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私も「ごめんね」は言いません/書こうと思った気持ちを全肯定したい

 かわいくてヘンテコなものがたまらん!ムキュー!な おすぬぼんです。

#好きと言わずに好きと伝える

 本当にいまさらかもしれませんが、コンテストの落選当事者として再度書いておきたいと思いました。自分の頭を整理するために書いてます。

 皆さんがいろんな受け取り方をされているのだと改めて知ることができました。私は「落選した同志の皆さん」なんて書いてきましたが、不快に思われた方もいらしたかもしれませんね(強がりもあるし、一度半分茶化して受け入れたいという気持ちでした)。不快にさせてしまったのならごめんなさいです。
 他の方と喧嘩したいわけではないので、もしも辛辣なご意見があれば、あなた様のnoteに書いていただけると幸いです。

以下もくじです(2800文字くらい)



🔹書こうと思った気持ちを全肯定したい

 noteのコンテストに落選して自分なりに向き合いました。自分なりの気づきもありました。落選後の反省会↓


 次のステップに向けて前を向こうと思っている時に、この記事を読んで大事なことを忘れていた(というかちゃんと言語化してなかった)と気づきました。
 みくまゆたんさんの記事です。(リンクを貼らせていただきます)

一部引用します。

 あとは、ここで「この作品はダメだった」と私が言ってしまうと、この作品に感想やコメント、スキをくださった方々に対して失礼になってしまう。

 そのような理由から、今回応募した作品を私が否定することは決してありません。

みくまゆたんさん、書いてくださってありがとうございます。

ちなみに私の応募作品はこちらです。

 私の記事にしては珍しく100スキいただきました。もちろんコンテスト効果で読みにきてくれる人が増えたこともあるでしょう。
 ただ、コンテスト応募作としては「完璧じゃない」という後ろめたさがありました。締め切り直前の応募で、構成の練り方や文脈が通っているのかなど、まだまだ見直すところがたくさんあったと自覚してます。
 こう受け取ってほしい、こう読んでもらえるだろうという甘さがあったことは否めません。

 でも、これを書きながら昔のことを捉え直すことができたり、自分自身と「ほんとうの話」をする糸口がつかめたような気がしたんです。

 コメントをくださった方、ほんとうにうれしかったです、ありがとうございます。スキを押してくださった方、ありがとうございました。何かを受け取ってくださったのだとうぬぼれます。
 私の反省記事は、コメントを寄せてくださった方、スキを押してくださった方々への配慮が足りなかったでしょうか(出た!配慮侍!とか言わないで。#いや言ってもいいか)。でもみくまゆたんさんのようにきちんと言語化していませんでした。

 応募作としての精度は確かにアレだけど、この記事を書けたことが嬉しかったし、胸がバーっと全開するような(抽象的な意味ですよ)書きたい!と思った気持ちは全肯定したいと思っています。


🔹審査基準は誰のもの?

 人はなぜコンテストに応募するのでしょうか。お金、承認欲求、色々ありますが、私の場合はうっすらとだけど「見出されたかった」「目の肥えた人に読んでもらって講評を受けてみたかった」というのがあります。(おまえごときが何を言う〜とかは今はやめて)

 明かされた審査基準について個人的に思うことがないわけではないですが、相手の土俵に上がった以上、まな板の上の鯉、審査の基準は主催者様のものだと思っています。なので真摯に受けとめたいと思いました。
 (藤原さんの有料記事を拝見しましたが、「本気で選ばれたいなら戦略的であれ」というお考えだと理解しています。ある意味それとリンクした内容だったと思いました)

 めぐみティコさんはこちらの記事の中で、審査基準を聞いて筆を折ってしまう方がいるのではないかという心配と、「なぜ書くのか」というテーマと審査基準が合致していないのではないかと指摘されています。

 この記事でおっしゃっている「主催者と応募者の信頼関係あってこそ」というのはその通りだと思いました。他のコンテストを知らないので世間一般に理想的なコンテストがどのくらいの割合で存在するのか私にはわかりません。
 主催者側も応募する側も良識が求められるし、応募する側はコンテストの趣旨をよく理解して(選ばれる側だけど)「コンテストを選ぶ」くらいの気持ちでいないといけないのかもしれません。

 それと、コンテストで選ばれるための記事と、自分のために書いたり好きに書くnoteは別ものでいいんじゃないかと思います。
 コンテストで落とされても好きに書く自由は誰にも奪えないです。キリッ


🔹私もごめんねって言わない

 結果発表の本編(落とした理由)は、上に書いたように真面目に受け取りたいと思いましたが、読んだ時からずっと気になっている箇所がありました。
 記事のコメント欄に書こうか書くまいかずっと迷っていました。

この記事のこの部分

「落としてしまってごめんなさい」なんて死んでも言いません

 太字でリフレインされてましたよね。
 ここは記事の最後の最後のところ。本編じゃないところ。おせんべいのパッケージでいえば「賞味期限は欄外」欄外に当たるところです。

 重箱の隅をつついてるようで逡巡しましたが、私、藤原さんの有料記事を何本か購入しています。僭越ではございますがあえて書かせていただきます。
 どんな一文もおろそかにしない、どこを切り取っても「知らんがな」にしちゃいけない
、というスタンスですよね。なんですけど、


この一文、本当に意味が(意図が)わかりません!


 いきなり畳にドスを突き刺したような、離れたところで綺麗な猫さんがシャーって威嚇してるような。応募者はまな板の上の鯉。生殺与奪は奪われてる。コンテストってそういうものなんだという実感。落選の事実。重いつづらに入ったお土産。
 少なくとも私は主催者様の土俵で、まな板で、さばかれることを了承しています。意図がわからない。「知らんがな」というより突き放されたようで悲しかったです。

 それにしても「ぶちのめしてこい」とか「死んでも」とかワードが強いんよー(千鳥ノブ風)

 それと、これは完全な重箱つつきですが、背負っていた重荷から解放された清々しさからだと思いますが、最後の映画のくだりは私は受け入れられませんでした。楽しんでくださいとコメントされてる方がいましたが私はそこまで優しくなれませんでした。
 何回でも言いますが重いつづらのお土産をもらったと思ってますから。

 向き合ってくださったことに心から感謝しています。

 人間は完璧じゃないです。
 意図はよくわかんないけど私もごめんねは言いません。


 この記事が主催者様に届くかわからないし、自分の頭を整理するために書きました。ここまで読んでくださりありがとうございました。

 この記事を書きながら、自分の書きたいこと、書いてどうなりたいかを改めて考えさせられました。それとnoteというSNS社会についても。

 それではこれにて。


最後までお読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたら幸いです。「スキ」ボタンが励みになります。