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乳がんかもしれない不安 のち どうでもよくなる

生検の翌日、右胸の脇に貼られた大きなテープはそのままに一日を過ごした。
肌が弱いため、粘着力の弱いテープを貼ってもらったから問題ないはずだ。
看護師さんに翌日にはテープは剥がしてお風呂もオッケーと言わていたが、私はまだそれを剥がすことで思い知らされる現実を直視できずにいた。

病院から帰宅して、すぐに乳がんについて調べ始めた。
私のしこりは1センチに満たないそうだから、転移さえなければステージ0か1に当てはまりそうだ。
そうであれば10年後の生存率は90%以上と非常に高い。
ほっと安心できそうな数字ではあるが、10年て…10年なんてあっという間だ。
不安と、じゃあ11年後はどうなのかと焦りが生まれてくる。
乳がんは長く付き合う病気だそうで、10年という期間が一つの区切りなのだということは理解できる。
しかし目と鼻の先の短い時間に、若干の絶望を覚えずにはいられなかった。

私はこれまでの人生で一体なにを残せただろうか。
ない。
形にできたものは何一つない。
中年期に入り、ようやく自分のために人生を生きようと心に決めて、輝かしい未来を思い描いては心躍らせていただけに、かなり滅入った。

子どもたちはどうなるんだろう。
教えてあげたいこと、やってあげたいこと、まだまだたくさんある。
仮に私がいなくなって、夫一人になってしまったら、この家は荒れ果てるだろう。
義父母の存在、再婚や転居転校、そうした生活環境の変化から生まれるであろうキーワードが次々と浮かび、
そしてそれらはいい悪いは別として、子どもたちに影響を与えることは間違いない。
自分の人生を生きよと常々伝えているが、まだ自立でず受け入れるしかない年齢だ。
できれば落ち着いて、今のままの生活を送らせてあげたい。

GWの前半、ぐるぐるとそんなことをずっと考えていた。
食欲は失せ、食べられるけどもういいかなと、食事の手が止まることが増えた。
代わりに甘いものをよく食べた。
ちょっとクッキー、ちょっとチョコレート、ちょっとアイス。
GWだからと、こじつけの理由でケーキも食べた。
お酒も飲んだが、休みの期間連日飲むことはなく、平常通り土日だけ量も控えて愉しんだ。

そうして毎日毎日自分を甘やかし、もんもんと考えているうちに、やがて全てがどうでも良くなってしまった。
乳がんかもしれないけど、そうではないかもしれない。
よくわからない状況は不安でしかないが、今、このあやふやな段階で悩んだところでなにも解決策は浮かばないし、「乳がんではない」とはならない。
考えることを「やめた」ではなく、「飽きた」といった具合に私はあれこれ思い悩むのをやめた。

GWの後半は、のんびりと時間が過ぎていった。
のんびりといっても、子どもたちは学校や塾の課題に追われていて、そのフォローをしていたから暇ではなかったが、概ね平常運転といった感じだった。

私個人では、少し前から読んでいたアファメーションについての本を更に読み進め、学んでいた。
アファメーションというのはコーチングの手法で、自分自身に語りかける言葉を否定ではなく、前向きなものにすることで未来を切り拓くものだ。
この頃の私のメモには、乳がんへの不安を吐露してくよくよとしていた日が数日続いていたのが、
いきなり「私は素晴らしい人間だ」「私は価値があり、成功する人間なんだ」という言葉が記されている。
振り幅が大きすぎる心の急展開に、自分自身「こいつ大丈夫か」と思ってしまうが、
それだけ不安で、必死で未来を見て、生きようとしている自分が透けて見えるのもなかなかに切ないものがある。

不安しかない2週間を過ごすと思っていただけに、思いのほか静かに過ごせたGWはいい時間だった。

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