欲しいのは休日? 楽しい平日?
週末は元気が出て来るけど、月曜の朝は憂鬱になる──そんな繰り返しの日々を送っている人が、この国には大勢います。そして、「それが普通」だと考えている人も大勢います。
だからこそ、改めて自分に問いかけてみてください。あなたが一番欲しいのは、休日ですか? それとも楽しい平日ですか?
サザエさんシンドローム
子どもの頃は、平日=学校生活ですよね。僕はその学校生活が、あまり楽しくありませんでした。嫌で嫌でたまらない!という程ではありませんでしたが、「行かなくていいよ」と言われたら、翌日から行かなかったと思います。ちなみに、こうした態度を「消極的登校」と呼んでいます。
そのせいか、いつからか「平日はちょっと苦しくても、楽しみを探しつつ、我慢して乗りきるもの」と考えるようになりました。
日曜夜、サザエさんのエンディングテーマが流れ出すと、もう休日は終わりだと知らされるようで、切ない気持ちになりました。子どもの頃の僕が求めていたのは、平日ではなく休日でした。
制限時間付きの特権階級
大学生になり、24時間を自分次第で好きに組める生活が始まりました。当時の僕にとっては、「学生」というのは制限時間付きの特権階級みたいなもので、やりたいことを好きなだけ好きなようにやれました。
その時に知ったのは、自分が勉強や研究をするのが大好きだという事実です。どちらかというと、「勉強って嫌だな…」という感覚のまま高校を卒業したので、自由を得た自分が勉強に没頭するのは自分でも意外でした。
教育学や心理学から入り、身体論にはまり、1993年夏の鳥山敏子さんと見田宗介さんのワークショップに参加したのをきっかけに、身体的世界に魅了され、机上の研究だけでなく実践的な取り組みにも没頭するようになりました。
楽しい平日をつくりたい
社会人になる直前、僕は「楽しい平日」を選択しました。
普通に就職してしまえば、当時没頭していた取り組みをやめることになり、それは一番の楽しみを手放すことになります。「休日を費やして続ければいいのでは…」とも思いましたが、それでは小学生に逆戻りです(具体的なプロセスは『どこにも居場所がなかった僕が「場づくり」を仕事にするまで』に書きました)。
あれから25年。いまの僕が求めているのは、休日ではなく楽しい平日です。休日も嬉しいですし、楽しみますが、それは「おまけ」みたいな感じです。
とはいえ、途中なんどか、「あれ? 平日が楽しくなくなってない?」と自分に問いかける必要がありました。常識や社会通念に距離を置いてうまくやってきたつもりでも、いつの間にか周りを囲まれて苦しくなることがありました。
あなたの選択は?
「我慢しながら乗り切るのが平日なんだよ! だからこそ、休日が楽しいんだ!」
そう考えたって、もちろんOKですよね。あるいは、
「自分にとっての楽しい平日って、どんな状態だろう? それに近づけるため、何か具体的に出来ることはないかな?」
と「楽しい平日」をつくり出すことに取り組むことだって出来ます。いずれにしても、それは自分自身の選択です。こういう選択って、究極的で決定的な選択みたいに感じる人もいるかもしれませんが、もっと選択することを軽く捉えていいと思うのです。
ひとつの選択をすれば、ひとつの結果が導かれる。そこにまた選択肢が表れ、また選択する──最後まで見通せなくても選択は出来るし、結果が嫌なら別の選択に変更することも出来ます。大切なのは、自分らしく選択することではないでしょうか。