幸せの型に負けそうな時
何を幸せと感じるのかは、人それぞれに違う──よくそう言われます。でも同時に、日本社会には「こういうのが幸せだ!」という「幸せの型」が存在しています。自分なりの幸せを追求しようとしている人の中には、テンプレート化された幸せの型に、負けてしまいそうになった経験を持つ人も多いのではないでしょうか。
この稿では、2つの「幸せの型」を扱います。
進学して就職して結婚して…という類の人生のレール(イラスト左)
男女や家族などの幸せそうなシルエット(イラスト右)
前者は、いまでも日本社会のスタンダードな生き方とされ、多くの人がそれを選んだり目指したりしています。後者は、もっと情緒的で、ある種のエモさと共に訴えかけてくるイメージみたいなものです。どちらも、なかなか強烈です。
戦後日本の「幸せの型」
一生懸命に勉強して、良い学校に進学し、良い会社に就職をする──そして、良い結婚をして、生まれた子どもに良い教育を受けさせ、安定した老後を送る──こうした「人生のレール」が、戦後日本には存在していた。
昭和の終わりには、「老後の安定のために、幼稚園のお受験に備える」というところまで極まったこの型は、過去の遺物だ。バブル崩壊と共にこのレールは断線したが、平成を経て令和になっても、まだ「このレールに乗ることが幸せの型だ」と考えて、しがみついている人たちが大勢いる。
それでは、なぜそんな古い幸せの型が亡霊のように残っているかというと、新しい幸せの型が見つからないからだ。新しいものが見つからずに、かつての幸せの型はどんどん輝きを失っている。
魔力がスゴイ!シルエットとしての幸せの型
シルエットというのは、例えばこういうもののことだ。エモいフォルム、とでも言えばいいだろうか。
一番右のシルエットは男女が寄り添っているだけで、顔も年齢も何も分からない。にもかかわらず、「幸せそう」にも見える。情報量の少ないシルエットを、脳が補正して幸せをつくりだしてしまうのだ。
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