見出し画像

ナラティブ(語り)に耳を傾ける難しさ

どうも、すまです。

ナラティブ Narrative とは、「語ること」と訳され、医学ではEBM(evidence based medicine:科学的根拠に基づいた医療)と対をなす概念としてNBM(narrative based medicine:語りに基づいた医療)として扱われていました。

ここは誤解がないようにしてほしいのですが、実際はEBMとNBMは対ではなく、EBMの一部としてNBMが存在しています。

その理由は、EBMを実践する際の判断ロジックとして
①科学的根拠、最新の知見
②医療者の経験
③患者と医療者を取り巻く状況、資源
④患者の価値観
の4つがあり、NBMは④に該当する部分として考えられえます。

つまり、私がこのナラティブを取り上げたのは、医療者がEBMを実践するにあたって、必要不可欠な要素であるほかになりません。

そして、多くの医療者は ”わたしは出来ている” と認識している部分なのです。


本当は、とても難しいことなのに


1.患者さんの発言がすべてか?

ナラティブを大切にするというと、ほとんどの人が患者さんの言葉に耳を傾けて、それを最大限に尊重しようと考える人がほとんどです。

なんだ、簡単じゃないかと思うでしょう。

その発言には、たくさんのバイアスがかかっていることを理解しなければなりません。

確証バイアス・・・都合の良い情報だけを集める
自己奉仕バイアス・・・結果が自分に都合のいいものにする
後知恵バイアス・・・結果を知っていたことにする
正常性バイアス・・・自分が正常であると思い込む
内集団バイアス・・・自分の集団は強いと思い込む
持続性バイアス・・・今の感情がずっと続くと思い込む
保守性バイアス・・・考えが固く頑固
感情バイアス・・・その時の感情による認知の偏り
生存者バイアス・・・生存者・成功者の声しかわからない
サンプリングバイアス・・・偏った統計

ここに出したものは一例ですが、こうした認知の偏り(バイアス)はあらゆる場面で生じます。

例えば、患者さんの声が正しいと思う反面で、療法士(自分)にとっての仮説を逸脱した発言が出た場合に、「これは少し違うな」とスルーしてしまうこともあると思います。これは確証バイアス、ならびに自己奉仕バイアスに当てはまるでしょう。

また、様々な文献をもとに私たちは根拠を固めていますが、それすらもサンプリングバイアスや確証バイアス、後知恵バイアスの影響を逃れることはできません。また、報告に上がっているものの多くは成功例であることから、文献においても生存者バイアスが存在していると考えた方がよいでしょう。

つまり、疑い出すとキリがないほどに、何が真かは難しいものなのです。

何が言いたいのかというと、発言そのものを鵜呑みにするのではなく、発言とその状況、バイアスを含めて総合的にナラティブを捉えてほしいのです。

一挙手一投足に振り回されるのではなく、患者さんの真のニーズを理解していくことで、同じ目線、同じ目標に向かって協業することが可能となります。

2.バイアスの鎖を紐解いてみよう

とある作業療法場面。
車いすに座った高齢の女性に、作業療法士が腰を屈めて視線を合わせる。
「何か趣味はありますか?」と作業療法士。
女性は周りを見渡して、「編み物なら昔やったことあるわ」と話す。
作業療法士は「編み物ならありますよ」と言って棚に置かれた編み物を持ってくる。

このような場面をよく見かけます。もし皆さんが作業療法士だったなら、患者さんのこの発言をどのように捉えるでしょうか。

A.編み物が本当に好き
B.たまたま編み物が目に入ったから答えた
C.趣味はないけど、作業療法士さんに聞かれたから

この回答はBかCですよね。

Aだと思ったあなたは、確証バイアスに侵されています。

この場合、患者さんにとって編み物は特に価値のある作業でもないため、単純に巧緻動作を高める効果しか持ち合わせていません。

この過程を観察することには意味がありますが、この後に編み物を用いたプログラムを立てる必要性はないはずです。

ただ、編み物が好きかどうかを問えば、「好きです」と答えるかもしれません。だってそうすれば、「苦労することなくリハビリの時間が過ごせる」と思うかもしれないですから。

3.真のニーズを捉えるには

結論から言うと、観察、推察、吟味、介入、観察、、、の繰り返しです。

例えば先ほどの場面

とある作業療法場面。
車いすに座った高齢の女性に、作業療法士が腰を屈めて視線を合わせる。
「何か趣味はありますか?」と作業療法士。
女性は周りを見渡して、「編み物なら昔やったことあるわ」と話す。
作業療法士は「編み物ならありますよ」と言って棚に置かれた編み物を持ってくる。

周りを見渡した仕草から、答えに困っていることは明らかです。

答えに困ったのはなぜか?

ひとつは、作業療法士が何を求めているかを、把握できていないことです。

作業療法士は趣味を聞きましたが、もしかすると患者さんは世間話の一環として捉えているかもしれません。その場を安心させるための話題と思ったかもしれません。

作業療法士は、趣味が編み物と知って、作業療法の時間に編み物をしてもらうこと、編み物が出来るようになることを目標にしようと考えるかもしれません。

このように、お互いの考えていることが食い違うことはままあるのです。

このような状態に陥ると、表面上は確立しているようにみえる関係は、ある時にぷつんと崩れ落ちてしまいます。

そして、そのことに気づかないのは我々医療者側です。


では、どうすればよかったのか?


それは、趣味を聞く文脈をきちんと作ることです。

何のために趣味を聞くのか?

僕の場合は、「今後の目標について一緒に考えていきたいので、これまでの生活のことを聞いてもいいですか?」と聞いています。

これが先にあって、その一環として趣味を聞く。

もし趣味を聞いたときに、キョロキョロと困った素振りがみられたら、「思い当たる趣味らしい活動はない」と判断します。

編み物と答えたとしても、すぐに持ち出すことはなく、「そういえば、編み物もありますけど、持ってきましょうか?」と尋ねるでしょう。

基本的に選択権を患者さんに預けるのです。

そして、「YES」と答えたとしても、それを真のニーズだとすぐに盲信しないこと。

常に今の状況で「YES」と答えたに過ぎない、ということを忘れないことです。

一先ず、事前の文脈が共有できていれば、そこでの回答の意味は特段と解釈しやすくなるでしょう。

僕たち医療者は、患者さんに伝えているつもりでも、あまり言語化していないことが多いのです。

なぜなら、「今までは伝わっていた(と認識している)」経験があるから。

それこそが、真のニーズを見失わせる落とし穴なのです。

終わりに

ナラティブに耳を傾けることの難しさ、解っていただけたでしょうか。

ほんの少しの言葉の違い、声のかけ方、その状況が、患者さんの発言の意味を大きく変えてしまうのです。

また、患者さんへの伝わり方も大きく変わります。

傾聴すればよいと、簡単に言わないでください。

その難しさを知り、たくさん吟味して、悩んでください。

ナラティブに耳を傾けることができるのは、それからです。


今日はここまで。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?