みんなと一緒、みんなと違う、どちらが好きですか?
赤信号、みんなで渡れば怖くない──ダメだと言われていることでも集団だとやってしまう、そういうのってありますよね。集団心理みたいな話とは別でも、「みんなと一緒」ということに安心感を覚える人は多いはず。でも、それっていまの時代にはもう合わないかもしれません。
「みんな一緒」が合理的だった時代
昭和の高度経済成長の時期は、「みんな一緒」ということに合理性がありました。周囲と同じように歩調を合わせて働ける人材が活躍する時代だったからです。「個性的な人」という言葉は、いまは肯定や否定のニュアンスは曖昧ですが、当時は否定的なニュアンスで使われていました。
没個性的なのが良い・悪いとか、個性的なのが良い・悪いとか、そういうことではないんです。その時代、その時代の国の置かれた状況というのがあり、それによって必要とされる時代が違ったというだけの話です。
日本の高度経済成長を支えたのは、みんなと一緒に歩調を合わせて勤勉に働く人たちでした。
急に「個性的であること」が求められるように
時代は流れ、「個性的であること」も求められるようになりました。独自の視点からイノベーションにつながる仕事が出来る、そんな人材も必要とされるようになりました。
「みんなと一緒」を選んでおけば間違いない、そんな時代の終焉です。
昭和の価値観って根強くて、平成を経て令和に突入してコロナまでやってきても、頑なにそれをキープしようとしている人たちが大勢います。でも、いくら「みんなと一緒」を選ぼうとしても、「みんな」という集団の輪郭さえぼやけてきました。
自分で感じて自分で考えることの大切さ
みんなと一緒は嫌だから、みんなが選ばないものを選ぶ──個性的なようですが、違いますよね。本当はAが欲しいのに、みんながAを選ぶというだけでBを選ぶ。逆もまた然り。完全に選択肢を他者に握られています。個性以前の問題です。
結果がみんなと一緒になっても違っても、大切なのは、自分の身体で感じ、自分の頭で考え、自分で決めることではないでしょうか。
自分らしく生きるということは、自分らしい選択の積み重ね。自分らしい選択をするには、自分で感じ・考え・決めるという3つのステップが必要です。
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