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【洋書多読】Ophie's Ghosts(186冊目)

『Ophie's ghosts』を読了しました。

基本的に洋書の多読でハズレを引くことはあまりないですが、この本はめちゃくちゃ面白かったです!

本書は僕が以前やっていたTwitterで、多読クラスタの人たちが「Kindle版が安くなってるよー」ってつぶやきあっているのを観て購入を決意したのですが、買ってよかったです。

幽霊と話せる黒人少女の物語

舞台は1922年のアメリカ、ピッツバーグです。主人公のOpheliaは黒人の女の子で、父の死をきっかけに、当時まだ黒人差別が苛烈だった南部のジョージアを出て、比較的自由だった北部のピッツバーグ(ペンシルベニア州)に移住します。

引っ越した先の親戚の家から働きにでることになったある白人の差別主義者のお屋敷に住む(取り憑いている)幽霊たちとの対話をメインに、物語は進んでいきます。そして彼女に対して唯一親切にしてくれる「他者」であるClaraと出会うところからお話は急展開していくわけですが、このClaraが実は幽霊で、彼女と心を通わせるようになったOphieは、Claraを成仏させるため、彼女の死の真相を暴くために奔走する…というのが物語の経糸です。

これだけ読むと、単なる子供向けのフィクションのようですが、これがなかなか深い味わいを持っています。どういうことでしょうか。

語ることの意味、強さを物語る小説

『Ophie's ghosts』は、「物語ること」の意味を考える上で、大変価値のある物語だと、読了後に思いました。

Ophieは、このお屋敷に取り憑いているたくさんの幽霊に「自分の物語を語らせる」ことで、その幽霊を成仏させていきます(アメリカだから仏にはならないのか)。と言うか、語らせることで、彼らが安らかに眠ることができると言うことに気がついていくんです。

そしてそれが、「死者と対話できる」という不思議な能力を授かった自分に課された使命なんだ、と。

この豪邸に取り憑いている幽霊の多くは黒人で、自分がどうしてその豪邸に取り憑いたまま成仏できないでいるのか?を上手く言うことができません。それを一つ一つ語らせていくOphieの強さは、トラウマ治療に当たる臨床心理士のようです。

トラウマというのは「言葉にできない心の傷」が、抑うつ・不安や強迫症状その他の精神症状として回帰することになる、その原因となるものです。

この「言葉にできない」「どうしてそうしてしまうのかはわからないが、そのようにしてしまう」というのがトラウマのミソで、これが「了解可能な物語」となるようにカウンセラーとクライエントの間で「物語」を紡いでいくことが、カウンセリングということの骨法です。

アメリカ人の「トラウマ観」の変化を垣間見ることができる一冊

僕がこの本を興味深く読むことができたのは、アメリカ人が構造的に、この「語り得ないものがトラウマの正体である」というトラウマ観を採用するのを拒否し、PTSDなどといった「わかりやすい心的外傷=語り得るもの」を生きづらさ、息苦しさの原因として採択する傾向があると思っているからです。

でも、本家であるヨーロッパの精神分析は、この「語り得ないもの」に一定の価値と居場所を与えているように僕には思われます。つまり、アメリカの精神医学・心理学は、フロイトのこの概念を輸入してくる際に、なにか大きな勘違いをしてしまった、ということです。

だから、精神分析の先生の中には、アメリカ人はトラウマの意味を理解できない、ときっぱりいい切ってしまう人もいます。

こちらはちょっと話の筋とは外れますが、ロシェル・カップさんという人の「アメリカ人は反省しない」という文章です。

アメリカ人が徹底的に因果主義者で、物事の原因をすべからく言語化し、それに対して何らかのアクションを起こさなくては気がすまない人たちだ、ということの幾ばくかがおわかり頂けると思います(もちろん、異論反論も多そうな文章ですが)。

けれど、今回この『Ophie's Ghosts』を読んで、アメリカにおけるそういう世界観と言うか価値観も少しずつ変わってきているんじゃないかな?という印象を得ました。

新自由主義的な競争による貧富の格差とか、Black Lives Matterのムーブメントとか、これまで採択してきたアメリカ的な理想主義、正義の形を推し進めていった結果生じてきた歪みが今、社会全体に牙を向いている。そんな彼の国の流れを感じるのはそう難しいことではないと思います。

大切なのは「相手を打ち負かすこと」ではなくて「声にならない声に耳を傾ける」こと

黒人差別や原住民の殺戮は、アメリカ人が必死になって言語化することを避けようとするものです。まさにトラウマそのものじゃないですか。彼らは黒人やインディアンを苦しめたという事実によって、自分達が傷ついているんです。でも「理想の国」だからそれを正面から認めることはできない。そうやってその傷は「語り得ないもの」として、無意識という闇に沈殿していくんです。

そうやって「語る」ことを抑圧されたトラウマがある種の症状として回帰していることが、、アメリカの今日の社会問題を覆っている原因だと考えることはそんなに突飛なことではないと思います。

これまでのアメリカなら、黒人差別に対しては「白人を攻撃する」という形で、つまり白人の特権を告発し、それを非難し、そのことを通じて黒人にも「同様の権利を」と声高に主張するという仕方で社会的な不公正を是正しようとしたはずです。かつての公民権運動とかフェミニズムの例を引くまでもないでしょう。

もちろん、これらのムーブメントが公正な社会の実現に寄与してきたことを認めるのにやぶさかではありません。でも、同時に、そうすることで語ることを抑圧されてきたものというのがあって、そうやってアメリカ的な集合的無意識の領域に押しやられていったものが今、症状として回帰してきている。そう考えることもまた、当を失しているとは思われないのです。

作者であるJustina Irelandは、その無意識下に抑圧されたトラウマを白日の下に晒すための回帰点を、今からちょうど100年前の1922年に設定しました。手段は「声にならない声を聞くことができる」少女を主人公にした鎮魂の物語を紡ぐことです。

この企てがどのように帰結するのかは僕には想像もつかないけれど、少なくとも、この物語が世代を超えて読まれているという当の事実が、この物語の、物語ることの、有効性を証明していると思います。彼らは直感的に理解しているんです。アメリカを救うことができるは、アメリカが語ることを拒否してきた物語を、白日の元に晒すことだということに。

物語自体の展開も秀逸な「ページターナー」

本書は、渡辺由佳理さんも「ホラーと悲恋が混じったページ・ターナーの児童書」として、ご自身が運営されているブログ「洋書ファンクラブ」で絶賛されています。

この中で、渡辺さんは

南部のアフリカ系アメリカ人に伝わる民間信仰(この場合は幽霊)を扱ったホラーだがとても怖い内容ではなく、どちらかというとミステリであり、胸にじ〜んとくる悲恋物語だ。
アメリカで工業が栄えてきた1920年代は、禁酒法時代でもあり、ジャズエイジでもあった。大恐慌が起こる前のピッツバーグの雰囲気も感じられる歴史小説としても読めるなかなかのスグレモノ児童書。

(『洋書ファンクラブ』HPーOphie's Ghostsーより引用)

僕はここに「アメリカという病の治療に一筋の光を与える、トラウマ治療の物語」

という評価を加えてもいいんじゃないだろうか?そんな風に思っています。


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