【ショートショート】鍵と枕
山歩き目的の一人旅なのであまり宿にはこだわらなかったが、流石に選択を誤ったかもしれない。
エアコンは木目調で、テーブルには鈍器のような灰皿がまだある。部屋の鍵は、お馴染みのでっかいプラスチックのキーホルダー付きだ。
そこまでなら、まだレトロな雰囲気がいいとか
鄙びた宿だねとかいう暗示をかけられるのだけど、浴衣なども、少しためらうほど古いので、なかなかその気も起きない。
しかし、客は多かったな。
ファミリーが来るような場所でもないし、他もほとんど一人客だったようだから、山歩きの人がよく使う宿なのかもしれない。皆寝るだけなので、あまりこだわらないのかも。
しかし、だとしたら寝具ぐらいもう少し新しくても良いのではないか?
流石に布団カバーや枕カバーなど、肌に当たる部分は比較的新しいものに変えられているが、それではこの年季は隠せない。特にこの蕎麦殻だか小豆だかの枕は、明らかに私の親より先輩に当たるんじゃないか。全身で「押し入れのヌシ」という感じがあって、頭の下に敷くのもなんだか憚られる。「無礼者」とか言われそうだ。
仲居さんがそれでもきれいに整えてくれたのに申し訳ないけど、今日は自分の肘を敷いて寝よう。
枕をどけようと持ち上げると、ぽろっと中身が数粒落ちた。
穴あきかよ、流石に古すぎるだろう…。
一粒つまみ上げてみると、何か毛筆で細かくてびっしり書き込まれている。他の粒もつまむと、同じように色々書かれている。
呪いのようで気味が悪い。まさかこの部屋、何か出るのか。
とても寝られないので、フロントに電話をかける。部屋を変えてもらわなければ。
電話に出た女性は、先ほどの仲居さんのようだ。
彼女は、「すみません、すぐ行きます」と言った。
来られてもしょうがないのだが、と思っているうちに、
彼女は番頭さんを伴って訪れ、慌てた様子で謝罪を繰り返した。
「申し訳ありません、私がうっかりして鍵をかけ忘れていました、お客様は『どちらでもない』のに」と言う。
私が全く理解できずハテナを浮かべていると、番頭さんが、「それじゃ分からないだろう?」と仲居さんを嗜める。確かに全くわからない。
番頭さんは、息を吸うと、「実は、この宿は普通の宿ではありません」と話し始めた。私は、やはり、と身構えたが、「この宿は、夢を扱っているのです」と続いたので、またハテナが浮いてきた。
「お話ししなければ分からんでしょう」
そういって番頭さんが始めたのは、江戸時代に遡って由来を語る長大な話であったが、要約すると、この宿の枕は夢を出し入れする力を持っている、ということらしい。
悪夢などに悩まされている人が使えばその夢は枕に閉じ込められ、2度と見なくなるということで、古くから夢と縁を切りたい人が夢を捨てに来る。
逆に、閉じ込められた夢を他の人に見せる力もあるので、怖いもの見たさや興味本位で人の夢を拾いに来る酔狂な客も、それなりに訪れる。
この山奥の宿に来るのはほとんどこの2種の客だそうだ。
ただし、ごく稀に私のように「どちらでもない」客も迷い込んでくることがあり、その時は枕の出口と入口に鍵をかけて夢の出入りを封じ、普通の枕として使えるようにするのだが、今回、仲居さんが出口に鍵をかけ忘れた上に私が枕を動かしたので、閉じ込められていた夢が出てきてしまった。。。
というのが今回のあらましのようだ。
「これ、そのまま寝てたらどうなってたんですか?私、誰かがどうしても忘れたいほどの夢を、興味本位で覗く度胸はないのですが」私は怖くなって訊ねた。
「その場合は、何も起きません。そのあたりは、枕のほうで分かりますので。その点では、うちの者の失敗を責めないでやっていただけるとありがたいです。ただ、やはり気味が悪いでしょう、関係ないのに知ってしまうと。」
「そうですね、知りたくはなかったです。でも、なんだか、もういいです。」
不思議と腹は立たない。元々この宿はそうやって人々の要望に応えてきたのであって、私の方が場違いといえば場違いだ、と、妙に腑に落ちてしまった。
「ただ、枕だけは引っ込めてくれませんか。私、今日は枕なしにしますので。」
私がそういうと、番頭さんは、「お客様、ご理解いただきありがとうございます。枕はもちろんそのように」と言ったあと、少し考えてこう言った。
「ただ、もしお客様さえよろしければ、私どもからのお詫びの印として、夢を一つお贈りすることも可能です。」
「というと?」
「実は、捨てられた夢の全てが悪夢なわけではないのです。
世の中には『もっといい夢を見たいから、今のいい夢と縁を切る』という方もいまして。そういう夢を、他の枕からいくつか取り出してまいりました。この中からおひとつお選びいただいて枕の出口にはめ込んでおけば、その夢をご覧いただけます」
そうして番頭さんは、懐からいくつか枕の中身を取り出し、読み上げた。億万長者、世界旅行、万人からの尊敬、女優との交際、実に様々で魅力的だ。
しかし、それらの夢から醒めた時、自分はかえって空しいのではないだろうか、と思うとどれも選べない。
「もしよければ、代わりに」私は番頭さんに別の提案をした。番頭さんはしばらく頭を抱えていたが、やってみますと応えた。
私は、まあ駄目元でお願いします、といった。仲居さんは番頭さんの指示のもと、枕の出口の鍵を閉め、入り口の鍵を少し開け、私はその枕を使って眠りについた。
…
…
朝が来た。昨晩は何か変な夢を見た気がするが、何も思い出せない。私は朝食をとり、宿を発った。
「しかし、古いだけで特筆することのない宿だったな。なぜこんなに客がいるのかさっぱり分からない。」
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