見出し画像

13回目の3.11

(東日本大震災が起きた当時の様子を記しています。津波に関する記述もありますので、ご注意ください)

今年もやってきた3.11。早いもので、もう13回目になる。

東日本大震災が起きた時、私と長男は実家にいた。
そのとき、長男は0歳1ヶ月。生まれたてホヤホヤで、授乳間隔が2時間も開かず、私はまとまって眠れない日々が続いていた。
起きていても常に頭がポーッとしていて、毎日フラフラの状態だった。

2011年3月11日も、いつも通り眠かった。14:40過ぎに授乳とおむつ替えを終えて、リビングへ長男を運ぶ。
座布団の上に彼を乗せ、テレビを眺めていたら、急に家全体が揺れた。

「地震!」
普段は大声などあげない私の母が、叫んだ。
実家がある愛知県では、東北や関東ほどではなかったが、ガタガタと大きな横揺れが起きた。
私の眠気は一気に吹き飛び「この子を守らねば」と思い、とっさに長男の上に覆い被さった。
早くおさまれ、早くおさまれと、心の中で祈りながら。

テレビを見ると、地震速報が入ってきた。
東北では震度7を記録したとのこと。
とんでもない災害が起きたのだと、ほぼ脳みそが動いていない私でもわかった。

その後も何度か家が揺れ続ける。
しばらくすると、テレビから信じられない光景が流れてきた。
津波だ。

車や建物が、どんどん流されていく。
真っ黒な波が襲い掛かり、街を飲み込んでいく。
車の中に人がいて、波に流されていく様子が映し出される。アナウンサーが「逃げて」と言い続けるが、逃げることなどできない。
最初は一体何が起きているのかわからなかった。
これは現実なのか?とも思った。

同じ日本の中で、信じられないことが起きていた。
私は長男と、母と、恐怖を感じながらも、安全な家の中にいる。
正直、目の前の映像と、自分の置かれている環境の落差に、私はどんな感情を抱いたらよいかわからなかった。
1人でも多くの人が助かりますようにと、祈るしかできなかった。

あれから13年経ち、その間にも熊本や石川で大きな地震が起きている。
いつ来てもおかしくないから、私たちは備えておく必要がある。
食べ物、水、家族との合流場所などなど。

地震は防げないが、備えはできる。
当たり前のことだが、東日本大震災を経験して、わかったことだ。
災害は忘れた頃にやってくるもの。
被害を少しでも抑えるためにも、できることはやっておこうと、今日、黙祷しながら思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?