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【洋書多読】Because of Winn-Dixie(178冊目)

『Because of Winn-Dixie』を読了しました。

YLレベル(読みやすさレベル)3.5くらい、決して難しい洋書じゃないですが、内容はとっても温かくて素敵です。

「きいてほしいの、あたしのこと−ウィン・ディキシーのいた夏」という邦題で翻訳版があります。
実写版の映画もあるみたいなので、そちらも見てみたいです。予告編を見た限りでは別に字幕がなくても観れそうな感じでした。

疲れた脳に心地いい洋書

このところお仕事がとても充実していて、どれだけやっても仕事が片付くということがありません。

一日が終わる頃にはもうクタクタで、知らないうちに眠ってしまうこともしばしばです。そんな僕がいま滞在している小豆島で、リラックスのためにやっているのが「近くの海を見に行くこと」と『Because of Winn-Dixie』を読むこと、でした。

本書のレベル感からすると、今の僕には学習効果が一見薄いように思われますが「ネイティブがネイティブに向けて書いたコンテンツの多読」は、そのレベル感とか内容がどのようなものであったとしても、学習効果は極めて高いと思っています。

むしろ、脳が疲れ切っていてもきちんと意味が取れる内容であること、というのがかえって好ましいくらいだとすら思います。変に難しい学習をやったり、難解な洋書を読んだりしても、コンディションが悪ければインプットした英語なんてすぐに反対側から出ていってしまう。中が空洞のホースみたいなものです。

それならやっぱり、自分の英語の滋養になるようなやり方でインプットしたい。

そして疲れている時の最良のINPUTは「やさしい英語を大量に」これにまさるものはないです(もちろん疲れていなくても「やさしい英語を大量に」は大変効果的な学習法です)。

英語学習期間が長くなるに連れ、易しい英語の大切さに気づく

英語を学び始めた当初は「英語ができるようになるにつれて、読む英語のレベルも上がる」って純粋に思っていました。

でも、実際に自分が英検一級に合格したり、お仕事で英語を指導させていただくようになってみると、むしろネイティブの小学生レベルの英語が、基礎を固めていく上でも本当に大切なんだ、と思うようになってきたから不思議なもんです。

最近『黄リー教』(基礎文法から学ぶ英語リーディング教本)という学習参考書を少しずつ読み進めていますが、この本を読んでいると、英検一級に合格できるレベルの英語力でも、自分の英語の「読み」がすごく粗くて適当だった、ということに気づきます。

もちろんこう言ってはなんですけれど、一般の英語学習者の方よりは読める文章の種類、難易度は広範に渡ると思っています。ざっと読んで大意をつかむという読み方も重要なのはよく理解しています(その読み方でここまで英語力を持ってくることができたのだし)。

でも同時に、ここからもう一歩先に行こうと思ったら、今までみたいな「80%の読み」ではダメなのかも知れない。少々粗いような「読みの網の目」をもっともっと細かくして、より細かなニュアンスや英文の表情を掬い取れるようにならなければいけない。

そのためには、文法に関する知識を深めつつ、同時にうんとシンプルな英文をたくさん読んで、その文章の持つ構造の基礎的な理解を深めていくほうがいいんじゃないか?と。

そして『黄リー教』にあたってから実際に『Because of Winn-Dixie』レベルの洋書を読んでみると、たとえ文意は正確に読み取れたとしても、その文章の構造を100%正確に把握して読めてはいない自分に気が付きます。

「文意はつかめる」と「構造が100%解っていない」の間を架橋するものの中に、自分の英語力をもう一段引き上げるためのヒントが隠されているかも知れない。随分非論理的な思考ですが、直感的に、今の自分の必要なのは「シンプルな英文を正確かつ大量に読むこと」だと思っているんです。

児童書の中に散見される「構造を正確に把握できない文」の数を減らしていくために、シンプルな英文で書かれた英語を大量に読む。また新しい多読の沼にハマっていっているようですが、面白いんだからまあいいか、っていう感じです。


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