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身近な人にこそ新鮮なまなざしを向ける

子どものことを「あの子はこういう子です」という言い方があります。例えば「あの子は話を聞かない子です」と誰かが言うとき、その人の言う通りなのかもしれないし、その人の前だけ「話を聞かない子」になるのかもしれません。

相手を人格ではなく自分との関係性として捉える

「◯◯ちゃんは、全然話を聞かない子なんです」みたいな言い方ってありますよね。

だいぶ前に、あるところで実際にこの手の話になったことがあります。僕は話題の子(小学生です)をよく知っていましたが、語られた「話を全然聞かない扱いにくい子ども」というのは、まるで知らない子の話のようでした。

「あなたの話を、聞かないだけじゃないんですか?」

そう言ったら嫌な顔をされましたが、事実だと思うのです。「嫌な話をする人」と思われているのか、「聞くに値しない話をする人」と見なされているのか、そのあたりのことは分かりませんが、要するに二人の関係性の状態の話であって、「その子の人格」の話ではないわけです。

身近な人に客観的になる難しさ

とはいえ、こういうことを身近な人にもそのまま出来るのかというと、距離のある人に比べると格段に難しくなります。難しくなりますが、身近な人にこそ、客観性が必要だとも思えます。

身近な人間関係というのは、どうしても「お決まりのパターン」みたいなのが出来てきます。また、こう言ったらこう返してくれる、ということが、安心感につながる側面もあるでしょう。

でも、生きているだけで人は変化し、人間関係は変数と変数のかけ算ですから、いつでもどんどん変化していきます。
身近な人に期待をしてしまう時、あるいは身近な人を「どうせこの人はダメだ」と決めつけてしまう時、そんな時こそそれは相手の話ではなく自分と相手との関係性の話なのだということと、話してみなければ分からないということを、自覚しなくてはと思うのです。

身近な人にこそ、決めつけずに、新鮮なまなざしを向けたいと思います。でも、それが出来るのは、何かしら自分の中に新鮮なエネルギーを入れる余地、自己に対する風通しのよさのようなものがないと、難しいなと感じます。

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