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【洋書多読】Book Lovers/Finding the Mother Tree(未読)

毎回読み終えた洋書の感想、レビューを通じて「洋書多読」の魅力をお届けしているこちらの連載ですが、今回は「読了できなかった洋書」のご紹介です。

2018年8月に英語力UPの目的で洋書の多読を初めてかれこれ5年近くになりますが、数年ぶりに多読三原則の「合わなかったら投げる(読むのをやめる)」を経験しました。

しかも2冊連続で…。これは初めての経験です。

今回は、読了に至らなかった・・・というより読み始めて早々にリタイアしてしまった2冊について、読むのをやめてしまった理由をシェアさせていただきたいと思います。

Book Lovers(4月25日・4月29日)

まず一冊目は『Book Lovers』という文芸小説です。

渡辺由佳里さんのブログ「洋書ファンクラブ」で紹介されていて面白そうと思ったこと、英語レベルも「7」とされていて、これまで渡辺さんのサイトで「レベル7」と紹介されていた洋書を何冊か読了したことがあったので今回もいけるだろうと思い手にとりました。

昨年の夏に1ヶ月ほど滞在した東京でだいたい毎日通っていた新宿紀伊国屋の洋書専門店で大々的にメンチンされていたのも、本書が気になっていたきっかけです。それが渡辺由佳里さんのブログで絶賛されていたものだから「これは読まねば!」と思ったというわけなんです。

しかしながら、読み始めてたった2日で脱落しました。

1つ目の理由は「笑うところがよくわからない」というところだったと思います。2018年、洋書多読と時を同じくして始めた「英語多聴」。毎日欠かさず英語のポッドキャストを聞きつづけ、おかげさまでCNNくらいなら割と楽に聞けるようになりましたが「コメディ」のたぐいはいまだに全く聞いたり読んだり出来ないんです。

というか、面白いところがどこなのかがわからないという感じです。実生活でも周囲が笑っているのに自分一人だけ笑えない、という状況はなかなかつらいものがありますが、それを多読・多聴で経験するのもまた結構悲しいものがあります。

『Book Lovers』の英文がちょっと難しいと感じたのもまた、読みすすめるのを断念した理由の一つです。渡辺由佳里さんによれば、「ネイティブの大人が娯楽として気楽に読めるレベルの英文」なのだそうですが、単語はもとより、文法的にも意味が取りにくい/取れないところが多々ありました。

上述の「多読三原則」には「わからないところは飛ばして読む」というのがあります。わからないからと言っていいちいち立ち止まって辞書や文法書を調べるような読み方をしなくても、前後の文脈から意味は推測できる。だからそういう「お勉強的な読み方」はやめなさい、という原則です。

これって一見でたらめなようで実はたいへん理にかなった英語学習法で、僕はこの妙に力の抜けた感じがする学習法が性に合っていたために、多読で英語力をぐんぐん伸ばしていくことが出来たのですが、さすがにこのレベルの洋書で「飛ばし読み」はちょっときつかった、というところです。

Finding the Mother Tree(4月27日〜28日)

一方の『Finding the Mother Tree』はSuzanne Simardという植物学者の女性が書いたノンフィクションです。

こちらもまた『Book Lovers』と同じように、渡辺由佳里さんのブログで紹介されていて、レベル7で、という作品です。こちらも渡辺さんが絶賛されていたので、手に取ることにしました。

「木が対話することを発見し、「マザーツリー」の概念を広めたパイオニアの女性科学者スザンヌ・シマードの回想録」という表題がすでに良書の香りを漂わせています。

渡辺さんのキャッチーなブログタイトルは、当時和歌山県の山深いところにある世界遺産の巡礼の道「熊野古道」で生活していて、毎日聖なる森の中を歩いていた僕のハートを射抜くのに十分だったのでした。

同ブログ内で紹介されていた著者のTEDトークもとても聞きやすく、字幕なしでも十分理解できるものだったので、これならきっと書籍の方も読めるに違いないと考え、Kindleで購入した次第です。

こちらは固有名詞である「植物の名前」にやられました。もうとにかく次から次に出てくる森の植物の名前が全くわかりません。

しかしこれはある程度予想していたことではありました。洋書多読を始めた頃からずっと、しばしば登場する外国の商品名や会社名、地名などの固有名詞は基本的に僕にはわかりません。そこをいちいち凹んでいてもしょうがない、というのは経験上理解しています。

そしてこの「(固有)名詞がわからない」洋書というのは、最初のうちに未知の単語をまとめて調べておけばあとは大体読みやすくなると相場が決まっているというのもまた長年の多読経験から熟知しているつもりだったので、ここは逆に「多読三原則」に逆らう感じで、単語の意味(=植物の名前)をいちいち調べながら読み進めていったんです。

が、程なく、植物の名前にとどまらず、本書には僕にとって植物の名前と同様に、未知の動詞や形容詞が溢れていることにも気が付き始めました。

つまり、今の自分の英語力を遥かに超えているレベルの本を手にとってしまっていた、ということです。

本書に関しては、多読三原則の「辞書は引かない」というルールが洋書多読の楽しみをいかに担保してくれているか、ということを痛感した一冊でした。

言い換えると、この原則は単に辞書をひくことを禁止しているというよりもむしろ、読書の面白さを損なうような振る舞い全般への自制を促してくれていると解釈すべきです。

興味のある本を手に取るのは大変に良いことですが、不明単語を「推測」しながら読むのでは意味の理解が到底追いつかない本を読破しようとするのははっきり言って無茶ですし、英語が嫌いになってしまう理由の最たるものの一つです。

僕たちは学校英語で、そして受験英語でそのことを嫌というほど思い知っています。そんなテイストを本書から感じることになったので、せっかく購入した本ですが、この本も読了を諦めることにしました。

「多読三原則」の大切さを改めて痛感させてくれた2冊

そんなわけで今回は、読了に至らなかった2冊の洋書について考えてみました。

そこから見えてきたのは「多読三原則」の重要性でした。「辞書は引かない」「わからないところは飛ばす」「難しかったら投げる(読むのを中断する)」これらは、繰り返しになりますが「読む」という行為の面白さを担保するのに非常に重要な英文テクストとの向き合い方だった、というわけです。

おかげさまで、読むのが苦痛な英文を無理して読むことで英語が嫌いに・めんどくさくなってくるという症状を回避することができたと考えています。

が、これがなかなか一筋縄では行かず…この次に読了した『Howl's Moving Castle』もまた、非常に厳しい読書体験となったからです。

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