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サウス・マイアミ・ビーチと言う所

結局、検査の結果はすべてノーマル。そう思ったよ。私は癌にならないと、何故かそう思う。私が気をつけなきゃならない病気は、脳梗塞か心筋梗塞のような血管と関係のある病気かなと。

しかし、更年期のケトジェニックダイエットには気を付けた方が良さそうね。難しい医学的な説明は誰かにしてもらうとして、ケト食にすることで、ホルモンに影響が出るのはよく言われてること。ま、だから痩せるんだけど、お医者さんと相談しながら進めた方がいいダイエットなのかもしれない。今とっても流行ってるダイエットだけど、私は副作用が強く出たという事で。

という事で、ホルモンもウルトラサウンドも、生検もすべてノーマル。心配する必要はないとのこと。次のイベントに取り掛かる。それは、マイアミに行く事。半分バケーションで、半分家族の用事みたいなもの。今回は、飛行機で、泊るところもリトルハヴァナの近くな、サウスビーチ周辺。

今回はアートディストリクトなど博物館めぐりが出来ればと思うけど、博物館苦手な夫がいるのでどうかな?できれば、Key Westにも行きたいのだが、確か、バスツアーがあったはず。これからいろいろ調べないといけない。

伯父さんが送ってきたマイアミの観光案内と絵葉書

この絵ハガキのホテルがいいよ!っておじさんが送ってきたハガキは、いつの?というくらい古い。たぶん50年前くらいの絵葉書だろう。笑 物持ちの良い人なのだ。調べたら、このホテル確かに歴史のあるホテルらしいが、今は若者のパーティーハウスっぽくなってしまっていて、日曜日は「クラブ活動日」のようで、音楽がガンガン流れてうるさいというレヴューがあった。

音楽ガンガン+マイアミ=ドラッグ&セックスとなるわけで、学校の風紀委員がいたら卒倒するような現場?と妄想した私。ここはパスだなと、伯父さんには悪いけど、時代は変わったという事で納得してもらう事にしようと思う。88歳の人に、時代は変わったんだよ っていうのも酷だから、違う言い訳を探してるけど、なかなか見つからない。ただ、宿泊料金が一泊300ドルくらいするので、料金の事なら文句言えそうなのでそうしようかと思う。

ホテルを探していてびっくりするのだが、フォンテンブローというホテルが5星だったこと。そうなの?あれが?って驚くのだった。一番最初にマイアミの伯父さんを訪ねたときに泊まったホテルなのだが、シャワー室の床が傾いてて、このビル平気なの?って感じだったけど。笑

確かに朝食は、その場でコックさんが卵をリクエスト通りに焼いてくれたり、ビーチは目の前だったりといい立地条件であるのだけれども、ちょっと前のコンドミニアムの話じゃないけど、いつ崩れるか分からないってこともあるので、ビーチ付近に立ってるホテルには、あまり滞在したくない。家でもなんでもそうだけど、建物は地盤が一番大切

ハネムーンでも何でもない、老夫婦が泊まるのは躊躇されるのだが、Versace Mansionに凄く興味がある。初めてマイアミに滞在した時に、道を歩いてて偶然見つけたヴェルサーチ邸。ああここで、撃たれて亡くなったのね。と前を通り過ぎた。まだその時は、ホテルになってない時期だったので、門の向こうはとても静かだった。

今ホテルになっているというのは知っていたけど、写真を見て泊まりたくなってきた。デコレーションが独特で、どうしたら、こういう色彩感覚と、インテリアデコレーションができるのだろうという、疑問が湧いてきてウィキに行って調べたら、別に親が美術史の先生とかではなく、歴史(古代ギリシャ)に興味があって勉強してたと言う事。そして、母親はドレスメーカーだったのでファッション系のビジネスをしてたらしい。なるほど。マンション内装は、なんとも言えない個性的な作品に近いインテリアなのだよね。面白そうだし、デコレーションの細部を写真に収めたいと思ったり。

ただ、料金はそのため一泊1000ドル単位よ。笑 ホームページに載ってる写真で我慢しよう。笑 うちには娘という、絵が上手いアーティストがいるので、家を買ったら、壁にペイントをお願いしようかと思ったりもする。もちろんアーティスト料金を娘にお支払いするつもり。親子でもこういう貸し借りはなしよ!というのが私のポリシー。時間は時間。お金で支払わないとね。

サウスマイアミビーチっていうのは、とても賑やかなところで、北に向かうほど静かになるらしい。夫にノースマイアミビーチは住めそうだけどと言っってみたら、暑すぎるから無理!と、やっぱり私たちがマイアミに住むことはなさそう。まあ、私も暑いの苦手だから無理なんだけど。

今回は、100ポンドくらいあるフィルムや写真を郵便でうちに送るらしいのだが、彼らが郵便局に行ってる間、私はバスでサウスビーチ周辺の博物館を観光しようと思ってる。正直、あんまり夫のうちの家族に関わりたくない凄く面倒だから。なるべく距離を置くのが私のスタンス。それは変わらない。

自由に生きてきた人には、最後も自由にさせてあげなければならないと私は思うのだよね。ここまで来たのに、ああだこうだ言う必要もない代わりに、私も関わりたくないというのが本音かな。だって、もう手遅れも手遅れ、これで行くしかないよね!と明るく思うのであった。

こう考えると、やっぱり、母が亡くなった年(80歳)まで、私は生きたくないかなって思うのだった。笑












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