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【ショートショート】机と帆船

子供の頃、父の書斎に居るのが好きだった。
いわゆる乱読家の父の机の上には、いろんな本が置いてあった。
そのうえ、インテリアに凝るタイプの父は、外国のコインだとか、茶色っぽい地球儀だとか、電球剥き出しの照明だとかを棚や机に並べ、子供部屋や母の部屋にはない独特の雰囲気を醸し出していた。

私は、父の椅子によじ登り、それらを眺めながら、足をぶらぶらさせながら自分の持ち込んだ本を読むのが好きだった。今は難しくて読めないけれど、いつか、父の蔵書も読もうと決めていた。
部屋は薄暗いので、母はそこでの読書にあまりいい顔をしなかったが、父は読書好きの仲間が増えたことが嬉しいのか、自分が使いたい時以外は好きに使わせてくれた。

ある時、私は、友達を家に招いた。一通り子供部屋で遊んだ後、私は書斎をその子に見せた。自慢したかったのだと思う。
すごい、かっこいい部屋!そう言われたかった。

しかし、予想に反してその友達の反応はイマイチだった。今ならその反応もわかる。もともと、私が背伸びして、「わかる」自分に悦に入っていただけで、子供が楽しむような部屋ではないのだから。
しかしその時の私はその子に「良さ」を分からせようとした。照明を見せ、地球儀やラジオを見せて、かっこよさを熱弁した。それでも反応は今ひとつ。

「熱弁している方もあまりカッコ良さの意味をわかっていないのだから仕方ない」ということも当時はわからず、ますますムキになった私は、本棚のボトルシップを持ち出した。このかっこよさがわからんはずはない、と思った。

大きな瓶に入った、3本マストの帆船。乗組員まで精巧に再現されたその船は、僕が当時ずっと眺めて飽きなかった、いわば逸品だ。
その子は初めて、うわ、かっこいいと言った。作戦成功だ。

しかし、一つ誤算があった。それは子供には、あまりに重かったのだ。私はそれを掲げたままよろけ、机にぶつかった。
重厚な机は私をしっかりと受け止めて、衝撃を体に伝え、私はボトルシップを放してしまった。

大きな瓶は机に落ち、ゴロンゴロンと転がった。幸い割れはしなかったものの、蓋が外れ、海を表現するための青いビーズがこぼれでた。船体も、大破こそしなかったが、いくつかの部品が外れた。

私は真っ青になった。友達には帰ってもらい、修復をしようと試みたが、もがくほど状況は悪化した。外れてしまった船の部品を取り出そうとするうち、ビーズは全て机の上にこぼれた。部品をくっつける方法も技術も、私にはない。

もう戻せないのだ、と思うと、涙があふれて止まらなくなった。見つかったら怒られる、などという気持ちだけではない、父に悪いという気持ちが後から後から湧いてきて、私は泣き続けた。

しばらくして泣き疲れた私はこのことを正直に言わなければと思い立ち、修復をやめた。帰宅してきた母にまず顛末を話し、父に謝りたいと告げた。
意外なことに、母はあまり怒らなかった。怪我をしかねない危ないことをしたことだけをしっかりと叱られ、あとは父さんと話しなさいと静かに言った。

私は、書斎でボトルシップを抱えて待っていると、程なく父が帰ってきた。

母からすでに連絡を受けていたらしく、父は玄関から書斎に直行し、私の前に立った。
「ただいま」父の声は柔らかかった。
「パパの部屋はかっこいい、って、言ってくれたんだって?」
「でも危ないことはダメだ。わかったかい?」
「うん。。。ごめん。。。ふね。。。」

予想していなかった優しい言葉に、帆船を壊した申し訳なさが溢れてきて、私はまた泣きじゃくりながら謝った。
「そのことだけどな、もういいんだ。いいことを思いついたから」父は顔を近づけて、いたずらっぽく笑った。
そして、庭で取ってきたという砂の入ったビニール袋を私に見せた。

私が状況を掴めずにいると、父は瓶を豪快に逆さにし、外れてしまった部品の残りを取り出した。次に、机の上に広がった青いビーズを少し瓶に戻し、そしてそこに砂を大量に入れた。たちまちビーズの海は追いやられ、船の下は8割がた砂で埋まった。最後に父は、小さなコインを何枚か瓶の口から放り込み、それらが砂に半分埋まるのを見届けてから蓋をした。

「ほら、みてごらん」
「あっ」
瓶の中の景色は一変していた。
「そう、この船は、長い長い航海を終えて、ようやく陸地を見つけて上陸したんだ。しかも宝の埋まる島だ。」
父はコインをガラス越しに指差しながら言った。
「長い航海の間に、船は少し傷ついてしまったけど、それは、みんなで苦難を乗り越えた証でもあるんだ。乗組員の顔も、嬉しそうな気がするだろう?」
父はそのボトルシップをひょいと持ち上げ、棚ではなく机の上、まだ散らばる青いビーズの上に置いた。砂が島のように見えた。
「ずっと、頭の隅で気になっていたんだ。この船はいつまで航海を続けるんだろう、って。おかげで、と言っちゃなんだけど、この船を目的地に届けるアイデアが思いついた。」

私の顔がパッと明るくなるのを見届けて、父は私の頭をわしわしと撫で、「さあ、ご飯にしよう、ママがお腹を空かせちゃうから」と言って、部屋を後にした。

一人残った私は父の本棚から、古い古い本を一冊出し、ボトルシップの横にそぅっと置いた。きっと父は、わかってくれると思った。

「今行くよ」私は父の後を追った。
本のタイトルは、もちろん「宝島」だ。父の本棚から初めて読む本が決まった瞬間だった。

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