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アイドルがこの本を書いたと信じたくない〜トラペジウムを読んだ〜

トラペジウム、ずっと知っていた本だったのですが、ここまで読む機会もなくきていました。
アイドルが書いた、アイドルがテーマの小説ということで、ずっと気になってはいたものの、優先順位をつけた時に高くはなくて……
それでなくても積読が多いので(早く読め)、ずっと後回しにされてきたのですが、映画をみて、その足で本屋さんに行き、家に帰ると読まないからと喫茶店に入り、一気に読みました。

映画の感想はこちら

ストーリーとしては、アイドルを夢見た少女の希望と挫折、努力と成長、目標と諦め……
強い光の元には強い影がある、そう思わせられる内容でした。
アイドルとして活動していたかずみんが書いたと思いたくないくらい、アイドルになりたいゆうちゃんのわがままで汚い部分、アイドルの辛い部分、人間の嫌な部分が凝縮されていて、アイドルをしていたひとだからこそかけるとも思わされました。

「私が私じゃなくなるみたい」「アイドルって楽しくない」「身近な人を幸せに出来ないで」という痛い言葉がゆうちゃんに突きつけられて、アイドルとしての夢をみるためにわがままを通す「アイドルらしい」自己顕示欲と承認欲求、でも自信のない後暗さがめちゃくちゃに苦しくて、辛すぎる……

どうしても映画を観たあとなので映画との対比で書きたくなるものですが、まずは本の感想をば。

ゆうちゃんの自己肯定感の低さがすごく際立っていて、それが「人間って光るんだ」と気づいて、自分も光りたい、アイドルになりたい、みんな光りたいと思っているはずだ、という強い動機を感じて、アイドルにこだわる理由が分かりました。
幼少期にカナダにいて、英語がペラペラなことが肯定的に描かれるだけでなく、カナダで英語が出来なくて苦しんだエピソードが入っていることで、彼女の自己肯定感の低さの由来と、そこから無視されない人になりたい、という意識がきているのかなと、映画を観たあとだとゆうちゃんの掘り下げになりました。
それから、ゆうちゃんは「アイドルになる」が目的すぎて、一直線すぎて、学校行事もふくめ全てが「意味のあることなのか?」と毎回気にして、意味がなさそうだとやる気をなくして……というのが危うすぎるし、わがままで、アイドルらしすぎるなと思いました。
こういう「自分を中心にしか考えられない人」だからトラペジウムの主人公になれるんだよなと。

それから西南北の3人、映画より強めに「ゆうに救われた」人として描かれてるかも……
ゆうが初めて女の子の友達になってくれて姫としてじゃなくて友達として生きる楽しさを教えてもらったくるみ、テニス部でなにもできずにいた自分にいろんな世界をみせてくれたと思ってるみなみ、学校に馴染めずにいる自分に声をかけて寄り添ってくれたみかちゃん、それそれの「ゆうへの思い」があるから限界までゆうとアイドルをしてたんだろうなと思うと、東西南北(仮)って本当にゆうの努力と勢いと自己プロデュース力であそこまでかけ登ったんだなと思って本当にすごいな……になりました。

それから工藤真司、映画で私の性癖にぶっ刺さった男についてですが、彼、「ゆうがアイドルとして生きていなかったら恋仲になっていた」を小説の方がより強く感じました……
「アイドルをみて、人間って光るんだと思った」というゆうに対して「初めて会った時から君は光っていた」というシンジくん、どう考えてもゆうに恋してる……
最後、ゆうに告白じみたことをしていたし、でもゆうは国民的アイドルのリーダーとして生きてるし、どういう選択をするんだろう……
おとなになって、嘘を覚えたゆう、、、
あの頃の自分はかっこ悪くてかっこよかった、と思っているゆうだから、今後のことをいろいろ考えて、付き合うのか付き合わないのか、はっきり決めるんだろうな……
星が好きだというシーンで「さすが光るものが好きなシンジくん」ってゆうに言われてるのも本当に伏線なんだろうな……

この小説をアイドルが書く、という生々しさがドキドキしてしまうんですが、この生々しさと痛みを受け入れてこそ、アイドルを応援することが出来るのかななんて思うので、まだしばらくはこの苦しみを抱えて生きたいと思います

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