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篠原涼子に嫌がらせ弁当を作ってほしい


昼食は食堂で済ませている。もちろん、黙食であり孤食である。仕方のないことだけど、寂しさは募る。
お昼ご飯は決まって、白米とみそ汁と惣菜がこれでもかと詰まったデリバリーのお弁当。食堂におばちゃんはいるものの、定食や丼ものは作ってくれない。彼女らの仕事はみそ汁と白米を茶碗に山のように盛ることと、食べ終わった食器を直すこと。これで400円だから、一人暮らしにはとてもありがたいサービスではあるんだけどさ。

ところが、何人かに一人がお弁当を片手に食堂へ入ってくる。中年の男性は奥さんに作ってもらったんだろう、若い女性は少し早起きして自分のために作ったのかな、お母さんはお子さんに作った分のついでなんだな。
一つのお弁当から、物語が聴こえる、溢れんばかりの愛がこぼれている、優しい匂いが漂っている。


大学時代は、所属してた体育会の寮の食堂で、マネージャー(現役女子大生)の料理る栄養も愛情も満点の食事を摂っていた。当時は、20,000円/月と破格の寮費の代わりに、1日2回ある地獄のトレーニングのせいで頭も身体も精神も狂っていたし、必死だった。普段の寮生活の、身の回りのモノへ感情を割くのは余計なことだと思っていたし、感情を動かすことを忘れてもいた。だから特に食堂で、あるいは食堂や手作りのごはんについて、思いを馳せたことはそんなにない。

高校にも食堂があった。片田舎の高校に食堂がついているのは稀であるが、定時制の学科が関係しているらしい。ただ、食堂はあっても基本的にはみな各々のクラスで、仲の良い友達と机を寄せ集めて島を作って、家から持参するお弁当を食べていた。例にもれず僕もそうだ。が、食堂で昼食を済ますヤツもいた。そういうのは決まって全国模試で一桁にランクインする天才か、〇〇部のエースもしくは司令塔か、帰宅部の可笑しなヤツか、好感度のめちゃくちゃ高い変わりモノか、とにかく学校生活で一目置かれているような奴らばっかだった。思春期真っ盛りで厨二病の後遺症に苛まれていた僕にとって、少数派で飛び抜けた彼らは憧れの対象だったし、そんな彼らのテリトリーである食堂では、僕も月一くらいで利用してはいたものの、常に緊張と興奮を覚えていた。

「ババアが作るくそ不味いベントーなんて食えるか、ボケ!」みたいな反抗期はとっくに通り越していたし、お袋が作る弁当を食べ残した記憶もない。だが、ありがたみやあったかさを感じていたのかと問われれば返答に詰まる。高校生当時の想像力の欠片もない僕にとって、お弁当なんていうのは「登校前に家の玄関に置いてあって、昼になったら冷めてしまう、白米は箸を真っ二つにするくらいカチカチに固まって(実際に折れたこともある)、フルーツはぬるくなる、そういうモノ」でしかなかったんだから。
できれば、毎日食堂を利用する側にいたかった。お弁当なんてそんなに欲しくなかった。


今、23歳で、独りで、社会に投げ出されて、自分のために作ってもらったお弁当を食べたい。そっち側がうらやましい。
失ってやっと価値に気付いたのか、感受性が少しばかり豊かになったのか、ただ単に人肌が恋しいのか、とにかくそんなことを干支が二周してようやく思った。少しは成長した気がする。糠喜びした。



けど実際、芯にあるのは「凡庸じゃなさへの羨望」なんだよな。
みんながお弁当食べているときは、食堂の定食が食べたくなって、周りが食堂で食べてたら、お弁当が食べたくなって。
隣の芝生が青く見えるのとはちょっと違う、周りや他人がただ羨ましいわけじゃないから。強いて言うなら「少数派の芝生は青い」かな、そしてそう思う自分のケツはもっと青い。でもほんとにマイノリティになって、除け者にされて爪弾きにされるのも怖い。


変わったのは、環境で周りで。変わってないのはボクで。
人間そんなにすぐ変わらんよ、とも思うんだけども。


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おべんとうばこのうたってあったな、と思って改めて聞いてみたんだけど、
♫これっくらいの おべんとばこに おにぎりおにぎり ちょいとつめて きざみしょうがに ごましおふって にんじんさん さくらんぼさん しいたけさん ごぼうさん あなのあいたれんこんさん すじのとおったふき♫

ここから歌詞があらぬ方向に進み、気づけばアリさんとゾウさんの分のお弁当が完成していた。停止ボタンを押して、イヤホンを外して、深く息を吸って、頭の中で叫んだね。

オレの分をつくれや。!


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