騎馬対鉄砲【瓦氏夫人第69回】
騎馬対鉄砲
四月八日。
金山衛に向かって兵糧を運搬していた輜重(しちょう)隊が倭寇に襲撃された。輜重隊の兵百人が犠牲となり、兵糧は全て奪われた。輜重隊が倒した賊の数はわずかに九人だった。
その夜に開かれた軍議で花蓮は、即座に兵を出して賊を倒し、兵糧を奪い返すべきと主張した。
貴州総兵(地方の軍事長官)の白泫(はくげん)が不満げな顔をした。白泫は張經軍の遊撃を担っており、一時的に金山衛に来ている。
「張総督より、攻撃を受けた場合を除き一切兵を動かすなとの命令が出ている。張総督は、永順、保靖の土兵が到着するまで積極的な攻撃をおこなわないという方針でおられるのだ」
花蓮は兪大猷のほうを向いて、
「賊はまだそばにいるはず。すぐに攻撃すべきよ」
と、迫った。
ちなみに兪大猷は副総兵で、総兵である白泫のほうが上位となる。花蓮は参将扱いであり、近代陸軍の編成に置き換えてみれば、総督の張經が大将、白泫は中将、兪大猷が少将、花蓮が准将ということになろうか。
兪大猷としては白泫の顔色をみながら、
「総督の厳命があるので兵は出せない」
と言わざるを得ない。
「将軍。あなたは金山衛管内で兵を動かすことについて全権を有しておられるのでしょう。それとも事前にいちいち総督の許可を得なければならないの」
「いや。管内での戦いについては一任されている」
「じゃあ、金山衛の管内で金山衛の兵だけで戦うのだから総督の指示を待つ必要はないじゃない。普陀山夜襲のときは金山衛の兵だけで攻めたじゃない。なぜ今回はそれをできないのよ」
白泫が言った。
「総督は、兪将軍の普陀山夜襲について、勝手なことをするなと大いに怒っておられた。だから普陀山夜襲のあとに、改めて兵を動かすなと厳命されたのだ」
花蓮は白泫を一瞥して「あなたには訊いていない」と言い、兪大猷に向かって、「永順、保靖の兵を待つといっても、既に田州兵で増強されている金山衛にそれらの兵が配属されることはないはず。ならば金山衛が永順、保靖の兵を待つ意味はないわ。総督は負けてばかりだから慎重になり過ぎているのよ。でも、私たちは違う」
と、けたたましく言った。
白泫は怒りで頬を紅潮させ、「おんな。控えよ」と叱責した。「慎重でなにがいけない。ここは攻めるよりも固く守ることが上策。誰もがそう考えている」
花蓮は
「陽痿ヤンウェイ(勃起不全)!」
と言い放った。
諸将は驚き目を見開き、その目はすぐに強い怒りの色を帯びた。
うしろに控えて立っていた岑匡が前へ出て、諸将に対して無礼な発言を詫びた。
花蓮は立ち上がり、無言で軍議の場を出た。
あとを追ってきた岑匡に対して花蓮は言った。
「夜が明け次第、いくわよ」
「いえ。それはだめです。命に反することになります」
花蓮は廊下を早足で歩きながら、
「輜重隊を襲った賊を倒すのが目的ではないわ。周辺の哨戒に出るだけよ」
金山衛は日に四度、周辺に哨戒の兵を出す。そのうち早朝の哨戒は田州兵がその任を負っている。
「多数の兵を衛外に出せばそれは哨戒とはみなされないでしょう。防戦を除き兵を動かしてはならないとの命令に違反します」
花蓮は急に立ち止まり、振り返って言った。
「あなたも臆病風に吹かれたんじゃないの。ならいいわ。あなたは明日、衛に残りなさい」
「臆病ですと?それは花蓮さまのおことばといえども聞き捨てなりません。私は臆病で申しているのではありません。どうしておわかりいただけないのですか」
と、岑匡は言ったが、花蓮は聞こえぬかのように背を向けて歩いていった。
翌日、花蓮は日の出とともに兵二百五十を率いて衛外に出た。
輜重隊の兵百人が倒されたのだ。それを襲った敵の数は数百人か、それ以上に違いない。それを攻撃するのに兵二百五十は十分な人数とは言えないが、哨戒が目的という建前であるため、この程度に人数を絞らざるを得ない。
とはいえ、この二百五十は田州兵のなかでも精鋭である。鐘富(しょうふ)、黄維(こうい)、玲玲らが顔を揃えている。前日に衛に残れと言われた岑匡も、むろん出撃する。
輜重隊が襲撃された場所を中心にしてその周辺を捜索した。
まもなく雪嬌が敵を発見した。
雪嬌の指さす方向に目をやると、遥かに続く刈り入れ間近の麦畑のなかに人間らしき一団がうごめいているのがみえた。
雪嬌が言った。
「倭寇です。頭を剃り上げ腰に刀を下げています。数は五百。麦を刈り入れています」
目を凝らしてみたが、それぞれの人間の姿は全く判別できない。
雪嬌が続け、
「鉄砲を所持しています。数十丁はあります。鉄砲を手にした者が集団の外側で周囲を警戒しています」
「向こうはまだこちらには気づいていないのね」
「はい。そのようです」
「じゃあ、いくわよ」
と、花蓮はちから強く言った。
「お待ちください。どうするおつもりですか」
と、岑匡が訊いた。
「むろん攻めるのよ」
と、花蓮はぞんざいに言った。
「敵の数はわれらの二倍。ここはいったん衛所にもどり、兪将軍に報告すべきでは」
「そんなことをしている暇はないわ」
「二倍の敵をいったいどう攻めるお考えですか」
目の前の広大な麦畑の西側には、手前から奥までずっと続く林がある。花蓮は、敵の群れている場所のすぐ西の林を指さした。
「密かに林のなかを通って敵のそばまでいき、不意を襲う」
そういって花蓮は花兎の腹を蹴り、林にはいっていった。
馬に枚をふくませ、林のなかを音を立てずに進んでいく。
先行させていた莫蘭(ばくらん)が戻ってきて、地形と敵の様子の詳細を伝えた。
敵は林の切れ目から二百㍍ほどのところにいるようだ。
弓兵五十を敵に気づかれないように敵のそばの林の切れ目に配し、まずは矢を射かけ、そののちに騎馬で突入する。花蓮はそう兵たちに告げた。
その策に対して岑匡が異を唱えた。
「まず騎馬隊で突入すべきです」
「最初に弓で周囲を守る鉄砲を倒す。そうすれば楽に勝てるわ」
「敵との距離が遠過ぎ、弓の命中確率が低過ぎます。鉄砲についていろいろ調べましたが、鉄砲の最大の弱点は発射の準備に時間がかかることのようです。鉄砲を撃つための準備に数十秒が必要となるのです。ということは騎馬で奇襲すれば鉄砲が火を噴く前に敵に到達できます。しかし弓で攻撃していては、そのあいだに敵は鉄砲を撃つ用意を終えてしまいます。もし弓で十分に鉄砲を倒すことができなかったならば、騎馬隊は準備万端整えた鉄砲隊に突入することになり、潰滅的な打撃を受けることになります」
花蓮は、岑匡のことばにも一理があると思いつつも、
「あなたの慎重なことばは聞き厭きたわ」
ということばが口を衝いて出た。
「しかし、それでは負けるかもしれない」
戦いを前にして気が立っている花蓮は、
「負ける?いま負けるって言った?冗談じゃないわ。あなたの臆病にはもううんざり」
と吐き捨てた。
花蓮は細かい編成を決めた。最初に攻撃をおこなう弓隊の指揮を執るのは岑匡、騎馬隊は四つの小隊に分け、花蓮が指揮する第一小隊が中央をゆき、鐘富の指揮する第二小隊が敵の南側、黄維の指揮する第三小隊が敵の北側の側面を突き、敵を三方向から攻撃する。玲玲の指揮する第四小隊は中央から第二波として突入する。
岑匡が膝をついて言った。
「第一小隊の指揮を私にお任せください」
「ばかなことは言わないで」
「私は臆病ではありません。しかし花蓮さまにそう思われてしまったのだとしたら、田州の人間として、これほどまでに不名誉なことはありません。田州に残る父に合わせる顔もありません。私に名誉を取り戻す機会をお与えください。ぜひ騎馬での突入は私に指揮をお任せください」
「あなたには無理よ」
「そうお考えならばなおさらです。私にも勇があるところをお認めいただきたいのです。ぜひ私に先鋒を」
跪く岑匡の目をみた。瞳が光を放っている。この男がいままでにこれほどまでに熱い目をみせたことがあっただろうか。
花蓮はうなずき、言った。
「わかったわ。なら、あなたの勇気をみせてみなさい」
花蓮の放った一矢が青い東の空に向かって飛んでいく。
それを合図に弓隊が一斉に矢を放った。
花蓮が二の矢を放つ。
一瞬遅れて弓隊の二の矢も放たれる。
放物線を描いた矢の雨が敵の頭に降りそそぐ。
距離があるので矢の威力は衰える。しかし鎧もつけていないところに急に矢が降ってきたのだ。敵は慌てふためき右へ左へと秩序なく駆けまわっている。
さらに各弓兵が十数本を放ったところで射撃停止を命じ、林のなかで待機する岑匡に向かい、手で突撃の合図を出した。
岑匡を先頭に騎馬一小隊が林から出て、敵に向かって疾走する。
わずかに遅れて左右両側から鐘富と黄維がそれぞれ指揮する騎馬小隊が飛び出した。
間を空けて中央からさらに一小隊が駆け出す。攻撃の第二波である。
馬煙を上げて突き進む岑匡の小隊は敵までの距離の半ばに達しようとしている。敵の反撃はまだない。側面攻撃の二隊は迂回し進んでいるので、敵までの距離はまだ相当にある。
岑匡の小隊と敵との距離が詰まっていく。
林の切れ目に立つ花蓮は、
「さあ、ぶつかるわよ」
と言いながら、数歩前へ出た。
風が前髪を揺らした。
「えっ?」
横からの風が強い。林のなかでは気づかなかった。
馬上の岑匡の体が揺れた。
花蓮の耳に爆発音が連鎖した。
岑匡の体が宙に舞う。
最前方の馬が次々と倒れ、兵が地に叩き付けられる。
うしろに連なる馬が竿立ちになった。
鉄砲だ。
一斉に鉄砲が発射されたのだ。
一瞬で十以上の騎馬が倒された。他の馬も轟音に驚き進まなくなった。第二波の馬も驚き停止してしまった。
「風——」
花蓮は茫然としてつぶやいた。
風がみえていなかった。横風のせいで弓隊の矢が逸れたのだ。
花蓮は首を振ってわれに返り、花兎にまたがって駆けた。
そして駆けながら、前方で停止している騎馬に向かって
「止まるな。進め、進め、進め」
と叫んだ。鉄砲攻撃の特性を調べた岑匡が鉄砲の射撃の準備には数十秒かかると言っていたのを思い出したのだ。数十秒後には次の弾が放たれる。その前に突っこまねばならない。
ところが、数十秒もせずに一発の射撃音があった。
また射撃音。そして次の射撃音。
乾いた音が散発的に連鎖していく。
最初の一斉射撃に遅れた者が、用意が整い次第に順次撃っているのだ。
射撃音のたびに騎馬が一騎ずつ倒されていく。
花蓮が「怯むな。進め、進め」と叫ぶ。
体制を戻した騎馬が一騎、二騎と敵に向かっていった。
駆ける花蓮の前方に岑匡の姿がみえた。跪き、苦しげに起こした上半身が血で真っ赤に染まっている。
岑匡は膝をついたままで両腕を広げて手のひらを大きく振り、来るな来るなと身振りで言っている。
そのとき、二度目の一斉射撃があった。
花兎が音に驚き棹立ちになった。
花兎を落ち着かせてから敵のほうをみた。
突撃していった騎馬が立てた土ぼこりと、鉄砲から出た煙でよくみえない。
白い幕が徐々に鎮まっていく。
騎手を失った馬たちが彷徨っている。
動いている兵は数人しかいない。
残りはみな倒れ、麦畑を埋めていた。
中央の騎馬小隊は壊滅した。
北方、南方に迂回した騎馬小隊が現れた。
敵の鉄砲は正面に集中していたのか、両騎馬小隊はほとんど銃撃を受けずに敵の両側面に突入した。
数でまさる敵は勇猛にも騎馬兵の勢いに抗し、押し返してきた。
が、それはわずかの間だった。戦いを挑んだ敵は、ことごとく騎馬に蹴散らかされた。
敵は東方へ逃げていった。
花蓮はあたりを見回した。
玲玲が倒れた兵の生死を確かめて回っている。中央の第二波の騎馬小隊は壊滅したものの、かろうじて生き延びた者も複数いるようだ。
しかし第一派は、全滅か。
花蓮は仰向けに倒れている岑匡のところへ駆けた。
傍らで名を呼ぶと、岑匡はうつろな目を開いた。
顔がこわばっている。
「しっかりしなさい。ほら、しっかりしなさい」
花蓮が叫ぶようにいうと、岑匡は細い声で、
「これで……鉄砲との戦いかたが……みつかりますね……」
「うん。衛所に戻って一緒に考えましょう」
と、花蓮は涙声で言った。
「私が……臆病ではないこと……おわかりいただけましたでしょうか……」
「むろんよ。あなたは田州の誰にも負けない勇気で私を守ってくれたわ」
岑匡が先鋒を志願しなければ、この場所で倒れていたのは花蓮だったはずだ。
岑匡は目をつむり、
「ああ、よかった」
とつぶやいた。
岑匡のこわばっていた顔が穏やかになり、全身のちからが、抜けた。
◇◆◇◆◇◆◇
『倭寇の海英傑列伝 瓦氏夫人』は、16世紀の広西壮族の女性で、一軍を率いて倭寇に勝利したスーパーヒロイン、瓦氏夫人をモデルとして描く大河小説です。こちらではその全文を連載で掲載しています。
アマゾンの購入ページはこちらです 書籍紹介サイトはこちらです
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?