まず「最高の選択肢」から考えよう
れんげ舎の拠点、広いところに移転しました。いつも移転するときは、移転先を採寸して簡単なミニチュアを工作でつくります。視覚的に立体でイメージ出来るので、すごく楽です。
でも、そこまでしても、メインの部屋に置く「ちょうどいいテーブル」が思いつきませんでした。こういうの、われわれは得意なのですが、今回はちょっとばかり煮詰まってしまいました。
突破口になったのは、「最高の選択肢を考えている?」という一言でした。
どんなテーブルを置こうか考えてみたけど
最初にイメージしたのは、四角いテーブルでした。会議テーブルなので、少人数の会議にも使うし、大人数の会議にも使います。
「そうなると、どれくらいの大きさになるかね」
「最小が2〜3人で、最大が10人以上だから、必要なワイドと奥行きは…」
「これ、天板がホワイトボードになってるんだって、良さそうじゃない?」
こんな感じで、テーブルのミニチュアをつくって、周囲に椅子を配置してみましたが、どうもピンと来ません。みんな「う〜ん」と言っています。ちゃんと必要な要素を盛り込んで、予算もそれなりに確保して(こういうことに躊躇なくお金を使う組織文化があります)、オーダーも視野に入れているのに、ピンと来ないのです。
「必要」からではなく「最高」から考えよう
そんなとき、誰かが言いました。
「もう1回、最初から考えない? 最高のテーブルを考えようよ」
「最高のテーブル」という響きを聞いて僕がまず思ったのは、「とても良さそうだ!」ということ、次に「とても高そうだ…」ということでした。でも、思ったのです。
確かにわれわれは、「新しい拠点の会議スペースに良いテーブルを置きたい」と言いながらも、どこかブレーキを踏んでいました。あまり高価なものや、変形など変わったものを、なんとなく避けていました。だから、こう言いました。
「そうだね、最高から考えよう。それで、検討してあまりにも高価だとか、あまりにも納期が遅いとかなら、別のをまた探せばいいよね。でも、最初から気持ちのどこかで妥協して考えるのはやめよう」
無意識に踏む心のブレーキに注意しよう
その経験から、迷うようなことがもしあれば、「最高のものを考えているか?」と自問することにしました。なぜって、何かをするときに、まず軽く妥協してから話を始めることって意外によくあることだと思うからです。
無意識に踏み込む、心的なブレーキ。
でも、それってあまりにもったいないですよね。まず最高のものを考えて、その上で「これさすがに無理!」となれば、妥協していけばいいだけのことですよね。どう生きるかって、何を選択するかで決まります。ちょっとした妥協を無意識でしていると、非常に多くのことを妥協して生きることになりますよね。本当に気をつけなければいけないと思いました。