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『正義についての考察』

遮断機の降りた線路の上で、男が一人立ち往生していた。
遮断機の外にはもう一人、年が近い男がいる。カメラで撮影をしているのだろう。

向こうからやって来た電車が「プァーーー」っと大きな音を立てて、その踏切の手前にある駅に停車した。
その電車は元々その駅で止まる予定であって、多分その二人組の男もそれは承知の上での行動なのだろう。
男は電車に向かって👍と親指を立てて、線路から出た。

僕はその場から離れて、少し悩んだ後、警察に通報した。

警察の人は優しくも冷たくもない態度だった。
「またか」と思っているのかもしれない。
周りには何人かいたからもしかしたら誰かが、なんなら車掌さんとかが通報してるかもと思ったが、別にそんなことはしてない風だった。
みんなみんな、「またか」と思っているのかな。
こんなことはよくあることなのかもしれない。

確かに、昔から迷惑な人はいただろうし、最近話題の回転寿司もそう。
一々通報して、それに対応してたら社会が回らなくなる。

実際、もう既にその男たちは踏切から離れてどこかに去っている。
今更通報したところで意味がない。
彼らはきっと、これからもああいう「遊び」をして、面白おかしく生きていくのだろう。

ならばこの通報は何の為の通報か。

偽善?自己満足?自分を落ち着けるだけの行為?正義面したかっただけ?
多分、全部です。

正義について惑う。
偽善者と後ろから指を差す声が脳に響き渡る。

目の前で事が起こっているのに、怖くて最後まで何もできず、後から陰で通報する僕。
自分が矮小な存在に感じて恥ずかしくなっていく。

止める勇気があれば、喧嘩に勝てる腕っ節があれば。
いや、それはなんか違う気がする。

何が正解で、何が間違っているか分からなくなる。
いや、分からないのは実は初めから分かっていて、改めてその事実に打ちのめされたって感じだ。悔しいなぁ、悔しいなぁ。

今、自分は演劇という創作活動に勤しんでいるけど、この活動は社会にとって何になっているのだろう?
沢山いい作品があって、多くの人の目に止まるように色んな人が日夜努力しているはずなのに、どうしてこんなにもしんどいのだろう。

いい作品に感動していい人になるのは、結局元々いい人で、今日見た彼らは、これまでに何を見て、何に感動して生きてきたんだろう。

こんなよく分からない世界で、自分はどうすればいいのか。
それはTwitterでも書いたんだけれど、
思うのは、いや思いたいのは、少なくとも、自分にできることをできる範囲でしたい。

やらない善よりやる偽善。

たとえ創作とは偽善的で、自己満で正義ぶった行為なのだとしても、
それでも僕はいいと思うんです。

正義は結局価値観だから、自分の中でしかなくて、自分が言う世界が正義の世界だなんて言えないけど、それでも誰かに響いてくれたらと信じて。

前にも書いた気がするけど、言葉は人の行動を、別の人の行動力にするための媒介なんだと思うので。
自分の描く作品が、誰かの行動の一助となる。いや、自分の作品でなくてもこの際いいや。
誰かの作品が、他の誰かの行動力となって、世界がちょっとでも好転してくれますように。

そう思って、明日からも作品の創作に取り組もうと思うんです。

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