基本的にひとりで埋まる

後輩と長電話をした。
知り合って8年になる。もうそんな経ったのか。今書きながらびっくりした。

彼女はいつもわたしに急に連絡をしてくる。
「週末ご飯行けませんか?」「今電話できますか?」
会う日時の約束とどこに行くかしかやりとりしない。

わたしは雑談LINEの無意味なやりとりがとてつもなく苦手だ。決めたいことが一向に決まらず返信が遅いとなるともう苦手も苦手。必要なやりとりを必要な瞬間にだけしたい。通知のバッジが画面上に出ていると延々終わらないタスクが残り続けているような気さえしてくる。

だから彼女とのやりとりはいつもちょうどいい。要件がある時にしか来ない。誘いが来るときは何かわたしに話したいことがあるのだ。そしてその役目はきっとわたしにしか務まらないのだろう。そう思わせてくれるところも、ありがたい。
わたしは自分から人を誘わないし、定期的に声をかけてくれる彼女はある意味特別な存在だったりする。


今回の電話の目的は、専ら彼女からの相談だった。
会わずして今話したいということはどう考えてもタイムリーなことで、今聞くことに意味があるのだ。察した。

内容は至ってシンプルで、彼氏さんの話だった。
「どうしたらいいですかね」
わたしは常に “自分がいいのがいちばんいい” “自分が楽しくいたい” “自分でいいと思える自分でありたい” が念頭にあるので、悩んでいること嫌だと思うことは全て当人に言ってしまえ!タイプの人間である。彼女にもそう伝えた。

「どう伝えたらいいですか」
「わたしに今話してる通りそのまま言ったらいいよ」

2人で乗り越えようと思えたならきっと大丈夫だし、ぶつかり合った結果乗り越えられないなら、それはもう遅かれ早かれお別れをする運命だったのだ。例え壊れてしまう怖さがあったとしても、伝えようという意志と分かり合おうとする寄り添いは何よりも大切だ。

ただ、いろんな人に話していろんな意見を聞いて最後にどうするかを決めるのはあなただ、と念を押しておいた。わたしの中の正解が彼女にとっての正解ではない。強要はしない。
自分の人生の選択は自分でして、納得して行動を起こして、乗り越えてほしい。

「つらい時どう過ごしてますか?」と聞かれて、そんなこと考えもしなかったなと思った。
思い返して、わたしが彼女に返したのは「表現に触れる」だった。
本を読む、映画を見る、お笑いを見る、歌を聴く、歌を歌う、ピアノを弾く、文章を書く、好きな文章を声にする、ひとりで録音する、それを聞き返す。
ね。基本的にひとりで埋まる。

もちろん彼女にそうしろなんて言っていない。わたしはそうだっただけで、何の参考にもならない毒にも薬にもならない返答をしてしまったなと思った。

最近よく思うのが、誰かと一緒にいるためにはまずきちんとひとりでいないといけない、ということ。確かに誰かと時間を共有できると、とてつもないパワーが湧くし単純に楽しい。けれど、輪郭を保つためにはまず自分を自分で成立させていないといけない。ひとりで得たもの感じたものは大切な人と関わりを続けていくための過程に役立つはずだ。
そしてつくづくわたしは表現に生かされているなと思った。
感情を言語化するために、最適な表現を創作物から得たい。そしてわたしはそれを元に人に伝えたいのだ。

しんどくて全てが嫌になっても、わたしは表現に触れて表現をして超えていくのだろう。相談の電話からここに着地するの、一体何なんでしょう。


今週末、また彼女に会うことになりそう。
彼女にとってのつらい時の過ごし方にわたしが入っているのなら、それには喜んで応えてあげよう。わたしは、わたしにしかできないことで人のためになりたい。その取り組みがただ好きなのだ。
またカラオケに行って、ラブソングか、はたまた失恋ソングか、ふたりで歌おう。



おおすかちゃんを!あなたの力で!生かしてたもれ!✌︎