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『ロング・グッドバイ』


久しぶりにチャンドラーの『ロング・グッドバイ』を手に取った。
ちょっとしたきっかけがあってのことなのだが、
パラパラとページをめくるうちに止まらなくなり、100ページ以上も読んでしまった。
あらためて面白い本だなぁと思う。


私が『ロング・グッドバイ』と出会ったのは2010年秋のことだ。
「出会い」なんて言えば大袈裟に聞こえるかもしれないが、
生きているあいだにいったい何冊の本を――繰り返し何度でも読みたくなる、心に響く本を――読むことが出来るのか? という風に考えたとき、これはやはり出会いと言わざるを得ない。

私はこの本を、行きつけの書店で購入した。価格は1048円。
文庫本だというのに平積み、それもかなりの高さまで積み上げられていたことを思い出す。

いま、思うに
◎もしタイトルが『ロング・グッドバイ』でなかったのなら――私とこの本との出会いは無かったかもしれない
(この小説は2007年に『長いお別れ』というタイトルで翻訳、出版されている)。
もしもタイトルがそのままの『長いお別れ』だったなら――私はたぶんこの本に手を伸ばしてはいないだろう。


“誰もが知っているフィリップ・マーロー”が活躍する物語だ。
あらすじを引用する。


私立探偵のフィリップ・マーローは、億万長者の娘シルビアの夫テリー・レノックスと知り合う。
あり余る富に囲まれていながら、男はどこか暗い影を宿していた。何度か会って盃を重ねるうち、互いに友情を覚えはじめた二人。しかし、やがてレノックスは妻殺しの容疑をかけられ自殺を遂げてしまう……

             (ハヤカワミステリー文庫裏表紙より引用)


この、
礼儀正しい酔っ払いテリー・レノックスがなんとも言えず魅力的だ。
彼は1ページ目からいきなり登場し、読む者の心を鷲づかみにする。

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テリー・レノックスとの最初の出会いは、《ダンサーズ》のテラスの外だった。ロールズロイス・シルバー・レイスの車中で、彼は酔いつぶれていた。駐車係の男は車を運んできたものの、テリー・レノックスの左脚が忘れ物みたいに外に垂れ下がっていたので、ドアをいつまでも押さえていなければならなかった。
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そして、私がいちばん好きなところ。
テリーがマーローに充てた手紙とそれを読んだマーローの行動

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事件のことも僕のことも忘れて欲しい。ただその前に“ヴィクターズ”へ行ってギムレットを一杯注文してくれ。そして今度コーヒーを作るときに僕のぶんを一杯カップに注いで、バーボンをちょっぴり加えてくれ。煙草に火をつけ、そのカップの隣に置いて欲しい。そのあとで何もかも忘れてもらいたい。テリー・レノックスはこれにて退場だ。さよなら。
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☆それを読んだマーロー
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感傷的と言われるかもしれないが、テリーに頼まれたとおりのことをした。二つのカップにコーヒーを注ぎ、彼の方にバーボンを入れ、それをあの朝に彼が座ったテーブルの片隅に置いた。彼のために煙草に火を点け、カップの隣に置いた灰皿にのせた。
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              ☆太字部分は本文(村上春樹訳)より引用

こんな風に
約600ページ、端から端まで
どこを切り取っても面白い。
味のよくしみ込んだおでんのよう。
何度読んでも面白い。
愉快。飽きない。
心に染み入る。
それが『ロング・グッドバイ』。



そんな素敵な『ロング・グッドバイ』なのだが、
その後、2冊目、3冊目とチャンドラー作品を追いかけても(読んでも)
いま一つ、ピンとこない。
残念なことだけれど。






※読みいただきありがとうございます。
ヘッダーの写真はハヤカワミステリー文庫表紙を星川が撮影したものです。