が使えなかったらどうします?私だけ食べていたらなんか遊んでるみたいだから、先生も一緒に食べてください。」
「はあ…じゃあ、リハビリですよ。」
そう言って、先生はテーブルに座った。
アイスを一人で食べられることを見届けるという体裁を盾に、私たちは祝杯を挙げるかのようにアイスを食べた。

「美味しいです。先生。」

「よかった。できましたね。」

私たちは心の中でガッツポーズをとって、小さく叫んだ。


治らない怪我はある。

私の手は、お世辞にも治ったとは言える状態ではなかった。

でも、自分が障害を持っていることなんて忘れたかのように生活できるようになった。

主婦が節約をするように、私は右手の使い方を工夫した。

出来ないことを数えたらキリがない。

自分にできることの一つ一つが、本当に奇跡だ。

誰かと比べて心を落ち込ませるより、出来ることを喜んだ方が幸せになれることを知った。

これも、私なりの自助具だ。


「 my proof 」


あれからどれくらいの月日が経っただろう。

僕は今も、作業療法士をしている。

病気やけがを患った患者さんに「やりたい」を引き出しながら心身ともに健康と幸福を促す後押しをしている。

でも、休日(オフ)の日はどこにでもいるただの成人男性だ。

誰だってそうだと思う。

自分が何者かと聞かれれば、多くの人は自分の仕事を答えるだろう。

仕事は自分を証明する大切なタグだ。

僕も、何をしているかと聞かれれば「作業療法士」と答える。

じゃあ、この世界に何を残せるのか。何を生みだせるのか。


結論から言うと、僕に何かを生み出す力はない…と思う。

未来のことだから、断定はできないけれど。


でも、僕たち作業療法士は目の前の人の価値を取り戻し、未来へつなぐことができる。

その証拠に、ほら。


都内某所―。

『個展:14時のart』

『Artist:🍃two leaves』


スマホの呼出音が鳴る。

「あ、氷川さん元気ですか?」
「先生、聞いてください。私、本を出すことになりました。」

「え?本を?すごいじゃないですか。」
「自助具をたくさん作ってくれたでしょ?あれを思い出しながら、企業の企画開発部でいろいろと作るようになって。そうしたら、出版社から工夫の本を書いてみませんかって。」

「え~すごい。なんて本ですか?」

「あいすくりーむです。ひらがなで。」
「かわいいですね。ああ、思い出しますね。美味しかったですねあのアイス。」
「はい。人生で一番おいしかったです。あのアイスが。」
「そう言ってもらえて。ありがとうございます。そして、おめでとうございます。」


そして僕はこれからも、誰かの価値を取り戻すための手伝いをしていこうと思う。

これが、僕であることの存在証明だから。


__________________
End
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