日記 2024.4.29


 数値がリアルタイムでグラフ化され、数秒おきに更新される。
 それは実体世界の何かの観測結果を示しているのだけど、表示されるのは数学Iのテストの問題用紙みたいな、シンプルな白と黒の画面。繰り広げられる微妙な変化に、規則性や意味を見出そうとしたけど、ほんの1日見ただけでは全く何もわからない。
 そのまま新しい1日が終わった。
 無力さを感じた。

 池の鯉を眺めているのとほとんど変わらなかったなぁ、と思った。
 
 苔緑色の、さして大きくはない池。
 乾いた木々に囲まれた池のふちに、子供服を着て、ズボンの膝を土に汚した自分が無表情に座っている。
 水面上に、鯉がぽちゃぽちゃしている。
 黒や白や赤の皮膚が、時おり水面にさあっと線分を描いて消える。
 グロテスクな口がぶかぁと開けば、それは水面上にランダムに浮かぶ点として観測できる。
 
 どんなタイミング?
 どこに出て来る?
 線や位置に規則性はある?
 そもそもこの水面はどういう意味?
 考えているだけでは何も答えはわからない。
 鯉の習性を知って……その上に経験を重ねていけば、その時その時の最適な答えがわかるようになるのだろうか。
 (そもそも答えなんてある?)
 
 こういう池の鯉のように、無数の動くものたちが、それぞれまったく任意のタイミングで動いて、一瞬の偶然の光景を構成する、という概念を捉えるのが僕は子供の頃から苦手なようだった。
 とっても単純化された1つの相関性、何か1つの大いなる意図のようなものがある……と考える方がむしろしっくり来る。
 つまりセカイは僕と僕以外だけ。
 池の鯉ではなく僕は池という1つの現象を見ている。

 夜は遅い時間に出掛けた。
 吹き抜ける夜風は少しぬるくて涼しい。
 初夏の匂いがした。湿った土と草の感じ。連休中に田植えが徐々に始まっているからだ、と思った。
 空を塞いでいた冬の名残はもうすっかりとれている気がした。
 スーパーマーケットのがらんとした駐車場で、誰か子供がキャッキャと騒ぐと、その声が夜空に抜けていくような、解放的な感じがした。カエルの声。
 カツオのたたきが乗ったサラダと、500mlのココナッツミルクを買った。
 背の低い白髪のおじいさんがレジを打っていた。
 近くにバイト募集のポスターが貼ってあって、おじいさんの時給が書いてあった。


#日記 #散文