ボーダレスに生きるための場づくり
ワークライフバランスという概念がある。「仕事と家庭の両立をしましょう」という考え方で、職場と家庭を往復するような生活をする人が想定されている。それが「スタンダードなライフスタイル」という設定だ。しかし、だれもが職場と家庭を往復して生きているわけではない。僕自身もそうだ。
僕は、一般的な「職場」や「家庭」という概念のなかで暮らしていない。理解はしているし、それを大切に思う人々を尊重するが、僕自身は違う。
ワークライフバランスが推進され、幸せを感じる人もいるだろう。それはそれで構わない。大切なのは、それが「全員ではない」ということだ。
いつまで古びたスタンダードにしがみつくのか
世の中に既に存在する「場」の殆どは、スタンダード(=普通)を想定してつくられている。例えば「家庭」という場は婚姻関係の男女と血縁の子どもを基本型としてとらえられているが、結婚しない人や子どもを産まない人が増えたいま、旧来の概念はほころび始めている。
安定した社会の下では、スタンダードは力を持つ。
しかし、いまは変化の時代だ。
変化の時代が来ると、スタンダードは力を弱めていく。スタンダードによって幸せになれる人が減るのだ。しかし、幸せになれないからといって、人々がすぐにスタンダードを放棄するかというと、そうではない。他の方法を自分で考えた経験がある人は少ないし、考えてみてもどうしていいのかわからないからだ。
結果、多くの人がスタンダードに留まる。しかし、古びたスタンダードにしがみついていても、幸せになどなれない。
スタンダードから外れると行き場がない…
スタンダードから外れて生きようとすると、場がないのだ。
多くのハサミが右利き用で、左利き用のハサミは少ない。多くのハサミはスタンダードな右利き用で、マイノリティである左利きを無視している。ハサミでさえこうなのだから、スタンダードを外れて生きるとなると、いろいろ大変そうだ。
現実問題として、どこへ行けばいいのか分からないし、何をしていいのかも分からない。ゼロベースで考えなくてはならない。行くところとやることを失うと、社会と関係出来なくなってしまう。場がないというのは、切実な問題だ。
一億総マイノリティ社会?
スタンダードが崩壊するということは、極端に言えば、人々が皆マイノリティになるということだ。一億総マイノリティ社会の到来である。
人の内側には、その人らしさ、他人の操作にとって変えることの出来ないアイデンティティがある。スタンダードの力が強い安定した社会では、アイデンティティは摩擦の原因になることが多い。だから、多くの日本人は、自分自身を発揮することを嫌う。スタンダードという狭い枠組みのなかで、ワンポイントの靴下みたいに、収まりよく自分を発揮することを教えられ、そうすると褒められる。どれもこれも安定した社会の遺物だ。
スタンダードな既存の枠組みに留まることがつらい人。それが合わないと感じる人。合わせようと思えば合わせられるし、事実合わせているけれど、それがつまらない人。そういう人は、境界線を越えていくしかない。
越境する場づくり
スタンダードから外れても、場をつくることが出来れば、社会のなかで生きられる。それは社会という枠組みそのものを拡張し、希望を創造する。既存の枠組みを否定する必要はない。ただ、自分が必要だと思う場を、自分で創り出せばいい。
場づくりは、破壊ではなく創造だ。
「スタンダードな日本人」は、消費することに慣れきっている。だれかが作ったものをお金を出して買うことに慣れきってしまい、「自分で作る」ということを思いつかなくなってしまっている。
場は、自分で作ることが出来る。
仲間と共に、自治的に生み出すことが出来る。
家庭を越境する、職業や職場を越境する、地域を越境する、既存の枠組みを越境する──ボーダレスであるということは、橋をかけるということだ。既存の枠組みを批判しなくていい。既存の枠組みを大切に思っている人もいるのだ。
自分は変わっているとか、周囲に合わせるのがつらいとか、友達がいないとか、そんなことを言っていても仕方がない。
必要な場は、自分たちでつくろう。
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