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作業療法士への問い
作業療法士のすまです。
さあ、今回の記事は少しきついことを言います。
これは僕が大切にしていることであり、作業療法士として作業を大切にするうえで、皆さんに一度は考えてほしいことなのです。
作業療法士を知らない方のために、まず前置きから説明しましょう。
はじめに
作業療法士は、作業 Occupation を扱うことを専門としています。
この作業は、手工芸や工場などで使われる作業だけではありません。日常生活で人間が行うあらゆる活動を含んでいます。
この作業という用語は活動と類似していますが、決定的な違いは人間の主観的経験(私たちが認知していること)がセットになっているか否かです。活動は、火山活動や細胞活動のように動いていること、活発であることを表しますが、作業は人の主観的経験と行為がセットになっています。
この経験の部分が、作業療法における作業の特徴です。
では、この前置きを踏まえて、本題に入りたいと思います。
薬になる作業と毒になる作業
私たち、作業療法士は一つのスローガンを掲げています。
「人は作業をすることで元気になれる」
この作業とは、前置きに書いた通り、あらゆる行為を含みます。そして人によって、状況によってその内容は変化することから、この文章は正しいと言えるでしょう。
言い換えると、人によって、状況によっては、悪影響を及ぼす作業もあります。これも間違いではありません。
私たち作業療法士は、その人の背景と状況に合わせて、適切な作業を提案し、その人にとって最善の生活を再構築していくことを専門としています。
例えば、仕事をすることが好きなAさんがいたとします。けがや病気によって仕事をすることがままならなくなったAさんは、ひどく落ち込んでしまうでしょう。けがや病気が治る過程で、仕事にふたたび戻ることができることが決まると、Aさんは喜び、自信を取り戻すはずです。
このように、作業はその人自身を彩るとても重要な要素になります。
極端に言えば、 ”何もしないこと” も一つの作業と言えます。例えば、病気を患ったばかりで、点滴やモニターなどが付いている状態であれば、安静にすることが一つの治療です。この時、何かをすることよりも、あえて何もしないことが自分自身を落ち着かせ、取り戻すために重要な時間になることがあります。
もちろん、”なんでもいいからやりたい”と考えている人にとっては、何もしないことは苦痛であり、その作業は毒になるでしょう。
このように作業はその人、そして状況によって毒にもなれば、薬にもなるのです。
問い
さて、僕が日頃から疑問に感じている問いです。
「患者さんが好きだったことを、早期から提供するべきか?」
この解は一つではありませんし、答えを導きたいわけではありません。
皆さんに一度、考えてほしいのです。
作業療法を支える一つの根拠として、たくさんの事例報告があります。
そこでは、作業を早期から行うことの重要性や、成功事例が書かれています。
それについては、僕は否定するつもりはありません。
ただ、目の前の患者さんに提供するときは、違います。
作業は毒にも薬にもなる、ということをきちんと考えてほしいのです。
例えば、術後のせん妄で、一時的に意識が混乱している人がいたとします。意思の疎通は難しいですから、手がかりとして以前に好きであった活動を用いることは、一見して悪いことではありません。
ですが、その人は意識が混乱しているのです。好きだった活動を提供されていても、それを認識できているかどうかはわからないのです。
外側にいる療法士は、好きな活動を提供しても反応が乏しい患者さんを観察して、「好きな活動に対しての反応が乏しい」と捉えます。それは果たして正しいのでしょうか。
このような事象が起こる理由の一つは、作業を盲目的に信じている療法士にあります。「好きなことを提供すれば大丈夫」「趣味ができればうれしいはず」といったような盲信です。
病院に入院していて、自分の好きなことに触れられない患者さんはたくさんいます。ですが、その人が作業療法を通して、その作業に触れたいかどうかは別の話なんです。
もしかすると、その人は家に帰って、自分の好きな場所で好きなことをしたいかもしれないじゃないですか。
自分が今すべきことを、本当に趣味に時間を使うことだと感じているのかな。
それを決めるのは、療法士でも、もちろん僕でもありません。
患者さん自身なんです。
患者さんのやりたいを引き出しながら、少し挑戦してみたいとその作業を選んだのであれば、それはきっと毒にはならないでしょう。
一番の毒は、僕たちが盲目的に「薬だ」と感じている作業を、その人の心に耳を傾けずに提供したその時です。
それを避けるには、対話と協業しかありません。
僕たちの一挙手一投足は、毒にも薬にもなります。
それを自覚して、患者さんの日々を支えていきましょう。
それでは。
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