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大人なのに「居場所が欲しい」は贅沢ですか?

あなたには「居場所」がありますか?
単に居ていい場所、居ることが許される場所という意味ではなく、自分らしく呼吸できる、そんな居場所のことです。


学校は居場所ではなかった

僕が子どもの頃、小学校も中学校もつまらなかったです。もちろん、面白いことだってあったし、友達もいるにはいました。それでも、もしいま小学校に通えと言われたら、僕にとっては刑罰でしかありません。

学校は、僕の居場所というよりは、居なくてはならない(行かなくてはならない)場所でした。

自分らしくふるまうというよりは、その場、その集団に合わせることにエネルギーを使いましたし、ある程度それが出来たからこそ、とても疲れていました。

大人だって「居場所」が欲しい

それで、居場所の問題って、大人になって変わるのかというと、あまり変わらないと思うんです。むしろ大人の方が複雑ですし、居なくてはならない場所も多く、そこで要求されるふるまいも多様になります。

子ども時代の話に戻れば、僕のように消極的登校をしていた子は、本当はけっこう大勢いたと思うんです。でも、みんなうまくやっているふりをするし、大人もそれを求めるから、不登校くらいまでやらないと「学校に行っている問題のない子」にカテゴライズされてしまいます。

大人も同じように、会社に行ったり、家庭生活があったり、地域活動に出かけていくことがあったり、色々です。でも、そこが「居場所」なのかと問われれば、そうではない人も多いはずです。

ちゃんと「居場所」を求めよう

僕は思うんです。自分らしくふるまえる居場所がある人生と、他人を演じて居ることが許される場しかない人生は、QOLが大きく違うと。

居場所があるかないかって、自分の人生をたのしめるかどうかに、直結するほど大きな問題だと言えるのではないでしょうか。

本当は居場所がないみなさん。もう、そしらぬ顔はやめませんか?
「大人だけど、大人だからこそ、居場所が欲しいんだ!」と言っちゃっていいと思うんです。

もちろん、居場所がある人たちだって大勢いますよね。それは本当に素晴らしいことです。でも、あるなしってガチャみたいな側面もあるから、自分には満足出来る居場所がないなら、それを認めることも必要なのではないでしょうか。

僕自身は、居場所がないことがきっかけで「場づくり」を始めました。もし興味を持っていただけたら、下記記事もご覧ください。

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