君への手紙

親愛なる 君

こんばんは。

直接出会うことはなかったけれど、同じ時間を生きていた人間です。
君が地球からいなくなってしまってから、毎日、君のことを考えています。

同じ地球に住んでいる生き物として、「安らかに」「ご冥福を祈ります」「ありがとう」などでは表せない思いを抱えています。
君と私にそれほど違いはなかったと思うからです。


君が、いつか私が訪れたこともある寒くて暗い灰色の砂地の中を、息も絶え絶えに歩んでいたことを知りました。
どうにか君においしい水を差し出し、柔らかくてあたたかい毛布で包み込みたかったと思っています。

今日は、どうしても君に届けたい話があって、手紙を書きます。


『星の王子さま』を読んだことはありましたか?
ゾウをまるごと飲み込んだ「ウワバミ」の絵が出てくるのですが、本編とは違う文脈で、その「ウワバミ」を思い出しています。

ヘビは、その身体のつくりから、食べ物を丸呑みするしかありません。
が、その食べ方で消化不良になるリスクを背負っているそうです。

私のような地球でさまよいがちな人間も、どうやらさまざまなことを「丸呑み」をしようとしてしまう傾向にあるようです。
自分のことだけでなく、他者のことも。

「丸呑み」とは、さまざまな事柄を、「良い」とか「悪い」とか、「好き」とか「嫌い」で分別せずに受け入れようとするということです。
できるかどうかは別に、挑戦することです。
不器用で、そういう方法しかわからないのかもしれません。


実際君がどうだったか、確認のしようはないけれど、君がいなくなったこと自体が、君がそういう人だったのではないかと思わせるのです。


坂口安吾という作家が、『FARCEに就いて』という文章を書いています。
ファルスとかファースとか読みます。
日本語では「笑劇」とか「茶番劇」とか「道化芝居」と訳されて、一見良い感じはしないかもしれませんが、坂口安吾はこう書いています。

「ファルスとは、人間のすべてを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである。およそ人間の現実に関する限りは、空想であれ、夢であれ、死であれ、怒りであれ、矛盾であれ、トンチンカンであれ、ムニャムニャであれ、何から何まで肯定しようとするものである。

ファルスとは、否定をも肯定し、肯定をも肯定し、さらにまた肯定し、結局人間に関する限りのすべてを永遠に永劫に永久に肯定肯定肯定して止むまいとするものである。

諦めを肯定し、溜息を肯定し、何言ってやんでいを肯定し、と言ったようなもんだよを肯定し―つまり全的に人間存在を肯定しようとすることは、結局、途方もない混沌を、途方もない矛盾の玉を、グイとばかりに呑みほすことになるのだが、しかし決して矛盾を解決することにはならない、人間ありのままの混沌を永遠に肯定し続けて止まないところの根気のほどを、呆れ果てたる根気のほどを、白熱し、一人熱狂して持ち続けるだけのことである。」


坂口を支持するなら、「丸呑み」は「肯定」。
全ての永久の肯定とは、本当の愛ではないでしょうか。

君は、愛を実践しようとしていた、本当に優しい人だった。
少なくとも、外に見せていた笑顔や話し方は、私にそれを納得させます。


世界はあまりにも混沌としていて、自分という生き物もあまりにも混沌としていて、「丸呑み」は一大事だったでしょう。

自分を追い込むまで頑張った、その君のやり方に「そんなに頑張らなくても良かったのに」とは言いたくありません。
君の挑戦や苦しみ、そして不在を私は全肯定して、呑み込みたいと思います。

私が丸呑みできなくなった時は、また誰かにその私を呑み込んで貰えたら幸せです。
呑み込まれながら、全ての愛への挑戦は引き継がれていくでしょう。


だから、もう一度。

君の挑戦や苦しみ、そして不在を私は全肯定して、呑み込みます。


君には直接届かないこの手紙を、紙にインクで書いて、燃やしてみようと思います。
そうすれば、この手紙の構成要素が、いつか君を構成していたものと出会うことがあるかもしれないから。


私自身も、100年を待たず、元の構成要素そのものに戻る日が来ます。
私は、眠れない夜を過ごす誰かの心を落ち着ける夜の雨になれたらいいなと思っています。

強い日差しから疲れた人を守る木陰や、不安な人を包む柔らかい春の風になるのも素敵かもしれません。

いつかどこかでお会いできたら嬉しいです。

それでは、また。

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