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断捨離を「しない」のも、ありだよ

実家にある、私の思い出品を断捨離しに行ったときの話を。

そもそもなぜ、実家の断捨離をしようと思い立ったのかというと、

1.断捨離から得られる爽快感を得るため
2.長く帰らなかった実家へのわだかまり解消のため
3.過去への執着から逃れるため

といった理由からである。

心理的な面が大きい。

私は高校、大学生活に後悔を残していて、そのことが現在の生活にわりと大きな影響を及ぼしていた。

もっと高校生活を充実させていれば。
もっと高校時代に進路をよく考えていれば。
もっと大学時代に真面目にやっていれば。
もっと大学時代に広い視野を持っていれば。


だから、思い切ってそのあたりに使っていたもの、ハマっていたもの、そして今はそうでもないものなどを処分できたら、過去への執着を手放せて、まっさらになれるかもしれない、と考えたのだ。

実際に一人暮らしの部屋に持ってきた、高校大学時代に頂いた寄せ書きは、写真をとって処分した。
もう連絡すら取ってないグループ。
ずっともやもやしていたからすっきりした。
次は実家のものだ。過去と全部、見切りをつけてやる。


妹を引き連れて来た、数年ぶりの地元、実家。
こんなに小さい町だったっけ、こんなにうちって狭かったっけ。
逃げ出したくなるような、胸の奥からせり上がって号泣しそうになるような、いたたまれない感情が押し寄せる。
ああ、もう。
育った場所も全部否定したい気持ちになる。


それでも断捨離に手を付ける。

ずっと「捨てられない」タイプだった。
クラスメイトからのメモ書き、写真、ライブに行ったときの使い捨てサイリウム、自分史上最高点数が取れた世界史のテスト回答用紙、プリクラ、日記帳、文化祭で作ったうちわ、課題図書、修学旅行のしおり…………


 
ふと、思った。
「なんか、高校生の時の私楽しそうだね?」

妹が言った。
「お姉ちゃん、楽しそうだったよ。いいなあって思ってた」


そうか。

私は何も、間違ってなんかいなかった。

その時の私は、その時の精一杯を生きていた。

その時の精一杯で考えて、決断して、その繰り返しで、今の私がいる。

あの環境において、あれ以上の決断は出来たのだろうか。
あの状況で、あれよりも良い行動が取れたのだろうか。

否、「そうするしかなかった」のだ。


それはきっと今この時もそうで、もし未来にあの時こうしていればって後悔する自分がいたとしても、「それはそれ」である。

私は、今自分が上手く行っていないことを、過去の自分の決断のせい、行いのせいにしていたということに、その時、やっと気づいた。

自分の現状から目を背けて。
過去を「今うまく行ってない自分」に都合のいいように駄目だったところだけを抽出して、繋ぎ合わせて。

あの時の自分が上手くやっていれば。
あの頃の自分があんな決断をしなければ。


違う。
いま、自分がうまく行っていないのは、いまの自分に原因がある。

例えば。
私は高校、大学でそれとなく交友関係を築いてきたが、その枠組みから外れるとぱったりと連絡を取らなくなっていた。
当時から仲良しグループの中にいても孤独感を感じ続けていたから、それまでの関係だったんだな、とは思う。
しかしそんな感情を抱いてまで無理してグループに留まり続け「本当の友達」づくりをしようとしなかった、過去の自分を憎んでいた。

だけど。
社会人になっても学生時代の交友関係に後悔を抱くのは、その時の感情を精算できていない「今」の自分。
仲良しグループのメンバーに改まって連絡をしようとしない、もしくはその関係を諦めきれない、「今」の自分。
今の寂しさを、今ある手段で埋めようとしない、「今」の自分。

過去のせいにしている、今の自分の「捉え方」が、「後悔」のすべてだった。


こう文章として書き起こすと、なんて当たり前で、当然のことで、ありきたりな結論なんだろうと思う。
こんな結論は、もう、とっくのとうにどこかしこの自己啓発本に書き連ねてあるはずだ。

けど、私は、そこにあった「モノ」たちを目の前にして、やっと、初めて、自分で思い出さないようにしていた出来事たちを思い出した。

都合の悪いことは忘れていくように、都合が悪くなる都合のよかったことも忘れるように出来ているんだ、人間の脳って。


今の自分と向き合いなさい、とよく言う。
今の自分がときめくものを。
過去への執着、未来への不安を拭い去れなど。

断捨離最難関、「思い出の物たち」。
思い出は消えないから。
写真に撮ってあるから。
そう心に片をつけて手放すことで浄化されるならそれもよし。

だけど。
人生が低迷しているときは、今までの自分の人生すべてが低迷していると感じてしまう。そんなとき、私達の記憶は、心は、脳は、あてにならない。


「今」の、自分のコンディションを信じ切ってはいけない。
私達は、思いのほか、無意識に記憶の蓋をガチガチにかためられているんだ。

だからどうか、「今」の自分をみつめる過程で、過去を否定したまま、蓋をしたまま、葬り去らないで。
過去への執着を、過去のモノが救ってくれることがあるから。
そんな日が、あなたにもいつか来るかもしれないから。



ちなみに。
実家帰ったとき、私の部屋だった場所は妹の部屋になってて、
妹の部屋だった場所にわたしのものがたくさんあって、
あれ、って思って聞いたら

「部屋、交換したじゃん!えっ、覚えてないの?!ヤバ」

………言われてみれば、そうだった、っけ?
ぐらいの薄い記憶しかなくて。
人の記憶ってせいぜいそんなものみたいです。ほんとうに。


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