2023/4/14

命が走り出す音を聞いたことのないひともいるのだということが、わたしには分からなかった。わたしは何も持っておらず、人の役にはめったに立たず、見知らぬ人だれかの1日を生かしてやることもできない。この身は有り余っている。同じ言葉を言う人間はほかにもいるが、わたしにおいては全くその通りなのだった。それも、最も低い次元で起こっているような葛藤なのだから。せめて気高く、遠くまで声の届く生き方ができれば良かった。そこでの身の余り方すら、わたしは知らずに死ぬだろう。わたしはもはや、何で出来ているのか分からなかった。春の風と湿気は、身につけた薄い布しかわたしから隔たれていない。ほんとうなのだろうか?何も分からなくなる。そこに季節さえあれば、わたしたちには何も要らなかったような気さえしてくるのだから。滅ばぬために、すべてのことに意味を見出している無邪気さよ。それが人であることの安心材料なのだった。わたしはちゃんと生きていた、分かりあえないすべての人々と同じように、共に、生きていたのだ。わたしは全く愚かであった。愚かで無くなる日は来ないだろうと思ってしまう。分からないから、だれかに裁いて欲しい。振り分けられたい。
答えが分からないのなら、だれも教えてくれないのなら、命が走り出したときの鼓動そのものを愛と呼ぼう。あなたに触れなければならぬという焦りは死の香りを伴うだろう。それは人が幸や不幸と名付けようとも、わたしには関係ないのだ。わたしたちには関係ないのだということを、わたししか知らなくて良い、それは最も日常に近いところの「滅び」である。

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