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16歳の前と後(後編)

ごきげんよう、おすみです。

今日は地獄の高校1年を耐えた後の話をしたいと思います。

1年生は不登校や保健室登校を繰り返しながら何とか進級しました。

おすみが通っていた高校は進学校でした。
他の進学校も大体そうだと思いますが、2年に上がる頃に文系理系かの選択を迫られます。
この高校には当時、それ以外に数学と理科に特化した数理コース英語に特化した英語コースという独自のコースがありました。

4つのコースからおすみが選んだのは英語コースでした。
理由はネガティブなもので、唯一点数が良かった科目が英語だったからでした。

そして迎えた2年生の4月。

  • 大丈夫かな?

  • またハブられないかな?

やはり前年度の事が頭を過り、始業式は不安しかなかったことを今も思い出します。

教室がすごく広く感じました。

それもそのはず。
実はこの英語コースが一番人気のないコースで、その年は1学年400人いる中志望者がたったの25人、更にその内男子は7人しかいませんでした。

他に例えるなら、商業高校や短大のような雰囲気というとわかりやすいかな?

結果から言うと、英語コースを選んでよかったと思いました。

英語という世界共通言語を極めるコースなだけあってか、スクールカーストなんかに捉われない自由を求める25人が集まっていました。
その環境のおかげで学校へのトラウマが一気に払拭できた気がします。

文化祭で発表した英語劇に、男子全員相部屋の修学旅行。
クラスマッチも男子の人数が少なすぎてルール的にバスケットボールしか参戦できませんでした。
『おすみは出なくて大丈夫』
とはっきり言われたときは多少ショックでしたが無視されていないことを実感できてむしろうれしく感じました。

楽しかった思い出しか残っていません。

環境に恵まれたからだと思いますが、成績も1年次より上向きました。
3年生の頃には指定校推薦枠がいただける評定平均値に達し、何とか卒業と進学を無事に決めたのでした。

たぶん、普通に大学受験していたら普通に落ちていたと思います。

めでたしめでたし。


執筆しつつ自身を振り返ってみて、良くも悪くも実家にいた頃は今につながる経験をたくさんしていたのだと感じました。

地元から逃げるように大阪へ飛び出して20年余り。
すっかり大阪にいる時間の方が長くなりました。
大阪でもたくさん人生つまづき転倒しましたが、そのことを振り返るのはまたの機会にしたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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