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究極の平和な心の状態へ行く道筋、方法。悟り?

仏教では、無我の境地、無念無想明鏡止水や涅槃とも言う、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界。
つまり究極の平和な心の状態へ行く方法に気が付きました。
通常ヨガや瞑想をして自分は何を考え行動しているのか客観視すると良いと言われていますが、その他の道筋、方法が分かりました。

人間の本能 欠乏感という煩悩

人間には欠乏感があります。これは本能です。
太古の昔から生き延び発展するために必要だったもので、あって当たり前です。
誰でも持っている欠乏感。煩悩とも言います。
有っていいのです。

欠乏感。そもそもそれは煩悩が本能が作り出したまやかしという事に気づく。

通常の心理状態では欠乏感が心をチクチクします。平和を乱します。ではどうすれば仲良くやってゆけるか説明します。

一足飛びに欠乏感を無くす方法はありません。ゆっくりじっくりしかありません。

物や動作を一つづつ丁寧に感じて観察しましょう。
その方法はお片付けの近藤麻理恵さんも、お洋服を畳むとき愛を込めて、やさしく撫でながら愛しく思いながら畳みましょうと発信しています。
書道家武田早雲さんも丁寧道として、歯を磨く時にじっくり感じるなど本に書いていますし、ネットでもお話されています。

一つづつ丁寧に全ての事を感じましょう。そうすることで「有る」を感じられます。
ココ大切。「有る」を感じるのです。

一つ一つ丁寧に向き合うと、自分はすでに全てを持っていたと気づけます。
私はすでに持っている。
世界に愛されていると気づけます。
全ての欠乏感は気のせいで、私はすでに持っている。すでに有ると心の底から気がつけば良いのです。

有る事に気が付けないと無の世界、究極の平和な心の状態を感じられません。

これは陰と陽の法則です。
無い無いと無いもの探し(欠乏感)をしていると、有るに気が付けません。
すでに持っている事に気が付けば、無い(欠乏感)を手放せます。
プラスマイナスゼロの世界に行けます。

有るを感じると有難い気持ちになります。
愛を感じます。
全ての物、事に有難く愛を感じられるようになってゆきます。
お年寄りの様に「あー。ありがたいねぇ」が一日中続きます。
ぬるま湯に浸かっている気分です。

究極の平和な心の状態ってどんな感じ?

ありがたいねぇが続くと静かな良くも悪くも無い中庸の精神状態を感じ始めます。

今、私はここのゾーンにいます。
人間らしく色んな感情もありつつ、世界に身を委ねつつあります。
昔よりもこだわりや強い感情、人からどう思われているか気にする心が減りました。
安定した幸せ、満たされた思いと、ちょっとした不幸、薄い欠乏感を感じます。
幸せと不幸はワンセットです。プラス2(幸せ2)とマイナス2(不幸2)がある感じです。
今まではプラス6(幸せ6)とマイナス6(不幸6)といった感じでした。
心の起伏がジェットコースター並みでしんどいです。
人間必ずプラスとマイナスは同じ数です。陰陽の法則です。

この少し先にある悟りの入り口が1番幸せな状態だそうです。
プラス0.5(幸せ0.5)マイナス0.5(不幸0.5)位?
それが上記のあーありがたいねぇ。と有るが薄く感じられる時です。
ほんの少しの有ると、ほんの少しの欠乏感。

さらに悟りが進み、私は全てを持っていると腑に落ちると、究極の平和な心の状態、悟り、無の世界を感じられるようになります。

幸せも、欠乏感もない無の世界に入って行きます。
それはこの世界に完全に身を委ねると言うこと。
それはワンネスと一体になると言う事、
それは、自分の動きを内側から、へーそうなのかと見つめる事。
ある意味自分が居なくなると言う事。
自分が世界になり、世界が自分になるという事。

視座が高くなる

このプラスとマイナスの差が少なくなってくるとなぜか視座が高くなります。
心の荒波が落ち着くと広い視点で物事を見れる様になります。
何故かな?今の私にはわかりません。すいません(^_^;)

私は悟りの境地に行った事は無いけれど、だんだんとみえて来ました。

生きづらさから心理学にハマり、10年ずーっとトラウマ解消ワークをしていたらこんな事を書く人になりました。
一体私はどこへ向かっているのだろう。人生面白いですね。
それでも、興味のある方へただ行くだけです。
きっとそれが私の生きる道です。

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