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Vol.1 フェアトレードを学び母国へ帰った中国人留学生

「先生、4月に日本に行きます。会えますか?」

卒業生を訪ねる本企画を考えていた頃、ちょうどそんな連絡があった。中国在住の卒業生、ザンさんからだ。どうやら旅行で日本に来るらしく、7年ぶりに会いたいと連絡があった。それなら……とインタビューを依頼し、横浜の中華街で食事をすることにした。

ザンさんは、桜美林大学大学院の国際協力専攻に中国から留学してきた学生で、2014年から2016年まで私が指導教員を担当した。中国福建省のアモイの大学から文部省の国費留学生としてやってきた、とても積極的な女性。スマートで、おしゃべりが上手だった印象がある。「国連で働きたい」という夢を聞き、そのバイタリティの高さに納得した学生さんだった。

当時、中国人の留学生に国際協力を教えるとはどういうことなのか、日本人の学生と何が違うのかずっと模索していたような気がする。留学生たちは、やはりどこかスケールが違って意表を突かれることも多く、ザンさんにも何度も驚かされた。

そういえば、夏休みに何をしていたかと聞くと、「宮城県の被災地でボランティアをしてました」と事も無げに言われて、びっくりしたこともある。あまり知られていないが、東日本大震災の復興ボランティアには随分と留学生も参加していた。ザンさんは、台湾から来たボランティアの通訳をしていたと言う。高度成長期の中国の若者の勢いを、一番感じさせてくれたのは彼女だったと思う。

中華料理屋の店内で待っていると、ザンさんがドイツ人の彼氏と一緒に現れた。しかも、東京で買ったお土産を持参して。そこは上海のお土産では、と思ったが、細かいことを気にしないザンさんらしいとも思えて、相変わらずのダイナミックさに笑えてきた。

卒業後は中国に戻って就職すると決め、実行したザンさん。この7年間、中国も日本も含め大きく変わりつつある世界のなかで、どのように生きてきたのか。乾杯のあと、少しずつ聞いていった。

インタビュー当日は、本プロジェクトに協力してくれている卒業生も一緒に。

仕事をしながら、身につけるスタイル。

——卒業以来だから7年ぶりですよね。元気でしたか?

元気ですよ〜!中国に帰って、最初の1年間はインターネットの会社で働いてました。各国のレンタカー企業と提携して、旅行者向けにレンタカーを提供するプラットフォームです。私は日本のマーケットを担当して、1年間で北海道から沖縄まで開拓しましたよ。

——1年で辞めちゃったんだ。

そうですね。日本の市場はほぼ連携を終えてやることがなくなったので、次はヨーロッパや北欧を担当したんです。でも、内容が同じでつまらなくなっちゃって。それで今度はIT系の会社に転職して、アカウントマネージャーを5年間担当しました。

そこでは日本企業が中国進出するためのITサービスを提供していたので、日本語が喋れる私は活躍できたんですよね。マネージャーとして部下を抱えて、アメリカやヨーロッパ企業も担当しました。IT関係の知識もビジネススキルも、やりながら身につけていったような感じです。

——それはすごいな。

去年11月にまた転職して、今はドイツ企業に勤めてます。先生、「テュフズード(TÜV SÜD)」って知ってますか?各業界の試験や検査をする第三者認証機関です。海外進出したい中国の企業を調査・認証したり、逆に海外から中国市場に入りたい企業に向けて、中国特有のセキュリティの認証を提供したりですね。

——ザンさんは、そこで何をしているの?

今はサイバーセキュリティの部門の立ち上げをしています。セキュリティの運用サービスですね。コンサルティングとプロジェクトの構築、運用まで。すみません、全然フェアトレードに関係ないんですけど。

フェアトレードへの熱意は、まだ消えてない。

——ちょっと記憶が正しいかわからないんだけど、卒業周辺でデンマークに行ってなかった?

デンマークは行ってないですよ。あ、でも旅行でフィンランドには行きました。

——フィンランドだったか……。

先生、私はまだ国連で働きたいんですよ。国連で働くためには5年間の就労経験がないといけないと言ってましたよね?もう7年経ちましたし、そろそろ紹介してくれますか?

——いや、どういう話なんだ。僕にはそんな権限ないから(笑)

でも、本当に国連で働きたいんですよ〜!何か秘密とか教えてくれますか?!(笑)

——まあ実際、国連で働くためには「国連公用語」を2つ以上話せなきゃいけないんだけど、ザンさんは中国語も英語も話せるから、そこはクリアしているんだよね。日本出身の人は、母語以外に2つを身につけなきゃいけないから、それが大変。でも、給料は今より低くなるんじゃない?

うーん、別にお給料が低くなったとしても、やっぱり国際協力をやりたいんですよ。実は、私の実家は中国の田舎でお茶を作っているんですけど、今はそれをフェアトレードのビジネスにできないかなと考えてるんです。

——ザンさんは、最初の留学先だった長崎でフェアトレードの概念を学んだんだよね。たしか、修士論文のタイトルは「日本の経験に学ぶ中国におけるフェアトレードの可能性-中国安渓県祥華卿新寨村の茶生産と茶販売-」。当時は「えっ中国でフェアトレード?」と驚いたんですよ。

そうですね。中国にはフェアトレードの意識がないので、日本でフェアトレードについて知ったときは衝撃を受けました。

私の実家は、お茶の生産から販売まで自分たちでやってるんですね。ただ中国は本当に貧富の差が激しくて、田舎の農民はまだ貧しい生活を送っています。私の実家があるような山奥にいる農民に、どう教育を届けて、自分たちの商品の価値を上げていくのかを考えたい。それで今、おじいちゃんと一緒に実家でオーガニックのお茶が育てられないかテストしてるんです。

——へえ!オーガニックのお茶を。

もし海外に輸出したいと思っても、成分にいろいろな規制がありますよね。それらをクリアしたオーガニックのお茶で、小規模のフェアトレードビジネスができないかなと思ってるんです。あ!先生、デンマークのこと思い出しました!

——え!

修士論文を書いたとき、中国のお茶の産地でフェアトレード組織を立ち上げたデンマークの方にインタビューしたんですよ。リモートでしたけど。だから、デンマークには行ってないけど、たしかにデンマークは関係がありました。

——つながった(笑)でも、そうか。まだフェアトレードに関心を持ってたんだね。もう忘れちゃったのかなと思ってたけれど、相変わらずですね。

さっきも言ったとおり、中国は貧富の差が大きくて。都市は収入も生活費も高いですが、田舎に行くと本当に給料が安いです。まずは、中国国内で地域間貿易というか、やっぱりフェアトレードがやりたいですね!

国際的な視野の広さは、ビジネスにも。

——今の仕事や将来の展望に、国際協力で学んだことが活かせている感じなのかな。
それはそうですよ!仕事で活かせると思って日本語を勉強して、縁があって大学院にも進みましたけど。その道を選んでよかったと思ってるんですよ。

——どこがよかったですか?

一番は視野が広がったこと。特に先生のもとで国際的なことをいろいろ勉強しましたよね。労働環境とか地球環境とか、もちろんフェアトレードも。社会人になっていろいろな仕事をしてきましたけど、物事を客観的に捉えられている実感があるんです。いろいろな角度から物事を見て解決策を探せるのは、やっぱり国際協力を学んだからなんじゃないかな。

——そうですか。実は、ザンさんが卒業後に中国に帰って就職すると聞いたとき、すごく驚いたんですよ。日本に3年間も住んでいたし、日本語も上手だし、そのまま日本に住むんだと思ってました。そのときに「日本に未来はないから、私は中国に帰ります」と言ったの、覚えてます?

いや、先生!それは違いますよ!私は「自分の性格上、日本企業で働くのは難しいから帰る」と言ったんです。日本の会社は厳格だし、年功序列がある。それが、私には合わないと思ったから。

——ああ、なるほど。僕が覚えてるのは「先生、中国のほうが私の未来が開けるから帰ります」と言われたことなんだよね。当時、中国からの留学生は「中国で就職するほうが簡単だから」という理由で帰国する人も多かったんだけど、ザンさんはそういう考えじゃないんだって思った。

中国の会社も楽ではないですけどね。やっぱり文化が全然違います。中国企業は効率的にバーっと動くし、みんなはっきりと物事を言ってくれる。私もおかしいと思えば、上司でも意見します。それがちゃんと評価されて、若いうちから部門の立ち上げやマネージャーを任されているんだと思うんですよね。日本は大好き。でも、中国に帰って自分の能力を発揮していくのがいいなと思ったんです。

——うん、おもしろいですね。でも、日本で働きたいなって気持ちは全然ない?やっぱり中国の方がいいですか?

もしかして、チャンスありますかね?!きっと同世代のなかでは経験を積んでいるほうだと思うんですけど、先生、どう思います?

——勢いがあるなあ(笑)。ザンさんみたいな優秀な人に日本で活躍してもらえたら、日本にとってもすごく良いことだと思うんですよね。

何かチャンスがあったら、すぐ連絡してください。先生!(笑)


インタビューを終えて

食事をしながら話を聞いてみると、ザンさんはあまり変わっていなかった。仕事の内容も生き方もダイナミックで、前のめり。特に中国企業との相性がいいのだろう、仕事でもどんどん結果を出していて、正直そのスピード感には驚いた。

仕事柄、国際的な動きが気になるなか、中国の発展は外から見ていても勢いがあった。そこでかつての教え子が働く様子を聞き、「ああ、中国が発展しているのはこういう理由なんだ」と腑に落ちた部分もある。若くして重要なポジションを任されて、部下をたくさん持ちながらステップアップしていく。日本企業でそれができる会社が、どのくらいあるのだろうか。日本社会の痛いところを突かれたようで、ドキリとしてしまった。

これから話を聞くことになる日本人の卒業生たちは、大丈夫なんだろうかと少し不安になる。国際協力を学んだ彼らは、ただでさえ日本社会に適応するのに苦労するのではと仮定している私にとって、ますます心配のタネが増えたような気もする。

一方で、中国からの留学生みんながザンさんのように生きられるわけでもないはずだ。国費留学生として大学院に通っていたザンさんはやはり優秀であったし、同じ留学生でも生い立ちや価値観などはそれぞれだろう。ザンさんと会ったことで、他の留学生がどう生きているのかも聞いてみたいと思った。

国際協力を学んだことで視野が広がったと聞いて、少しは役に立ったんだなと嬉しかった部分もある。まだ国連の夢を持っているようだったけれど、どうだろう。卒業後いきなり国際協力の仕事に就ける人は少ないなか、あのスピード感で社会経験やスキルを身につけているのはたしかに強みになる。いつかは本当に国際協力の仕事をするのかもしれないな。

ただ、ザンさんはあの勢いとビジネススキルを生かして、中国でフェアトレード事業を広めていくほうが合っているんじゃないかな……と、いまだ“先生”のような視点で彼女の話を聞いていた。

まずはカメラの使い方から、少しずつ勉強しなくては……

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