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櫓の上で【瓦氏夫人第81回】

櫓の上で

 花蓮は敵兵をなぎ倒しながら駆ける。
 櫓(やぐら)の上に武者が立っているのがみえた。
 武者は扇を空にかざし、ひらひらと動かしている。
(えっ、杉庄?)
 この舞うような動きは杉沢庄次郎に違いない。
 杉沢は舞い続ける。
 敵兵が向かってこなくなった。騎馬隊の進路を空け、距離をとった。
 花蓮は櫓の下に到達した。
 櫓の下の花蓮たちを、敵兵が距離を空けて取り囲んだ。
 反対側から敵陣に突入した玲玲や阮袞たちも、続々と櫓の下に到達する。
 騎馬の数はおよそ五十騎。五十騎が櫓を取り囲んだ。そしてその五十騎を敵槍兵が遠巻きに囲み、槍先をこちらに向けた。
 阮袞が馬を寄せ、言った。
「櫓の上で将らしき者が舞を踊っているのがみえましたが、あれはひょっとして——」
「そう、杉庄。江浙への旅で船に乗せてくれた男」
「徐海はここにいなかったのですね」
 と、阮袞はくやしげに言った。
「そうね。残念ながら徐海はここにはいない」
「やむを得ません。すぐに脱出しましょう」
 しかし花蓮は動こうとしなかった。
「花蓮さま。敵の数が多すぎる。ここで戦えば全滅します。早く脱出を」
「まあ、ちょっと待って」
 花蓮はそう言って、櫓のうえを見上げた。そして、うえから見下ろしている武者に向かって、「杉庄!」と大声で言った。「ちょっと話があるんだけど」
「話?なんでしょうか」
「上と下とでは話しづらいわね。そっちに上がるわよ」
「まさか、いにしえの英雄たちのように、一騎討ちをしようと言うんじゃ」
「それもいいわね。そうする?」
 杉沢は手のひらを横に振り、
「それはご勘弁を。残念ながら私の得意わざはひとを動かすことであって、武術では花蓮さまに到底歯が立たない」
「安心なさい。そんなんじゃないから。じゃあ、そっちにいくからね」
「え?あ、はい」と、杉沢は少し慌てたように言って、「では、一瞬お待ちください」
 杉沢は扇を広げて小さく舞った。それをみて、花蓮たちを取り囲んでいた槍兵が槍先を下ろした。
 
 櫓に上がった花蓮は戦場を一望できる景色をみて、
「うわあ、すごい」
 と、はしゃぐように言った。
「そうでしょう、そうでしょう。この櫓、一晩で作ったんですよ」
「へぇ、すごいわね」
 花蓮は南方を望んだ。遠くに秋茂橋がみえている。戦闘はおこなわれていないようだ。杉沢の舞で一時休戦の指令が出されたのだろう。
「ねえ、戦いに来たんじゃなくて、話をしにきたんだから、お茶ぐらい出しなさいよ」
「あっ、それは失礼いたしました」
「あと、お茶菓子もお願いね。おなか減ったから」
 杉沢は苦笑しつつ、従者に茶を淹れるよう命じた。
 花蓮は、櫓の西方の一辺に移り、景色を楽しむかのように、西方の戦場を見渡した。
 そして、運ばれてきた茶を手に持って、櫓の北方の一辺に移動し、時間をかけて北方の景色をみた。
 遠くに、「徐」の文字の記された幟旗をみつけた。
 徐海だ。攻撃目標だった徐海の陣は、さらにうしろにあったのだ。
 花蓮が密かに唇を噛むと、それに気づいた杉沢が言った。
「そうか。一か八か徐海を倒しに来られたのですよね。敵の陣に少数の騎馬で突っ込むなど、花蓮さまにしては無謀なことをすると思いましたが、確かに徐海を倒せば戦局は変わったでしょうね」
「当てがはずれたわ」
「徐海は先陣に立つことが多いので、今回私のほうが前にいたのはたまたまですよ。残念でした」
「残念?残念ではないわよ」
 杉沢は首をかしげ、
「とおっしゃいますと?」
 花蓮は、櫓の東の一辺に移動しながら言った。
「こうして話ができる。徐海とでは話し合いとはならないからね」
「それはそうがもしれませんが、でも私だって、話し合ったからって——」
 花蓮は、杉沢にその先をしゃべらせたくないかのように、被せて言った。
「それにしてもあなた。なぜここにいるのよ。普陀山にもいたし。白泫(はくげん)将軍を海から襲った倭人は新五郎という名だと聞いたけど、あれも本当はあなたなんじゃないの」
「おや?新五郎とはお会いになりませんでしたっけ?ほら、マカオからの船旅で」
 花蓮は小柄で小太りのよくしゃべる男のことを思い出した。
「ああ、思い出したわ。新五郎はあなたの部下だったのね。じゃあ別働隊で金山衛を囲んで兵を出られなくしておいて、本隊で嘉興を攻めるという策はあなたが考えたのね」
「まあ、そうですね。官軍で一番強い花蓮さまには金山衛に残っていただきたかったんですけどね。策は破られました」
「で、どういうことなのよ。なんであなたがここにいるのよ。あなた、自分は海賊ではないと言ってなかったっけ?」
 杉沢は頭を掻いて、
「賊ではいかにも聞こえが悪いですね。せめて叛乱軍の将と呼んでいただけないでしょうか」
「なにが違うのよ」
「われわれの兵の多くは周辺で海を生業としていた者たちなのです。しかし、海禁令が強化されて、海で食べていくことができなくなってしまいました。私も、もともとは双嶼で貿易をしようと思って海を渡ったのに、その双嶼は潰されてしまいました。みな本来は海で生きていきたいのです。しかし海禁令によってその道が断たれてしまっています」
「つまり、民のために立ち上がったと言いたいの?でも、自分たちが食べられなくなったからって、ほかのひとの命と財産を奪っていいと言うの?そういうのは賊と言うのよ。民のために立ち上がる叛乱とは違う」
「私もそう思っていました。烈港が封鎖されるまでは」
 前にも述べたが、浙江巡撫朱紈の攻略により双嶼が封鎖され、海商たちは四散した。その後朱紈は朝廷に不当な罪を着せられ失脚し、命を落とし、双嶼から近い烈港での交易が黙認されることとなった。明朝との交渉を中心となっておこなったのが王直で、王直は賊の取り締まりを官に代っておこない、その見返りに烈港での交易の黙認を得たのだった。しかし明朝は突如手のひらを返し、海上交易を禁じて烈港を攻撃した。王直とその一派は命からがら日本の平戸へ逃げた。
 杉沢は王直とともに商売を広げ、朱紈とも交流があった。朱紈も王直も、朝廷に裏切られたということができ、そうした明朝のやりかたをみて叛乱に加わることを決めた、と杉沢は言いたいのだ。
 杉沢が続けて言った。
「王直は明朝に嫌気がさし、日本に引き籠もってしまいました。一方で徐海は、明を倒すという志をもって立ち上がりました。私はそれに乗ってみることにしました」
「乗ってみるというよりも、乗せられてるんじゃないの。徐海にそんな大望があるとは思えないわ。あるとしても王に成りたいだけでしょう。民のためじゃない。民を殺し過ぎている。それが証拠だわ」
 杉沢は少し間を置いてから、
「そうかもしれません。いや、おそらくそうなのでしょう。とはいえ私は徐海に『明を倒すために軍師役を担ってくれ』と頭を下げられ、承諾しました。そのことばに共鳴したのです。徐海は富と名誉が欲しいだけかもしれないし、やりかたには問題がありますが、悪政を続ける明を倒すという方針には乗ってみたいと思いました。私は商人だけれども、やはり武士の血が騒ぐのでしょう」
「理由はどうあれ、民のために立ち上がったという顔をしていても民を殺している。民を苦しめ過ぎている。仮にあなたが村々を襲ったりしていないとしても、徐海の軍に加わっているのならば同罪よ」
 杉沢は小さく首をうなだれてから、
「まあ、そうなんですよね。私も、実のところは、兵たちが村々で狼藉を働くのを非常に心苦しくおもっています」
 杉沢が黙ったので、花蓮は杉沢に背を向けて、遥か東方に視線を向けた。
 続けて、櫓の下に視線を落とした。玲玲が心配そうに見上げている。
 すこしはなれたところで櫓を取り囲んでいる倭寇兵も櫓の上をみつめている。装備も体型も貧弱なものがほとんどだ。
(よくこれで、精鋭揃いの田州騎馬隊に向かってきたものね)
 倭寇兵のなかにかなり背の低い者がいる。十歳か十一歳くらいか。ひとりやふたりではない。痩せた身体で重そうな槍や刀を握っている。
 胸に込み上げてくるものがあり、瞳に溜まった涙を指で拭った。
 そして振り返り、
「杉庄。提案があるわ」
「提案?」
「あなた、撤退しなさい」
「え?」
「私も撤退するから」
「突飛なことをおっしゃる」
「双方平等に撤退するということで、それでいいでしょう」
「平等ではありませんよ。戦況は我々のほうが圧倒的に有利です」杉沢は手に持っている扇子を開き、「私がこれをもう一度振れば、日が暮れるまでには勝負がつきますよ」
「それでもあなたはこの提案を受けるべきよ」
「どうしてです?」
「受けなければ、この場で斬るわ」
 花蓮はそう言って、腰の刀に手をかけた。
 杉沢は動じず、笑って言った。
「冗談はおやめください。花蓮さまを信じて帯刀のままここに上がっていただいたのに、そんな騙し打ちのようなことをされるはずがない。それに、私には武士の血が流れています。そんなことを言われて、はいそうですかと兵を引くわけがないじゃないですか」
「提案を受けなかったら斬るのは本当よ。あと、商人であるあなたは無駄な死を選ばないはず」
 と言いつつ、花蓮は刀の柄から手を離した。そして、
「でもまだ斬らない。もう少し話をしましょう」
 と言って、微笑んだ。続けて、
「あなたは、兵が村々で狼藉を働くのを心苦しく思っていると言った。明を倒すという大義のためとはいえ、民を殺し、苦しめることを間違っている思っている。それはあなたの心の声なの。心の声を聞いたならば、悩まずに実行しなくてはいけない」
 杉沢は、一瞬考えて、
「初めてお会いしたときにもそう言っておられました。なつかしいですね」
「そう?あなたに言ったっけ?」
「マカオで、家族のもとに帰るかマラッカへ行くかで悩む弥次郎にそう言っておられました。あのあと、花蓮さまがなぜそんなことをおっしゃったかが不思議で、少し陽明学を学びました」
「そうだったかしら。なら話は早いわね。いまはわかるでしょ。わたしの言うこと。だから撤退しなさい」
「しかし私は、明を倒さなくてはならないという声を無視することはできません。どちらが真の心の声なのか、いまここで判断することはできない」
 と、杉沢は真顔で言った。花蓮は振り返り、櫓の下を指差して、
「それからね。私はもうこれ以上兵を死なせたくない。田州の兵だけじゃなく、あなたの兵もね。海禁令で生活ができなくなった民なんでしょ。私はそんな人々を殺すことはできない。だから私も撤退するわ」
 杉沢は黙り、顎に手を当てて考え始めた。
 花蓮はしばらく杉沢のことばを待ったが、杉沢が口を開かないので、言った。
「煮え切らない男ね。もう間に合わなくなっちゃうわよ」
「え?」
「ほら、みてみなさい」
 花蓮は、はるか東の地平線を指さした。
 杉沢が花蓮の指の先をみる。
 遠くに砂塵が舞い上がっている。
「官軍…ですか?」
「白泫将軍の軍ね。貸しを返しにきたわ」
 上海方面で戦っていた湯克寛軍の援軍に向かった遊撃の白泫の軍が、花蓮の援軍要請に応えて駆けつけてきたのだ。
「これであなたたちは南、北、東の三方より攻撃を受けることになる。三方の兵を合わせてもまだ兵数はこちらが足りないけど、側面から不意に攻撃を受ければ、あなたたちの軍はきっと崩壊するわね」
 杉沢は呆然と東の果てをみていたが、振り返って頭を小指で掻いて、
「なるほど。ずいぶんとのらりくらりとお話しになるなあと思っていましたが、これを待っておられたのですか」
 花蓮は、口は開かないで、笑顔で肯定した。
 杉沢も笑顔になり、
「さっきまで私がお願いされる立場だったのに、一瞬でこちらからお願いしなくてはならなくなってしまいました」
 と、照れるように言った。
「いいわよ。あなたのお願い、聞いてあげる」
「ありがとうございます」杉沢は深く頭を下げた。「それにしても失敗しました。やはりおっしゃるとおりに、すなおに心の声を聞いておくべきでした」
「でしょ!」
 花蓮は、にこやかに、短く、明るい声でそう言った。
 
 花蓮は櫓から下り、花兎に跨った。
 櫓の上では杉沢が舞う。
 敵兵が動いて、花蓮のまえに、南に向かって一直線の道ができた。
 花蓮の騎馬隊がその道を抜けると、杉沢の陣が動き始めた。西に向かって退いていく。
 秋茂橋で田州兵と対峙していた倭寇軍も、整然と退いた。
 倭寇の大軍は、地鳴りを轟かせて西へ逃げていった。

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『倭寇の海英傑列伝 瓦氏夫人』は、16世紀の広西壮族の女性で、一軍を率いて倭寇に勝利したスーパーヒロイン、瓦氏夫人をモデルとして描く大河小説です。こちらではその全文を連載で掲載しています。
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