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『具体展』に行ってからずっと考えていたこと

2023年1月9日
「すべて未知の世界へーGUTAI 分化と統一」に行きました。

感想を書くのにかなり時間が空いちゃったんですが、実は一度ガーッと記事を書いてはいたんです。ただその途中でどういう切り口で書こうか迷ってしまってしまいまして…

というのも僕が美術館に行ったのがその展示の最終日だったからです。
最初に書いてたのはこの展示のおススメポイントみたいなのでして…(笑)
今思えば単純に感想書けばよかったのにカッコつけようとしてしまいました。

その落とし穴に気づいてやる気無くしてからはどうも中々キーボードを打つ指が動かなくてずっと放置してました!
よくこういう展示や作品などは鑑賞したらすぐにまとめろなんて聞きますが、本当にその通りですね。今のうちに体験できてよかった。

とりあえず難しいことを考えずに思ったことを書くと、

「言ってることは分かる!作品は分からん!」

これですね。
これにつきます。

具体美術協会[通称:具体]は1954年に結成された、日本における戦後初の前衛芸術グループ。
リーダーは吉原治良という人で、ひたすら円を描きまくった人。
しかも円を描く対象に選んだ理由は、特に哲学的なものがあった訳ではなく単に利便性重視(要はすぐ描けるから)らしい。

吉原さんは「人の真似をするな」という言葉を掲げ具体美術協会を設立し、既存の表現方法とは異なる新しい芸術を模索し続けました。そしてその言葉通り新しい芸術を模索しつつも、どこかで他の作品と通ずる部分があると苦しんでいたそうです。
僕はむしろ模倣推奨派なのでそこは真反対だなぁと思います。

その結果というか模索し続けた一つの到達点が、白髪一雄さんの足とかを使って描くアクション・ペインティングや嶋本昭三さんの大砲絵画、田中敦子さんの20個のベルを連ねた作品等につながっていきます。ああ、自分で書いてても何言ってんだろうってなる…!

ちなみにこの田中敦子さんのベルは実際に今回の展示会で展示されており、20個のベルが会場入ってすぐの広間の壁をぐるっと回って設置されておりました。そしてその広間にの入り口付近にボタンがあってそれを押すと実際にベルが鳴り、ボタンを押し続けると2個目、3個目…と順にベルが鳴ってい苦という仕掛けに鳴っていました。

受付で僕の一つ前の人がチケットのやり取りをしてるといきなり火災報知器のベルみたいなのが会場から鳴り始め、慌てる僕と僕の前の人を気にすることなく淡々と配布物を渡す受付の人は忘れられません。

また徹底してたのが「説明しない」ことらしいですね。感じろってことです。
なのでほとんどの作品のタイトルは「作品」とか「無題」とか。あってもめっちゃ淡白な名前だけです。

なので鑑賞者は自身の直感と想像力という最小限の武器のみで、目の前の作品に一対一で向き合うことになります。


具体美術協会のこの姿勢は沢山のジャンルに影響しているのかもしれませんね。
演劇をやってても意味わからんことしてる癖に説明してくれない作品は多数あります。
寺山修司さんとか唐十郎さんとか…

音楽も多いですよね。ボブ・ディランは適当なことしか言わないし平沢進は機嫌悪くするし、米津玄師ははぐらかすし…

もっというと今回の展示ではコンセプトが『「分化」と「統一」』ということもあり、年代別に展示とかもされてなくて初心者には優しくなかったそうです。
それでも僕が自分の予想以上に作品たちについていけたのは演劇をやっていたからかもしれませんね。

僕なんかはまだまだ無名の若輩者なのですが、確かに、何か創造することに取り組んでいると、自分の進んでいる道の先は具体の方々が大事にしていたものや目指したものというものに続いている気はしています。

『創作とは1から100を創出することではなく、100から1を削り出す作業のことである。』 

具体展に行く何日か前に、ある一本の戯曲を書き上げてテンション上がった僕がカッコつけて呟いたツイートです。全くもってバズりませんでしたが…
まあでもここを分かっているかどうかで作品の良し悪し…もっと言うと作品作りへの取り組み方は変わると僕は真面目に思ってます。

作品の説明を一切嫌うのも分かりますし、芸術作品は格あるべきと言うのも僕は賛成です。作家として芸術作品を創ったり観てもらう時に邪魔なのは作家自身なのです。
それでもまだまだ僕は語りたがる、必要以上に。全くもって未熟な証拠です。
今回の展示ではそれを改めて再認識させられました。

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