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吐瀉物とわたし②──フライングバタフライ篇

人の吐瀉を笑うな──とは、どこかの本のタイトルのようだが、この信条抜きに嘔吐を語ると、自分のことを棚に上げて人の不出来さを指摘する上司のように、ただの軽薄なぺらぺら人間となってしまう。

吐瀉行為を前に、人類はみな平等である。
自分のことを棚において他人のおもどしを笑うことは、倫理観がずっぽ抜けた不敬な輩である。

という前置きから察する通り、ここで自己紹介がてら、過去にしでかしたわたくしの嘔吐話でもひとつ手短にご紹介しよう。

もちろん今回も可憐で美しいお話なのだが、いま現在「ランチを食べてるの。うふふ」やら「大戸屋で鯖の炭火焼き定食くってんだ」という方は、静かにご自身のSNS等で「あとでよむ」と拡散してくれればよろしい。


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さて。

大学3年の冬、先輩宅で鍋会での事件だ。
我が人生で恥ずべきランキングトップ3へのランクイン間違いなしの、とても汚らわしい事件が「勇者王誕生!」ごとき勢いをもってして、爆裂誕生したのであった。

某国立大学に通うために全国から学生の集まった愉快な箱庭に住んでいた我々は、「鍋会」と称し、ひもじい財布事情を少しでも楽にすべく苦肉の策を練っては、人の家で鍋を突く遊びをよくしていた。

あの日もとても寒い冬の一夜だった。
部活(自転車部)界隈で、ある先輩宅で鍋をつつこうという話が盛り上がり、六畳一間の家に8名ほどで押しかけたのであった。

ここで前提条件としてひとつ。大学生は阿呆である。こう解けば、10人中8人が身を乗り出して

Q.寒いため温まる行為を挙げよ。
A.鍋! 酒! モラトリアムに揺蕩う己の不幸自慢で自尊心を慰める!

いま思い出せば、とかく最も狂っていたのは小生であろう。

誰の仕業かは知らんが、泡盛とウイスキーがこたつの上に置いてあったのだ。そして人々は躊躇なく、お湯割りないしはストレートでガバガバ飲んでいた。

この日まで私は精神的毛の生えていない小童であり、恥ずかしながら蒸留酒の恐ろしさを全く知らなかったのであった。無知の極みだ。

ツバメが低空飛行をすれば雨が降るように、美しい夕焼けのあとはまばゆく星が夜空に浮かび上がるように──意気揚々と蒸留酒を煽れば、次の展開は決まっている。

「はじめてのおつかい」で幼児がホールケーキをおつかいし、帰路でステンと転び箱を投げ出すあの現象と同じように、無知な女子大生がチェイサーも挟まずに、泡盛・ウイスキー・泡盛・ウイスキーという順序で淡々と飲み下していたら、結果は火を見るより明らかだろう。


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私には苦楽をともにしたアヤシイ仲間がいる。

その中でとりわけ同期のMは、いまでも時間を見つけてはふたりで安酒を嗜み、世の憂いを「ウーム」と語り合う愉快な仲間のひとりだ。Mは良いヤツなのだが、決して慈愛にあふれる人間ではないため、この事件を今でも嬉しそうに語る。(彼の名誉のために言っておくが、彼は私の数十倍性格が良い)

「いやあ、すげえ光景だったんだわ。」

以前、某チェーンの居酒屋で飲んだ時も、彼はこう満面の笑みで語り始めた。彼がこの話をするときほど、うまそうに飲む酒はない。

「いつの間にか姐さん(姐さんとは私のことを指す)スヤスヤうつ伏せで寝てたのね。夜も深まって、それなりに盛り上がりも一段落したときだった。したらさ、突然『ゴボアァッ!!!!』って飛び跳ねたんだよ、上半身が」

そう言いながら、ヤツは500mlのジョッキに入った発泡酒を喉を鳴らしながら飲んだ。

「水泳のサ、バタフライみたいにサ、吐いてたわけよ。フライング・バタフライってワケ。がははは」

昔に思いを馳せながらMは2回深く頷いた。そんなとき私は「さぞかしこいつは饒舌に楽しそうに語るな、なんていう幸福な顔をしてやがるんだ…。」と思いながらも、ちびちびハイボールを啜ることしかできない。


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つまるところ私は寝ゲロを放った、しかもそれは皆がほろ酔い状態で和気藹々としたこたつのそばで起こった事件だったから、本当に最低最悪の事態を招いてしまったというのだ。

無論、鍋会は一気に地獄に突き落とされることとなる。密室で人が嘔吐することほど不快なことはなかろう。本当にすまん。

一斉にこたつから誰もが避難し、外を吹きすさぶ凍てつく風で温暖な室内の空気を洗わなければならなくなった。さっきまでこたつの中で足をツンツンしあっていた男女がいたかどうかは忘れてしまったが、要は彼らも避難をせねばならなくなったのである。こう考えると他者の恋仲をぶち切る黒い天使として良い仕事をしたと思えるが、他者の不幸を招いたところで自身が幸せになれるわけなどない。

中でも私が一番心を痛めているのは、先輩家のカーペットを駄目になってしまったことである。この一升瓶で自らの頭を殴り絶命できたのならば、なんて幸せなのだろうと、途絶えつつある意識の中願っていた。

というような経緯にて、私のやらかした嘔吐事件は「フライングゲロ事件」と命名され、語り継がれることとなった。


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月日は流れて、早数年。

かの頃の仲間は、安い酒を共に煽っていたことが信じられないほど、それぞれ自身の研究へ没頭し、多くは修士課程をめでたく修了した。数名は結婚をし、織りなす布をもってしていつか誰かを温めるのだろう。

Mは唯一博士課程へ駒を進めたとのことで、ますます獣道を邁進しているようだ。道なき道を進む背中はたくましく見え、外野は「それいけ」と生ビールを片手に揶揄してくることであろう。しかしプレイヤーにとっては、日々を生き抜くだけでありえんほどの精神力を要し、他者が理解できぬほどのギリギリの世界を歩んでいるに違いない。直接的な連絡が心の髄へ届くという確証はないから、セピア色の思い出に乗せて間接的な応援を送る。

人生というものはままならず、卒業・修了をしてしまった今、もう交わることなどないかもしれないが、確かにあの日わたしたちは一緒の鍋をつついていたよ㋧と、令和版「時には昔の話を」をお送りしたわけである。

私は思うのだ。いつか私の葬式で、この話をしながら皆が涙を笑顔に変えてくれたら──。
などと道徳の補助教材「心のノート」で推奨されるような微笑みを浮かべるが、どうあがいても吐瀉物は吐瀉物なので、それ以上にはなれないのであった。

***


吐瀉物の話は尽きることない。

今後も『吐瀉物とわたし』はシリーズ化することは確実であり、喜怒哀楽様々な吐瀉が登場するので、どうぞご期待頂きたい。

もちろんあなたが食事中で「なんて汚らしいのでしょう」や、他者の嘔吐行為を「ネタにするなんて酷い人間だ」という意見はもちろんあろう。

しかし、私もまた人間。

己が今宵酩酊し道端に転がっていない確証など、どこにもないのだ。