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【序章】祖母の手記によせて

祖母の手のひらには、いまだ戦争の断片が残されている。
それに気付いたのは小学3年生のときだった。繋いだ祖母の手は空気がしぼんでしまった風船のようにしょぼしょぼで、独特の皮膚のたわみを握っては伸ばし楽しんでいたのだけれど、一箇所ガリッと金属のような固い物体が残っていたのだ。ただならぬ感触に驚き祖母の目を見ると、彼女は「ふふふ」といつものように微笑んでいた。

それが戦地で作られた傷だと知るのは、数日後のこと。母から聞かされた事実に、「へえ?」と半信半疑だったものの、すぐそばにいる私からみた”祖母”の像がすべてでないことを知った。
その後、太平洋戦争における沖縄戦の位置付けを知り、ひめゆり学徒隊という存在を理解した。6月23日に終戦したという沖縄戦だったが、祖母はそれにも気付かずに数ヶ月もガマに隠れて生活していたことも、被弾したことも、その傷を塩水だけで消毒していたことも、腐ったイルカの肉を食べたことも、友人と二人きりで支え合っていたことも、何もかもが彼女の青春だった。それは私が想像し得ないほど壮絶で、熟考すればするほど思考が拒否したくなる、残忍な青春だった。

私から見た祖母は優しすぎる天女のような人で、笑顔がこれ以上ないほど可愛くて、でも驚くほど不器用な人だ。今年94歳になる彼女はいまだ那覇の小さな家で、祖父とふたりで暮らしている。

私が彼女に直接、戦時中の話を聞くことはできない。祖母は話したがらない。未だに6月が来ると悪夢にうなされるという話を聞く。その中で残された彼女の手記は、唯一祖父が聞き取りをし書き起こしてくれたもののようだ。
ワープロで書かれた手記は、このまま燃えてしまえば永久になくなってしまう。それだけは避けたく、このたび文字データとして改めて書き起こし、現代に格納してみる。

これから書き写すのは、とある十代の女の子の話だ。
そして「かわいそう」という、安直な思いは捨ててほしい。
戦前の学校生活で習った歌や部活動のこと、好きな先生のことを語る祖母は戦争体験者の前に、ひとりの女の子だった。戦後、祖父と恋に落ち、結婚をし、子を育て、沖縄返還を経験し、孫を愛し、令和を迎えた彼女は美しいひとりの女性だ。

私は祖父母を最大限に尊敬している孫のひとりに過ぎない。