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Twitter論客の病。
いきなりだが、あなたは学校の教師で、高校数学の「微分積分」の単元を生徒に教え始めたとしよう。
この時、「先生、まず極限って何ですか?」
という生徒がいたら、困るだろう。
何故なら「極限」は「微分積分」の前の単元であり、かつ「極限」の理解が無ければ「微分積分」の単元の理解もままならないと思われるからだ。
つまり「微分積分」を学ぶ上で前提となる上に、既に習ったはずの「極限」を生徒が分かっていない。
当然困る。
いや、まだ「極限」なら教えてやれたかもしれない。
「xとかyとかの文字って何ですか?」
果ては
「分数ってどうやって計算するんですか?」
こんな生徒がもしいたら、「まず何でこいつらは微分積分を学ぼうとしているんだ?」
と思うだろう。
分かりにくいなら、「連立方程式」でもいい。
連立方程式もxやyの文字の理解は前提だ。
「xとかyとかの文字って何ですかー?」
という生徒がいたら
「まず中1の内容を復習してこい」
となるだろう。
これが一つ前の単元とかならまだしも、高校まで来て未だに「xやyが分からない」「分数が分からない」という生徒に、先生は丁寧に教えるだろうか。
私は事情をあまり知らないが、一部のランクが極端に低い高校では教えることも無いとは言わない。
しかし逆に言えばそんな高校でも無い限り、標準以上の学力の高校なら高校まで来てxとyや
分数が分からない生徒に丁寧に教えたりしないだろう。
そんな生徒が標準以上の学力の高校に入れないだろうというのはもっともだが、ここでは学習に大幅に遅れを取る生徒がもしいたら、くらいの仮定だと思って欲しい。
話が長くなったが、これには皆さん頷けたと思う(そうでは無かったら残念ですが話はここで終わりです...)。
頷けた人は、もし生徒が高校で先生に「xとyを何故教えない?分数を何故教えない?もうこんな高校退学してやるー!」と言ったら、お門違いだと思うだろうし、そんな生徒は本人の望みのままに退学させた方がいいとさえ思うだろう。
ましてや、生徒が
「何故xとyを教えないんですか?何故分数を教えないんですか?もしかして、先生は知らないんですか?教えられないんですか?」
と言い出したら、「何言ってんだこいつ?」
と思うしかないだろう。
しかし、その生徒の奇行と同じ事を、しかも奇行だと全く自覚せずやっている人間がいる。それも教師でない人間に対して。
Twitterで、何か言い合っている人たちの中に。
そしてその数が夥しい。
病。
私はそう言わざるを得なかった。
まず、そもそもTwitterで何か言い争ってる者たちの中で、先生と生徒という関係が成り立つ二者はいるのか。
一方が生徒であり、もう一方が教師だ。という関係は?
無いだろう。
不特定多数の中で互いに互いを知らぬ、たまたま言い争いになった二者の話だ。
つまりその時点で、一方がもう一方に何か常識的なことを教える義理など無いのである。
https://twitter.com/suto_emini/status/1272062381779107842?s=21
引用はフェミニストVtuber須藤エミニさんのツイート。
全くその通りだ。これに加えて、聞くまでもない常識的なこと。
https://twitter.com/hidden_czar/status/1272082778163568640?s=21
引用はhiddenさんのツイート。
全くその通りだ。
高校の教師と高校の生徒という関係でさえ、
教師が生徒に「xとyとは何か」「分数とは何か」レベルのことを教える義理は無いのだ。
教師と生徒ですらない間柄に、何故常識的なことを教える義理が発生するのだろうか。
言い合いの際、論敵に常識の説明を要求している人間は、相手を教師と見ているのだろうか?
それも、常識の説明をしてくれるようなレベルの教師だと。
そうじゃないとしたら、さぞかし自分を教師、相手を無知な生徒と見ているのか?
だとしたら生徒に教えてもらおうとする教師とは一体?
それも常識的なことだ。
どちらも違うだろう。
二者に、教師と生徒などという関係は存在しない。
ましてや常識を教えろなどと。
さて、この奇行種が何故奇行をするのか、その目的は?というところについてだが、ここでは述べないつもりだが、
「シーライオニング」という言葉の意味をご存知無い方は調べてもらったり、
「論駁に窮した人間の心理」について考えてみて頂きたい。
「論駁に窮したと感じたとしても尚論駁を続けようとするなら、論の正確性より漠然とした謎を突くがのごとく論駁という行為自体を優先させる」ものだ。
「漠然とした謎」とは、それ自体は謎に思えるものの論旨や論理展開に関係なかったりするものだ。
私自身がつい昨日までひどいシーライオニングの使い手の毒牙にかかってしまい、後日の今日フェミニストも何人もそのシーライオニングについて苦言を呈していたので、これを書き記すことにした。
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