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「好き」がわからない人へ

「好きという気持ちがどういうことがわかりません」
「この気持ちが好きという気持ちなのかどうかわかりません」
「そもそも好きって何ですか?」



こういう相談が私のところには結構きます

ツイートで書くには私の文章力では文字数の制限上纏め切れないので、久しぶりにnoteで書いてみようと思います

まず、「好きって何?」という問いに対しては、「自分の“好き”の定義は自分で決めたらええやん」という回答になりますし、私も質問を受けた際にはこう返しています

ただ、これで納得できる人って少ないんですよね
正直な話、「好きがわかりません」という質問を受けたときに、その質問の内容が私にはわかりませんでした
「なんでわからんの?」というのが率直な感想でした

そもそも「好きの定義を決める意味」ってあるのかという考えもあります

「定義」という言葉の意味は、デジタル大辞泉によると
1 物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること。「敬語の用法を定義する」
2 論理学で、概念の内包を明瞭にし、その外延を確定すること。通常、その概念が属する最も近い類と種差を挙げることによってできる。


ということなので、「好きの定義」を考えるとなると、「好きという感情は●●●●である」という風に記述ができるってことですよね

けど、これって怒っている人に対して「あなたの感情は本当に怒りなのか、あなたにとって怒りの定義はどんなものか、なぜ今の感情を怒りだと判断したのか」っていう風に問うのが無意味であるように(うるせぇ、俺は今怒ってんだよってなりますよね)、感情の定義を定めることってあんまり意味がないとも思うんですよね

なぜならば、感情の定義がどうであれ、本人にとっては、「今どのような気持ちになっているのか」のほうが圧倒的に大事で、感情は定義の通りに動いてはくれませんし、定義というのはせいぜい後付けでその時の気持ちを分析する際に、「あの時は怒ってたな」とか「あれは嫉妬だな」という風に使うくらいで、感情の名前がなんであるかということをついては、本質的な問題ではないんですよね
感情なんて揺蕩って当たり前なのに一つの定義にあてはめること自体がナンセンスだとも思います

じゃあ本質的なこととは何かというと、自分はどんな感情になっていて、自分はどうしたいのかということであって、それ以外の「それはどのような背景から来ていて、その結果として自分にどんな影響があって、その影響は自分にとってプラスなのかマイナスなのか」みたいなややこしそうなことはどっかの太ったカウンセラーにやらせておけばいいのです

とはいえ、「自分の好きは自分で決めましょう」「そもそも定義なんて決めなくてもいいんじゃないの」という回答で、「好きって何ですか?」と悩んでいる人が「そうなんですね!すっきりしました!もう悩みません!」みたいになるとは正直思っていないので、このnoteを書こうと思いました


ここから書く内容は、「好きという感情がわからない人」が「なぜわからなくなるのか」という原因と、「どうすればいいのか」という対策についての私なりの考察です
原因も対策も一つではなく、いくつかの分類に分かれています(できるだけ網羅したつもりですが、完全ではない可能性があります)
ので、このnoteを読んでいる人に当てはまる可能性もありますし、当てはまらない可能性もあります


さて、「好きがわからない人」についてですが、大きく分けて2種類に分類できると思っています
1.そもそも好きという感情自体がわからない人
2.好きという感情を以前は感じたことがあったけど今はよくわからなくなってる人
です

ひとつひとつ見ていきましょう

1.そもそも好きという感情自体がわからない人について
少数派ですが、「好き」という感情を自認したことがない人というのは一定数います
この分類に属する人に共通する特徴は「そもそも感情が動きにくい」ということです
「好き」という感情だけでなく、「喜怒哀楽」の感情に乏しい傾向にあります
ちなみに感情が動かないことと、病まないこととは別で、感情が動かないのはプラスにもマイナスにも動きにくく、楽しいと感じることも少ないという特徴がある一方で、病まない人というのは、感情がプラスに動く分にはたくさん動くものの、マイナス方向には動かないという違いがあります

この「感情が動かない」という背景には、

①もともと感情の起伏に乏しい、
②両価性(ある方向に感情が動いた瞬間に逆方向にも感情が動く為、結果として感情が動きにくい 例:映画に行きたいけど行きたくない、人に会いたいけど会いたくない等)の考え方をしがち
というものがあります

これら2つが発生する背景としては、抑圧された幼少期や、感情を押し殺すほうが都合がよかった過去や、親から感情を出すことは恥ずかしいとかみっともないことだと教育されてきたなどがあったりします(すべてではありませんし、何の原因もなく、感情が動かない人はいます)

では、この「感情が動かない人」が取れる対策はどんなものがあるでしょうか
その前にまずは「感情が動かないことに困っている」という前提が必要になります
「感情が動かないこと」に困っていない人はそのままで構いません
別に悪いことでもなんでもないからです
世の中には感情が動きすぎてしんどいという人も多くいて、その方々は日々「多少のことでは揺れ動かない強靭なメンタル」を求めています
ですので、困ってなければそのままでいいです

一方で、感情が動かないことで困っている人はどうでしょうか
私がそのような悩みを相談された場合には「少しでも興味を持つことを徹底的に探究していってみましょう」ということを伝えています

感情に乏しい人は、その感情の乏しさ故に、自分の意思や願望というものが薄いことが多いです
ですので、少しでも興味があることを深堀りすることによって、物事を深く探究していく楽しさや、疑問点が出てくることによって呼び起こされる好奇心を少しずつ大きくしていくことを通じて、感情が動くことを経験してもらい、それが「プラスである」ことを認識し、結果として感情が動きやすくなることを目指すものです

興味の対象はなんでもいいと思います
食欲、映画、本、アイドル、音楽、ファッション、異性関係等、世の中には感情が動くものだらけです
むしろ感情を煽るような表現のほうが多いのではとも思います

あとこれは個人的な価値観ですが、感情が大きく動いたり、感情をぶっ放せるような人生って、私はとても面白いものだと思いますし、生きているという感覚がとても大きいと思います(いい悪いではありません。為念)


2.好きという感情を以前は感じたことがあったけど今はよくわからなくなってる人について

おそらくこのnoteを読んでいただいている方々の多くはこれに該当すると思います
多くの方がいるということはその分類も多くあるということで、下記のような分類に分けられるのかなと思います


【中分類その1】以前知ってる「好き」とは違う派
①追いかける「好き」なら知っているが、追いかけられる「好き」は知らない
②「好き」という感情は苦しいものだと思っているので、「安心したり、幸せになる好き」は「好き」という感情ではないと考えている
③以前の「好き」よりも熱量が低い気がするから「好き」じゃないと思っている
④いい人だし、一緒にいても楽しいけど性行為をしたいと思わないから「好き」じゃない
⑤自分が理想とする好きとは違うから、今の気持ちは「好き」じゃない


【中分類その2】好きな気持ちに蓋をしてしまう派
⑥好きだと認めるのが怖い、嫌だ
⑦好きだと認めると自分が弱くなると思っている今は好きとかそういうことよりもやるべきことがある


といったとことでしょうか
こちらもひとつひとつみていきましょう

①追いかける「好き」なら知っているが、追いかけられる「好き」は知らない

追いかける「好き」というものは、基本的に満たされることが稀です
満たされないからこそ追いかけるわけで、この満たされなくて追いかけている状態を「好き」だと考えていると、「追いかけていないと好きではない」という風になってしまいます

経験がある人はわかると思いますが、こちらが追いかけている側であると、常にその人のことで頭がいっぱいになりがちですし、どうやったら振り向いてもらえるのかを一生懸命考えて、工夫をしたりします

一方で「追いかけられる側」だと、自分は何もしなくても向こう側から熱量高くアプローチをかけてきてくれるので、こちらがすることは「相手の気持ちを受け入れるかどうか」という「選択」の問題になります
ルパン三世のルパン(追う側)と峰不二子(追われる側)みたいなものですね

過去の恋愛が「追いかける側」であった場合、追われる側になると、自分の熱量は上げなくても相手はこちらに興味を示してくれますから、自分の「好き、好き、会いたい、会いたい」みたいな感情が出なくても、自分が相手からの好意を受け入れるだけで、関係が成立します

追う側の時は「自分のものにならないもどかしさを満たしたい」とか「相手を手に入れたい」とか「振り向いてもらいたい」という感情が優勢になり、追いかけていくことでますます好きが増大していきますが、追われる側は、相手がどれだけ自分を好きでいてくれるのか、自分を大事にしてくれるのか、といったことから相手への熱量が高まっていくことになります

対策については、まずは、自分が追う側か追われる側かを認識して、「自分はどちらのほうが幸せになれる可能性が高いのか」ということを考えるところからスタートかなと思います
追う側、追われる側、どっちがいいとは一概には言えませんし、別にどっちでもいいです
良い悪いの話ではなく、自分にとっての幸せの話です

それからこれは興味深い部分なのですが、「追われる側」から「追う側」に変わったとしても「好き」がなんなのかで悩むことは少なく、「追う側」から「追われる側」に変わった時のほうが「好き」がなんであるかに悩む傾向にあると思います
その理由は次の②に続きます


②「好き」という感情は苦しいものだと思っているので、「安心したり、幸せになる好き」は「好き」という感情ではないと考えている

これは、過去の恋愛が「しんどかった」という経験を持つ人に当てはまることが多いです
具体的に言うと「不倫沼」「常に2番目以下」「セフレ沼」「常に浮気に悩まされる」「常に他の女に嫉妬せざるを得ない環境」「ホスト沼」みたいなやつですね
不倫の善悪とかセフレの善悪とか、そういうことの議論はここではしません
個人的には当事者が納得していれば外野がとやかく言うことではないと思っています

ここでの議論は「その恋愛がしんどかったかどうか」です
「しんどい恋愛だけど一緒にいるためにはそのしんどさを我慢する」という状態にあったのかということです

基本的にこの類の恋愛はしんどいので、好きな人の側にいるために「苦労」とか「我慢」をします
この「苦労」とか「我慢」が「これだけしてるのに」という思いになり、そこから「なんとしても見返りを得たい」という「執着」になっていきます

この「執着」というものは非常に強力な感情なので、なかなか発生しないものです
仮に次々に執着が生まれてたら、執着する対象が増えすぎて、集中して熱量を注ぎ込むことができないなので、矛盾が生まれます
なので、執着はなかなか発生しないのです
ですがこの執着が生まれると、なかなかその対象から離れないですし、一見非合理的なことであったとしても、その執着の対象の為にいろんなことをするようになります

この「苦しい恋愛」というものがもたらす感情というものは、「好き」というもともとは単純であるはずの感情から派生して、他の感情(執着とか嫉妬等)もごちゃまぜになっているので、次の恋愛でなかなかこの感情まで至ることはありません

ですので、前の恋愛の感情と今の感情が大きくかけ離れることとなり、「これは好きという感情ではない」という風に考えるようになるのだと思います


前述の、「①追いかける「好き」なら知っているが、追いかけられる「好き」は知らない」との関連でいうと、この「苦しい恋愛」というものは、概ね「追いかける側」で発生します
そして、「苦しい恋愛」の特徴は「追いかけても追いきれない」という特徴があるということです
なので、余計に新しい恋愛では「好き」がわからないということが起きるのではないかと考えています

このパターンの人に対して私が考える対策としては「大切にしてもらうことを知る」です
「苦しい恋愛」というものは概ね「相手から大切にされていない」ことが多いです
それでも好きだから環境に我慢をして側にいようとするのですが、満たされることは稀です
ですのでまずは「大切にされる」ということを知り、「安心できる関係性」や「自分が大切にされる感覚」というものを経験してほしいと思います

これは「追う側」から「追われる側」に変わっていくことでもあります
ちなみに、そのためには自分を大切にしてくれる人を探す必要がありますが、今回は恋人探しの話ではないので割愛します


以前の「好き」よりも熱量が低い気がするから「好き」じゃないと思っている

これは上の①や②にも当てはまりますし、①や②だけでなく、以前の恋愛の「好き」の熱量よりも、今の恋愛の熱量のほうが低い(と感じる)ために、今の「好き」は「好きではない」と考えているというパターンです

ちなみにこれは「元彼みたいに好きになれる人にはもう出会えない」という考えと同じです
元彼のことをまだ引きずっているという風にも捉えられますし、悲劇のヒロイン(またはヒーロー)的な感傷に浸っているという捉え方もできます(何度も言いますが、良い悪いの話はしていません)

このパターンの対策というか考え方についてですが、「元恋人は最初から今みたいに好きだった?」という問いで概ねが解決するのかなと思っています
当たり前の話ですが、恋人同士の関係は、時間とともに構築されていくもので最初から完璧な関係性のカップルなどは存在しません

さらに言えば、「思い出補正」というものがかかっている可能性が高いので、以前の恋人との「いい思い出だけ」が「美化されて」記憶にとどまっている可能性もあり、新しい恋人(または恋人候補)は、その「美化された思い出」を超えなければいけないということになってしまいます

これは非常に困難なので、「元恋人も最初は初めましてからはじまった」と考えることによって、今の恋人(または恋人候補)のことを先入観なく見やすくなるのではないかと思います

蛇足ですが、新しい恋人と付き合った時に「前の恋人とあらゆる項目を比較する」ということをする人がいます
これは基本的に前の恋人の「代替品」として今の恋人を見る行為であり、自分が幸せになりにくい選択であると思います
例えるなら、「年収が高いほうがいい男」とか「勤務先がよりよいところのほうがいい男」みたいな感じで「スペック」重視になっているということです(年収を勘案しなくていいという話ではありません)
つまり「元彼スペック」というものに囚われているという状態ですね
あまり生産的ではないなあと個人的には思います


④いい人だし、一緒にいても楽しいけど性行為をしたいと思わないから「好き」じゃない

これは価値観の話にもなり、セックスカウンセラーということを仕事にしている私が申し上げるのはおかしなことかもしれませんが、男女の関係において、セックスというものは必ずしも必要なわけではありません(LGBTがどうという話ではありません)

セックスがある関係はもちろんそれはそれでいいです
だからといって、セックスがない関係が「だめ」ということでもありません
セックスレスがよく問題になりますが、これは「片方または両方に我慢が発生している」場合にのみセックスレスが問題になります
双方が「我々の関係にセックスは必要ない」と考えていれば、それでいいわけです

逆に考えて、「セックスがなくても男女の関係(友情ではなく)を成立させること」というのはすごいことであるとも言えます

根本に立ち戻って、「なぜこの人と一緒にいたいのか」ということを考えたときに、「セックスがいいから」とか「セックスしたいから」ということは、一緒にいたい理由の一つにはなりますが、最上位に来るものではないはずです
セックスしたいから一緒にいるのであれば、別にセフレの関係であってもいいわけです
(セックスが最上位に来ることを否定しているわけではありません)

「この人と一緒にいたい」という思いは、「自分の幸せの在り方」にも関わってきます
「この人と一緒にいることで、何が満たされるのか」を考えたときに、セックス以外の項目が上位に出てきませんか?
ということは、「性行為をしたいと思わないから好きではない」ということは成り立たないのだと導き出せます

このパターンで悩んでいる人は、自分が何を満たしたいのか、自分が何を相手に求めているのかということを、もう一度考えてみることから始めてみるといいのではないかと思います


⑤自分が理想とする好きとは違うから、今の気持ちは「好き」じゃない

これはちょっと番外編ですが、恋愛小説や恋愛ドラマ、恋愛マンガ等をこよなく愛する人が陥ることがあるケースです
要は「恋に恋している」状態ですね
「ドラマチックな恋じゃないから「好き」じゃない」とか「食パンを咥えた状態で、曲がり角でぶつかって恋に発展してないから「好き」じゃない」みたいな感じです(極端ですがわかりやすさ優先で)

こういうパターンの人たちは、もっと自分へのハードルを下げることが大事です
恋愛の多くは日常から始まります
ドラマのような恋はエンタメとして楽しむくらいにしておきましょう

いままで見てきたこの5つが、「自分が知ってる「好き」とは違うから「好き」じゃない」という状態です
俯瞰してみると、「好きの定義を一つにしてしまっている」という共通性があると思います

最初にも書きましたが、「好き」というのは感情なので、常に同じではなく、定義付けをして、「この感情が好きという感情だ」という風に定められるものではない性質のものだと思っています
例えるなら、インドで生まれて、ナンで食べるインドカレーだけしか知らなかった人が、日本に来て日本のカレーを見て、「これはカレーじゃない」と言ってるとか、エルビスプレスリー以外はロック音楽じゃない、とか言ってる感じでしょうか
別に個人の趣味趣向なので、それはそれでいいと思いますが、それで悩む必要もないんじゃないかなとも思います

いろんな「好き」があっていいんじゃないでしょうか

「それでも私の「好き」はこれなの!」という人もいらっしゃるでしょうが、別に「あなたの好きは間違っている」と言って訂正をしたいわけではありません
「好きがなにかわからない」ということに対しての私なりの考察を書いているだけです

それでも悩んでしまうという人には「好き」ではなく「一緒にいたい」という風に言葉を変えてもいいのかなと思っています
「言い方を変えただけじゃないか」と思われると思いますが、人間って結構言葉のイメージに囚われることが多くて、「逃げ出す」だと、やるべきことから逃げるみたいなネガティブな印象ですが、「脱出する」だと未来へ向かって劣悪な環境から飛び出るみたいなポジティブな印象を与えます
本質的には「ある環境から離れる」ことであることには何の変りもないのですが、言葉のチョイス一つで結構印象って変わったりします

ですので、自分が「好き」だと思う感情の定義が決まっていて、それを変えるつもりは今はないのであれば、「一緒にいたい」という言葉にかえることも一案だと思います

【中分類その2】好きな気持ちに蓋をしてしまう派
⑥好きだと認めるのが怖い、嫌だ
⑦好きだと認めると自分が弱くなると思っている
⑧今は好きとかそういうことよりもやるべきことがある


この3つは、分類はしたものの、基本的に「自分の「好き」という気持ちを見たくない、見ないようにしている」という状態です
ということは、「好き」がわかっていないのではなく、「好き」になっている自分を認知はしても受容していないということですね

それはそれで構いませんし、他に優先すること(受験とかなんたらかんたら)があるということであれば、「そうですか」という感じですが、自分の気持ちを隠したり、見ないようにすることで「自分にうそをつく」ということが起こります
これってあまりいい方向に進む状態ではないので、「好き」な自分を認めてあげることもある程度は必要なんじゃないかなと思います

本当はこの3つの分類それぞれに背景があって、それも書こうかなと思ったのですが、あまりに長くなることと、「知ってる「好き」と違う好き」の考察とは違って、自己承認や、自己評価の話に立ち入らざるを得なくなるので、今回のnoteの趣旨とはずれるので、またの機会とさせていただきます

長文を読んでいただいてありがとうございました
皆さんが考えるきっかけになれば幸いです

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おさーん

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