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誕生日の前祝いにカメラを【50年のカメラ遍歴】

なんてことはない、また中古カメラ買っちゃいました報告なのですが、今回は特別篇。
カメラ半生記らしきものを書こうと思います。
長文になりますがおつきあいのほどを。

始まりは親バカ写真

まずもってわたしが生まれてくる前に、親たちがいなければならなかった…いまさらなにを言うてるのかとイチャモンつけられそうだけど、これは厳然たる事実であり大前提であります。
いまどきの親たちだったら、こどもの写真なんてぜーんぶスマホで撮ってしまうものだと思うのだけど、昭和の昔には同じ目的でカメラを買う、そういう需要があったようなのですね。
平成にかけての最終期あたりには、それがEOS Kissだったのかな…?といえばわかる人にはわかるはず。
かの赤瀬川原平さんも、こんなことを書かれていました。

カメラなんて贅沢品、用もないのに買っちゃ駄目だといつも思っている。でも欲しくて、カメラ雑誌の広告はじーっと見ている。
そういう人間の家庭に赤ん坊出産となると、これはもう記録しなければということで、公然とカメラが買える。いやむしろ買うべきだと、べきが出てきたりして(笑)

「ミノルタハイマチックF」より 赤瀬川原平のカメラコレクション 中古カメラウィルス図鑑 新版(小学館、2000年)

そういう時代だったようだ。わたしの生まれたころにも。
もっともうちの親たちは、最初はカメラは持っていなかったようで、父方の祖父祖母の家にあった110ワンテンフィルム使用のいわゆるポケットカメラを使っていたようである。幼少期にネガと一緒に見た記憶がある。ミノルタだったか?

その時期に母親が撮っためい作で、わたしの姉が缶詰の空き缶をいじっていて、切り口(当時は缶切りが必要だったからとがった部分ができたのだよ)を指で突いたかして泣き出す瞬間の組写真(2枚)があって、ある時期まで語り草になったために姉はイライラしていたのを覚えています。
そんな黒歴史を隠蔽しようと思ったか? 数年前に姉が断捨離と称して古い写真やらなんやらほとんど捨ててしまったようだ。
その直前に救出してきたプリントがこれだ。

四十数年前のおしゃまです。
いきなりおもちゃのカメラを首から下げていますな。
これは中にお菓子が入って売られていたものでしてね。
中身はとうぜん覚えてません。
この時期に父親がキヤノンオートボーイスーパーを買ったはず。

これはなんたることかわたしが20代半ばにもなったころに、ようやく貰い受けることになったが、AFは絶望的に遅く感じられて昔日の面影なしといった風情でありました。もう手許にはありませぬ。

マイカメラ第一号はトイカメラ

然る後に、小学校高学年になって、たぶん貰い物だったと思うのだけど、ワンテンフィルムを使うカメラを手にすることになった。
といっても玩具同然のもの、110フィルムのカードリッジにレンズとシャッター、巻き上げダイアルをかぶせるようにセットするトイカメラでした。
世界最小とか書いてなかったかな。言ったもん勝ちですね。
SELBY MICRO110でググると似たようなのがでてきます。
以前にもちらっと書きましたね。2枚だけですがそれで撮ったものも。

残念ながら祖父のミノルタ?ではなかったのです。あれたしかフラッシュまで一体になっていたので結構高かったものではないのかな。
しかし当時カメラおたくでもなんでもなく、その存在すら忘れていたし、
おねだりしてもらっちゃおうなんて(悪)知恵もなかったね。惜しいことをした。
祖父の家も結局いまは更地、カメラの在処なんかもうね。

親のカメラを借りて撮る

そのうち、じぶんでもあちこち写真が撮りたくなりますが、子供のためにカメラなんて買ってもらえる家庭じゃなかった。
そもそも家にカメラなんてなかったからいまだにフィルムの詰め方も知らない…と最近小学校からの同級生に言われましたので、親が持ってるだけましだったかな?
亡くなったおじが実はカメラ好きだったらしく、いとこが生まれたときに訪問したらオリンパスXA使ってたのを子供ながらに覚えていたのですよ。もう余命宣告受けてから法事で会ったときに、ゼンザブロニカなんかも持ってたけどもう全部売ったと。「なんだ早く言えばいいのに」と言われたのが最後の会話になってしまったのですが。

でっ 中学高校時代になにか撮りたいときには、件のオートボーイスーパーを借り出していました。大口径レンズ搭載とはいえ押すだけカメラでしたからね。

短命におわったヤシカエレクトロ

中学・高校の修学旅行のときには、おばからヤシカエレクトロを貸してもらった。
そののち正式に貰い受けたのですが、当時の無知な高校生がカメラの正しい持ち運びなんか考えるわけもなく、なんと紙製のドキュメントケースみたいなのに入れて持ち歩いていてうっかりガシャン。
そのまま廃棄せざるを得なくなってしまったかなしい思い出が。

偶然の産物
グループ行動中。時効(意味深)嵐電の車内にて

初一眼レフは親のペンタックス

学生時代の前半期ぐらいには、母親のペンタックス一眼レフをしばらく借りていたこともあったな。
機種名不明。もうすでにミノルタα-7000は世に出ていた時代でしたが。
なんで母親がそんなのを持っていたか…子らが10代のころに小鳥を飼っていたりしたもので、鳥が好きだったのですあの人。
それで「庭に来る野鳥の写真を撮りたい」というので父親が買ってあげたのではないかと記憶。
しかし写真にせよなににせよまったくの素人がいきなり野鳥を撮るなんてどだい無理だったのか、すぐ使わなくなったのを借り出したのだった。
まだ絞りもシャッター速度もなにそれ?な時代、ほとんどプログラムオートで撮っていたはず。
しかしそのうち返却することになった。その代替として、盛岡のカメラ店でオリンパスの一番安いプラカメを13,000えんくらいで買って使っていた。

人生初の中古カメラ、ペンEE-3

盛岡での学生生活の最終コーナーも近い4年生の秋に、郊外にある街の本屋さんに、なぜかどどーんと中古カメラコーナーがあり、そこのお兄さんになんどか話をききに行ってのち、オリンパスペンEE-3を購入した。

領収書が手許に残っているのですが

金額の点を打つ位置がすこし変だよね…シャチハタと思しき判子もなぜか天地さかさまに押されていたり。
この本屋さん、カメラ買ってからは通った記憶がない…またプリント見せにいくようなことも思いつかなかったかも知れず、また翌年春には卒業して宮城に帰ってしまいましたからね。
書店を取り巻く情勢も変化して、後年検索したがみつからず。

このカメラで見様見真似で絞りの効果を覚えました。
本屋のお兄さんに軽くレクチャー的なことは聞いたけれど
まだインターネットは何者だ? みたいな草創期でしたからね。
無知な学生の分際で(笑)回線引いたりできるわけがなかった。
現在とは訳が違う。
かといって写真術の本も探しに行かず。

この3枚はのちにEE-3で撮ったくりはら田園鉄道の現役時代です。

20代

わたしにとっての暗黒期ではあるのですが、忘れられない人との邂逅もありました。
カメラとたばことレコード、そしてユニークな雑貨などを愛する友人がいました。
はじめてかれの部屋を訪問したときは、足の踏み場に困ったしサボテンのトゲを間違って触ったりして当初こそ困惑しましたが、テーマはアーリーアメリカンとでも言ったらいいのかな? たのしい空間でした。
キヤノンT90もみせてもらいましたが、なんとアルカリ乾電池の液漏れでもう使えないと残念がっていました。なのでAE-1で撮影していたと思います。そのころまでわたしはリコーオートハーフ、キヤノンダイヤル35なども愛用していたのですが、かれの薫陶ではじめてじぶんで買うことになった一眼レフにオリンパスOM-1を選びました。
50㎜f1.8付を買ったのでしたが、広角レンズはいいよと教えてくれて、のちに28㎜f3.5を入手することになりました。
もし生きていたらいまごろ60代後半だったでしょうか…

フィルム回帰のきっかけはXA

30代前半、恩師に会いに行った盛岡の当時あった中古店でオリンパスL-10を10,000えんで。理由はズーム付きで安かったから。
ズームレンズ一体型のいわゆるブリッジカメラ、しかし数年で駆動部が故障してさよなら。
取説なかったのでほとんどオートで使ってたと記憶。


ほどなくその後わたしもご多分にもれずデジに一旦移行。
リコーGX200→オリンパスXZ-1と続けて新品を買うのですが、震災後にふらーっと立ち寄ったのがときどきおしゃまnoteに登場する「いつもの写真屋さん」。カメラ売ってることはまれなのですが、そのとき偶然オリンパスXAがあり、話しをきいているうちに衝動買い。

まだOM-1もEE-3も保有していたのですが、しかしここまで振り返ってオリンパスの多いことよ…
でっその写真屋さんの勧めでカラーネガをふたたび使うようになります。一度離れる前はポジフィルム、リバーサル使っていました。しかしあれはプリント向けじゃないのですよね。当時一枚100円しました。そしてマウントすると重すぎ…いまは段ボール箱のなかで眠っています。

銚子旅行のとき、笠上黒生駅で OM-1+KONICA SINBI 200

40代は出入りが激しく

そんなこんなでわたしとしては大枚はたいたGXもXZ-1もいつの間にか手放し、
ほどなく40代に突入します。
そのころペンFTと38㎜ f1.8が加わって
2014年にnoteをはじめてます。
2015年におしゃまにとって最初のOM-4(後期型)
当時紹介は一切してないのですが、2016年にCONTAX TVS2を入手して、作品だけアップしてましたね。

そして翌2017年にはいまの大黒柱CONTAX Tの1号機を迎え入れたわけです。
それ以降は、あらたに中古カメラ買うたびに紹介してますので
「月別」のタブから参照してくださいね。

そしてふたたびペンFT

そして先月末…マミヤを入手した同じ週の週末
また使わないカメラをゴロゴロとバッグに詰めて「いつものカメラ屋さん」へ。
じつは現像出しに行ったさいに、いつぞやに手放したペンFTの出物をみてしまい、居ても立ってもいられなくて出かけたのでした。
下取り依頼して、査定金額が予想以上!でしたので
FTと、じつはフィルム入手難の春にこっそり買っていたオリンパスE-P3の、予備のバッテリをつけてもらってトレード成立。

FTのレンズは40mm f1.4
よくみかける38mmより明るいけど焦点距離が長い。
ライカ判換算で55mm以上。

またしても中古カメラウィルスの成せるわざでしたね。
まだ終息してない例のウィルスには一度も罹ってないのですが
カメラウィルスにかんしては、ピロリ菌よろしく保菌者に違いありません。(ちなみにピロリ菌もいなかった)

E-P3にはパンケーキレンズ17㎜単焦点をつけて、ほぼあいほんカメラの代わりとして働いてもらってます。

* * *

さて現在保有しているカメラですが
OLYMPUS XA
CONTAX T(2台目)
OLYMPUS OM-4tI
OLYMPUS PEN E-P3
MAMIYA 35METRA
OLYMPUS PEN FT(2台目)
……やはり高千穂光学強し。

ダメ押しはセコニックL-188

そして40代最後の日。
またレンズ探しに○タムラ入ったら
セコニックオートリーダー発見。
型番L-188
フィルム感度がASAでなくてISO表記だからわりと新しそうな気が。

これスタデラより簡単だからいいのです。
して小型軽量。
準備としては1.5vのLR44を1個セットします。

夜中に撮影したら日焼けした手が赤銅色に写ってて、見苦しかったらごめんなさい。
左手で持って人差し指でスイッチを押し、
親指中指でダイアルリングを回すのがいいみたい。
右手だとダイアル回す手がぎこちなくやりづらい。薬指は使いづらいよね。

スタデラと違い反射光式オンリー。
使い方は簡単、まずフィルム感度をセットしてから、スイッチ押して跳ね上がる赤い針に緑色の丸い追針をダイアル回して合わせるだけ。緑色の針より左2〜3段くらいが適正露出とシャッタースピードの組み合わせ。
青い目印は、バッテリーチェック用。
裏に押しボタンがあります。

精度は不明ですが、梅雨明け後の快晴の空に向けて測光したら概ね1/250・f16を指したので良いのでは。厳密なテストではない点はご了承のほどを。まあ使うのわたしだけだし。

カメラおたく、一日にしてならず

いつも以上の長文におつきあいいただき有難うございました。
半世紀生きてきたおっさんのカメラ遍歴、作例少なめで失礼をいたしました。
古いプリント探すとなったら部屋じゅう大捜索になりそうなのでご容赦いただけましたら幸いでございます。
あまぞんで買った安い防湿庫が電子レンジくらいの大きさしかなく、使わなくなったカメラの居場所がなくて売りに出し、また別のカメラがやってくる…定員制みたいなのでぜんぶとっておくことは不可能なのです。ざんねんですけれども。

しっかし「ローマは一日にしてならず」、正しい意味は理解できてないのですが、強引に援用して言わせてもらえば上の見出しの一文に尽きます。
誤解しないでもらえたら嬉しいのですが、若い人には若い人なりのフィルムカメラの楽しみ方が必ずあるはずですから、わたしのことは笑ってよみ飛ばしてもらえば良いと思いますよ! noteでそういった新しいあそび方、世界への新解釈に出会えるのをたのしみにしています。

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