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日々鬱々と

 ガタガタと手が震えた。ノートをとるのに支障がある位で、おやまぁ、珍しいと首を掻く。夜分考え事をするなり、何某が思い当たることがある時が多いが、ここまで露骨に、何ということも無く震えるのはいつぶりか。局所に軽い痛みはあるもののそこまででは無い。兎にも角にも震えて困る。いつもは手首あたりで止まる、がしかし授業だというのに腕の付け根まで痙攣してみせるのだから眉根が寄るものである。ただ薄らぼんやりとしていた時に友に声をかけられただけであるのだが、何故こうも。

 授業が終わっても治まらぬ様なので、コンビニで甘味を買った。何やら大層な名前のついたラテを教室で啜る。嫌に甘いが、苦にはならんので疲れているのだろう。手の震えも疲労かもしれぬ。うとうとしているうちに先の授業が随分早く終わったので、次の授業までに随分と余裕がある。教室にはついている。いくらもたもたと飲んでも構わないだろう。手はまだ震えていた。いつもの如く、震えは全身を苛立たせ、意味もなく体が強ばる。疲れから震えているのなら、その震えでまた体が疲れるのだから随分と阿呆らしい話だ。
 駄目で元々、「手 震える」と検索に打ち込めば、見慣れた自律神経の文字が見えた。よく起こると思ったらまたこの自律神経であったか。呆れるほど目眩を起こし、まだ二十年にもならぬ人生で二度も人を倒しておいてまだ足りぬらしい。大方の体調不良はこの自律神経とやらでカタがつくようにみえる。
 困るのは直しようのないこと。医者にはどうしようもないと言われ、ネットにはストレスを溜めるな良く寝ろと言い捨てられる。こっちは何年不眠症と手を取って踊っているかも知らぬというのに。

 さて、30分もせぬうちに次の授業は終わってしまった。初回だからであろう。いやにあっさりしていて、ありがたいやら困るやらである。痛みは少し残るが、震えも大方治まったようだ。かわりに、とばかり右耳がなにやらぼわぼわとしてかなわん。水に入ったような、高低差が大きい時のような。耳を引っ張るうちに治ったゆえに、まぁさしたる問題でもなかろう。

 一、二限しかない曜日だ。学校の帰りに適当なファストフード店で昼を済ませて外に出れば、通りには雨が歩いていた。
 大通りを避けてピザ屋の横を抜ける。床屋の前を通って、左に曲がって少し。たこ焼き屋の手前に、駅の5番出口はある。大通りの7番は学生と会社勤めがひしめいて、とても通りたい場所じゃない。雨の日なんて、特に。小柄な体に大きな傘を構えた人間が通るのは、あまりありがたい話ではないだろうし。
 5番出口から駅に入った時はいいものの、ホームに出れば雨がふきこんで冷たいのなんの。昨晩薬を飲み忘れたからか、頭まで痛くてかなわない。今日の分だって、朝の分は胃に収めたが、まだ昼の分がリュックに収まっている。そうだ、さっき飲み忘れたんだった。

 ……あ、なくなった。

 永遠に飲めるんじゃないかと思っていたけど、吸ってももうジュ、と汚い音を立てるだけだ。大抵Sサイズしか頼まないのに、セットでついてきたMサイズのドリンク。何飲む、って考える気も起きなくて、ともかくアイスコーヒーを選んだ。アイスコーヒーならあるだろとメニューも見なかった。
 案の定飲みきらなくて、店から持って出て、歩きながらずっとちびちび飲んでいた、のだが。

 ジュ。

 なくなってるのは知っているけど、なんとなく。口寂しいってこういうのだろうか。煙草を咥えられる年齢ではないのでよくわからない。ため息と共に、駅のゴミ箱に投げ込んだ。

 衝動はいつでも現れる。例えば、このように電車に乗っている時、など。Twitterで漫画を読み、通知がないことを確認して。ふと顔を上げれば、さっきまで気にもしなかった電車の振動が全身に伝わる。

 ガタンガタン、ドン、ガタン。

 イヤフォンからのBGM、少し聞こえる車内アナウンス。通知はない。手が勝手にリュックを握るカを強める。

 あ、なんか、今、とても、

 詰まった息を押し出す。気道が閉まったような、肺が潰されたような、まあ、いつものことといえばそれまで。目をつぶって、曲に集中すればやり過ごせることは、よく知ってるはずなのだ。

 ガタンガタン、ドン、ガタン。

 目的の駅に着いたことに一拍遅れて気がついた。あわててホームへ降りて、そして。

 電車に揺られるうちは吐きそうな心地であったのに、降りた瞬間腹が減った。どうもすきっ腹から来た心地の悪さであったらしい。電車がホームから風を起こしながら去ってゆく。

 その、電車がホームから去る音が喚き声に聞こえたらしい。

 ぎょっとして振り返った目線の先にいるのはただイアホンをしてスマホの画面を見ながら歩くサラリーマンだけで、喚きそうな奴はどこにもいない。耳に残る不快な喚き声を、一度頭を降って追い出そうとするも、ベタりと脳裏に張り付いて譲らなかった。

 どこへいこう。

 家に帰るだけだ。分かってはいるが、もう一度頭の中で咳いた。

 どこへ。

 駅のホームから改札までの道のりを薄ぼんやりと進み、人々を漫然と眺めながら。

 どこへ。一体、今更どこへ。

 眼鏡の少年、仕事帰りの女性、声を潜め話すカップル、車椅子の兄ちゃん、制服の小学生、同世代の女子高生、缶チューハイをもつおじさん、親子連れ。改札を出て、帰路に着く。皆どこかへ、向かっている。線路沿い、電車に手を振る少女と電車に必死に吠える犬、枝を切り落とされる街路樹の横を歩いて駅から家へ、引きずるように歩を進める。まだ昼すぎだ。帰って、着替えて、それから、それから?

 何気なく道の脇を走る線路の向こうを見れば、大きな空がこちらを見返した。思わず足が止まる。ビルが消えた。いつの間にか。行きは全く気が付かなかったし、そもそもいつから工事をしていたのだろう。ニ三度瞬いて、歩みを再開した。どうでもいいことだ、きっと直ぐに空は縮む。

 まただ。

 ギロチンに憧れている。そういったら笑うだろうか。何度自分の首が飛ぶ様を思い描いたことか。一瞬の思考も与えずに、一思いに、痛み無しに、ああやって終わらせてくれればどんなに。
 死にたいわけではないと思うんだ、と自分に言い聞かせた。死ぬ元気もないくせに、と自分に笑われた。

 目の前をゴミ袋を両手に持った人が横切った。なぜプラごみなんて持って歩いているのだろう。無造作に詰まったカップ麺の容器が、いや、違う。買い物袋だ。カップ麺を買って持ち帰るところだ。カップ麺。
 もうどこかに行ってしまったその人の手元を思い出しながら、もたもたと歩き出す。あんなに適当に入れるものなのか。割れるなり潰れるなりするんじゃないだろうか。もたもた歩く私より遥かに遅くちょこまかと道を塞ぐ小学生の脇を抜ける。算数がどうとか。宿題は四角五番らしい。ジュウワルゴに頭を悩ませるそれらに羨ましさで吐きそうになる。
 知ってる。それらにとってはジュウワルゴが全てなのだ。深刻な悩み。私だってそう。ジュウワルゴに悩んで、10年近くたって、レポートとバイトがこの世の全てだ。生死に関わる大問題。微塵も変わらない。19年。さしてやりたくもないことをごまんと積み上げてこのザマ。
 19年。おぞましい数字だ。同じ年数を生きた少年少女、なんならもっと幼い子らがテレビで華々しく取り上げられる度、浪費した時間を感じて反吐が出る。19年生きて何が手に残った?多量なストレス、大層ご立派な歪んだ思想、叶わない理想。乾いた笑いをあげる。

 「ただいま。」

 家に着き、ドサリと身をベッドに投げ出して、ポケットからスマートフォンを取り出す。家に着いたとて、電車の中と何らやることは変わりはしない。
 つまり何がしたいの。寝転がってスマホを見る私に聞く。わかんない。私が答える。何がしたいかなんてわかんない。でしょうね。分かってたら、こんな気持ちには。無性に叫びたい気がせりあがって、ともあれ手に持ったそれを机の上に放った。
 自分の知力が低下していることくらい、自覚はあった。あの、あれのせいだ。あの四角いの。それがスマートフォンを示すのかその隣に雑多に積まれた翻訳小説を示すのか特定もせずに、私はあの四角いの、と頭の中で復唱して机を睨みつけた。
 私は――省略しうる"I"が自然と浮かぶ時点で、下手くそな翻訳小説の方程式が私の頭に住み着いて退く気がないことがよく分かる――入学当初のような緊張感を失い、元からあってないような知的好奇心を使い果たし、なけなしのやる気を先月の旅行の対価に売り払った。
 私の気力なんて1ミクロンも残っていなかった。1ミクロンが1ミリの何分の1なのか私は知らないし、1ミリは1メートルの1,000分の1であることは知っていても1メートルが一体何を意味しているのか考えたこともないけれど、ともかくたったの少しだって私の気力は残っていない。

 ベッドから起き上がることも無く、天井を睨みつける。考えようとすればするほど、過去の愚行が脳を走った。

 自慢ではないが、やり直したいことは星の数ほどある。特技は自己嫌悪といっても過言ではない。毎夜毎夜不眠症と手を取り合いながら、過去のアレソレを持ち出しては頭を抱え、未来を見てはせり上がる吐き気に口を覆う。今月提出の課題も終わっていない上に明日ぽっくり車に轢かれるかもしれないというのに遠い未来の心配、まぁなんて余裕と自信に溢れた先進国中流階級現代人大学生だこと。

 さておき自分史それ即ち黒歴史であって、呆れ返るほど残念な十ウン年であった。と、言う自負がある。まぁ、成長の証だ、とも言えるかもしれない、が。とはいえ、片手で足りる数ほど、本当にやり直したいことだってある。無知のなせる技だとはいえ、あまりにも。

 自室に荷物を置いたあとは、大抵リビングへ行く。だからいつまでも出てこないのを不思議に思ったんだろう、開いたままのドアから父が顔を出した。軽く手を振れば、笑ってリビングに戻ってゆく。
 そういえば土曜日であった。母親も確か在宅であろう。

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こちらも小説断片供養です。元々何本もあったやつをまとめたものの、何となくヤマオチ付けられなくて放置していました。これはでも加工すればまだまとめられそうなんだけども……暗いから気分が乗らないのかな🤔


気に入って頂けたらサポートおねがいします、 野垂れ死にしないですむように生活費に当てます…そしてまた何か書きます……