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(5) ズレてる自分に安心


先日
家族以外に初めて友達にヘルプミーと連絡して

私と会う時間を作ってもらった



大人になればなるほど

生きていれば生きているほど

それぞれがそれぞれで
毎日の"日々"に大変な事もあるわけで

それらに対して

みんな、

それぞれがそれぞれで
どうにかこうにか"日々"をやり過ごしている。

それは重々、理解していた。(つもり)



だからこそ、自ら

「大変!ヘルプミー!」

って連絡する行為をしたのは、

結構な"ヘルプミー"だったのかもしれない...

と、今更ながら思った。



そして

彼女に会って
私は心の底から安心した。

自分が変わっているのか
へそ曲がりで偏屈なのか
"あたおか(頭がおかしい)"なのか

明らかに
大多数とのズレがあるのを自覚し始めてから
はみ出ないようにと出来る範囲で隠すように
本心を抑圧するようになった。

そして
何となーく近年はほとんど
浅いコミュニケーションしか出来なくなった。


友達はいないわけではないけど
常多い方ではなくむしろ少ない方なのに

深いコミュニケーションが出来る友達が
その中でもいるかいないかという感じ。



故に、


孤独を感じやすくなったり

何をしても無気力になったり

感情のゴミ捨て場のように
母に聞き手になってもらう週末も少なくなかった

(美味しいものを食べても、面白い映画を見ても、SNSの中の私は本当に楽しそうだし実際に楽しいんだけど、日常は虚無がほとんど。幸いに絶対的な味方でいてくれる母。コドモオトナな娘でごめんね。そしてありがとう。母)




そんな私に

会って彼女(友達)が言ってくれた救い。



人に理解されにくい星に生まれてきたから
理解されにくくて当然
(四柱推命でそうらしい)

ズレていい。
むしろズレてるのがいい。
と。




はっきり言い切ってもらったら
身も心も とてつもなくスッキリした。

ズレが理解されなくて一方通行で
お互いに消化不良になってしまう事もあったけど

こんなもんじゃないよ!私の人生!って
心の奥底にマグマが沸々と湧き立っている事も
常に斜め上を行きたい自分がいる事も

だからこそ
平穏安泰な日々なのに無気力で怠惰に思う事も

引っくるめて分かった気がした。



歳を重ねていくにつれて

感覚が近い人とのコミュニケーションは
無条件に会話が弾むし
必要以上に言葉がなくても
とにかくその時間、空間は深くまで沁みる。


そして、家に帰って来ても。

次の日も。
次の次の日も、、、。ずっと沁みたまま。



この安心感は、家族ともまた違う。

友達だからこその安心感。



この場を借りて、いつもありがとう.....。


まさに、これが真の深いコミュニケーション。


ズレていこう。

(大器晩成型な私の人生は、まだまだこれから)


自己肯定感云々、セルフラブ云々は
今の私にはそれすら重たくて

とりあえず
心置きなく自分を癒して充電しようかな🔌


end.

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