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現役東工大落ち早慶貫通、最終進学先理科大の不合格体験記


生い立ち・中学時代

 私は埼玉の家庭に産まれた。貧困という訳ではなく、経済的な面での不自由はあまりない家庭ではあったものの、親兄弟は皆高卒の低学歴家庭であり、大学受験に関しての知識は殆どなかった。私も当然、何も理解していなかったのでそのまま地元の公立小学校、公立中学校へと人生のステージを進んでいった。
 このこともあって、中学時代の私は高校で進学校に行くメリットも全く知らなかったし、受験勉強は殆どしなかった。ちなみに、中三時のHoi4のプレイ時間が1500時間に到達し、EU4は500時間、スマブラは700時間であったと言えば本当に全く勉強していないことが分かると思う。幸いにして、勉強はしなくとも問題を解くことは出来たので偏差値60前半くらいの地元の私立高校に特待生として行くことができた。
 高校受験の結果だけを見ればそれなりの結果ではあるが、今から振り返ると大学受験以前に「受験勉強」というもの経験していなかった事は後の受験戦略の過ちに繋がっていったと思う。

私文完全特化高校、逆張り🤡は国立理系を夢見る

 私の高校について説明しよう。生徒の約6.5割は日東駒専やそれ以下の私文に行き、1.5割の上位層はMARCH文系、数名の最上位層が早慶文系に行き、残りは理系といった「私文完全特化」高校であった。夏期講習は理系の講座は文系に比べてあまり充実していないし、学級文庫や図書室に置いてある参考書も殆どが文系のものであった。また、私や一部の生徒には殆ど関係がなかったが、他の高校に比べて恋愛や遊びも盛ん、文部科学省の定める高等学校というよりは私文予備校であった。
 私は学校の雰囲気に違和感を覚えつ、文理どちらにするか悩んで高校生活送っている中、ある日の数学の授業において気が狂ったのか、教師が突然、東工大の数学の過去問を出題してきたのだ。生徒たちの多くは当然解けないし、東工大という大学なんて聞いたことがないので困惑したような反応を示していた。真面目な生徒は教科書や参考書の関係ない部分を読み、そうでないものは違うものを眺めたり、友人と会話をしたり、眠っていたり、多くの生徒が問題を解くのを諦めていた。しかし、そんな中、一人だけペンを動かしている人間がいた。私だけは諦めていなかったのだ。授業が終わり、休み時間、次の授業になった後も私は内職でその問題を解き続けた、そして最終的に1時間半ほどが経過した頃、ついにその問題を解く事ができた。その瞬間の爽快感はたまらないものであった。
 下校後、私は東工大という謎の奇妙な大学についてグーグルで検索した。京大に次ぐ難易度を誇る国立大学で、数学完全特化の試験傾向、それでいながら、一般人の間での知名度は皆無。そこで見た内容は当時、東大京大と早慶、MARCH、ニッコマと地元の国立大しか大学の知識がなく、私文予備校生の人間には、完全に異世界のようであり、逆張り🤡であった私が惹かれない訳がなかった。

「俺はお前らとは違う!!」 理系受験を完全に決意、微かに見えた希望

こうして私は理系選択することを決定した。といっても高校1年生2学期時点での志望校は埼玉大学理学部と東京理科大、当時の自分の河合模試での偏差値は53、国立理系で偏差値65の東工大には到底敵う訳がなく、マーチすらC判定といった有様であった。

「まずはマーチ・地方国立レベルは余裕といった状態にならなくては」勉強を始めようとした私であったが、当時の私はどのような参考書をどのように使えばいいのか分からなかった。とりあえず学校で配られた青チャートとターゲット1900等の参考書を解き始めた。当初は簡単な問題(チャートのコンパス3問題)すら解けなかったものの、解き進める事で比較的難しい問題(コンパス4問題)も解けるようになり、着実に偏差値が上昇していった、1年三学期までに偏差値は57にまで上昇、マーチ理工のA判定が出始めた。
 2年生になってからも「俺はお前らとは違う!!」という意識を持ち、タンジェントの定義も答えられない同級生達を尻目に、私は東工大で配点の大きい数学と、数学との相乗効果の大きい物理を重点的に勉強、チャートの難問(実戦問題)も解けるようになり、数学の定期テストでは毎回校内1位、3学期までに数学と物理を中心に学力は急速に伸び、河合偏差値は63.4にまで到達、今までずっとE判定であった東工大でついにD判定(合格可能性35%)が出た、ついに今まで雲の上の存在であった東工大に手が届く可能性が出てきたのだ。


伸びる学力、致命的な戦略ミス

 高三に入ってからも学力は伸びた、偏差値は河合で65にまで最終的に到達、全統記述でも夏の東工大本レでもC判定(合格可能性50%)を達成、確実ではないものの、東工大合格が現実味を帯び始めた。過去問にも着手し、苦手科目で英語と化学は殆ど解けなかったが、物理と数学はかなり解く事が出来た、そのため私は合格最低点の7割を物理と数学で取りきるという戦略を設定した。
 夏休み以降、残りの3割をどうにかして、化学と英語で回収する能力を獲得しなければならない。そう思った私は勉強時間の約7割を英語と化学に充て、また併願校として早慶理工学部も視野に入れ、早慶理工の対策にも時間を割くようになった。
 そうして数か月が経過し、1月になった。私は試験本番と同じ時間割で東工大の過去問を解き、そうして気づく、数学の能力がかなり劣化していたのだ。英語と化学、苦手科目克服に早慶理工の対策、数学の勉強時間は非常に少ないものとなっていたから当然だ。聡明な読者は「伸びないどころか劣化するまで放置してたの?何故?」と思うかもしれない。実際、東工大は数学の配点が大きい。また、私も数学を武器にして入試を乗り切るつもりであったから、それを劣化するほど放置し、伸びるかも分からない英語と化学に投資するのは完全に愚策である。しかし、当時の私は数学力の劣化に気づいておらず、能力を維持できていると錯覚していた。というのも、完全に数学をしていなかった訳ではなく、2週間に一度、定期的に東工大の数学過去問を数問ほどをやっており、それはある程度解けていたから、能力の維持が出来ていると思い込んでしまった。
 英語の能力は、本試で6割以上を取れる程度に向上したものの、化学は全くといっていいほど能力が向上せず、英語の能力向上分も数学の減少分で打ち消されてしまうという無意味なものになってしまった。

早慶理工入試、足りない能力と対策

 タイトルにもある通り、私は早慶理工学部をどちらも受験し、どちらも不合格であった。敗因は何か、考えた結論としてはそもそも早慶理工を受験し
、合格しようなどと思ったのが間違いだった
というものだ。データとして、東工大合格者の内4割は早慶理工には受かっておらず、東工大不合格者に至っては9割早慶理工に落ちてしまっている。東工大でB判定以上を取れている人間はともかく、当時の私はC判定、当落ギリギリにいた状態だ。そんな人間が早慶理工を併願しようと多少対策した所でそれはただの時間と精神的リソースの浪費あることは言うまでもない。しかし、当時の私はその情報を知らずに、インターネット学歴厨特有の私立蔑視から来る早慶アンチプロパガンダ(完全に真に受けていた訳ではないが)に影響を受け、早慶理工は東工大の当落線(C判定)にいる人間ならば割と受かると思っていた。基礎学力に余裕があるわけでもないのに、東工大に早稲田に慶應、当然対策が間に合う訳がない。
 この文章を読んでいる人間の中に東工大志望がいるかは分からない。ただ、もしいたとしたら警告したい、君が模試でB判定以上を取る能力がないならば早慶理工は受験するべきではない。今すぐ君の本棚の、表紙に早稲田大学や慶応義塾大学等とデカデカと書いてある赤い本は捨てるべきだ。その本はマルクスの共産党宣言といった、政治思想的に赤い本と同じくらい、君の人生にとって大きな危険をもたらす可能性がある。

東工大本試、崩れ落ちる戦略

 ツイッターのキモい軍事オタク(極右)(37)が言っていたのを思い出す、戦略での失敗は戦術では取り返せないのだと、その通りだ。戦略(入試の前の勉強方法や対策方法、志望校の選択)での失敗は戦術(入試本番での小手先のテクニック)では取り返せない。
 入試本番を迎える、1日目の科目は数学と英語であった。数学は1完4半とやはり期待通りには行かなかったが、英語は会心の出来であり、入試後の自己採点では7割程の得点率であった。「この調子なら、物理と英語で数学の失点は埋められる、ギリギリだけれど、合格最低点に到達できる可能性はまだある」そう思った。先ほど数学では学力が劣化したと言ったが、物理はそうではなく、依然として東工大受験者の中でも高い能力を持っていた。そうして入試は2日目を迎えた、科目は物理と化学である。
 緊張感を持ち、物理の問題冊子を開く。私は3分程度問題の内容を把握するために、問題文を読み、異変に気付く。問題を殆ど理解できないのだ。
その年の東工大物理は過去十数年でレジェンド級の難易度であり、過去問なら7割取れていたような受験生が今年は4割程度しか取れないというレベルだったのだ。そうなると物理が得意な受験生も不得意な受験生も皆平等に解けなくなり、差がつかなくなる。
 こうして私の数学と物理で合格最低点の殆どを取りきるという当初の戦略は、受験勉強後半で数学を疎かにしたことと、物理の難化によって破綻してしまったのだ。

蘇生を試みる🤡

 高校時代、インターネット上の学歴厨や浪人生達と交流したことで、まだ大学に受かってもいないのに高学歴としてのプライドはすくすくと成長していった。2年半の受験勉強の末、東工大・早慶に落ちた、残っているのはその歪なプライドだけである。

「俺の学歴はもっと高いはずだ!!!!」

 学歴自認と実際の学歴が異なる、トランス学歴の状態に私はなってしまったのだ。この状態を解消するためには学歴転換手術大学編入試験を受ける必要がある。今現在の大学の所属だけを変更し、過去の経歴を書き換えるわけではない院ロンダは学歴厨に「すごい!東工大の院なんだ!で、学部はどこだったの?」と言われただけで化けの皮が剝がれる、女装や男装をしても裸になれば「そうではない」事が分かるのと同じだ。私は学部の時点で高学歴でなくてはならないのだ。理科大から旧帝大への編入を目指し、🤡は今日も受験勉強を続ける。


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