結婚は2人の物語ではなく社会的なアクション
結婚を「個人的なアクション」だと勘違いしている人が多いけど、実際は「社会的なアクション」です。「2人の物語」みたいにロマンチックに捉えると、結婚すれば関係性もよりよく変化すると期待しても、現実は変わりません。
結婚とは「家族制度」の一部
結婚をロマンチックにとらえる人が多いけど(もちろんその気持ちは分かるけど)、もうちょっと落ち着いて捉えておかないと、「こんなはずじゃなかった!」となりがちです。
結婚は、日本の家族制度や戸籍制度と紐付いています。もともとは徴税との関係で家や家長を定めたという説もあり、「2人の気持ちがロマンチックに盛り上がったから」みたいな話とは、だいぶかけ離れた経緯があります。
古風な結婚式で「◯◯家 ◯◯家」と、個人名ではなく名字が記載されるのも、その現れです。
内的プロセスと社会的プロセスは連動しない
僕が代表をしているれんげ舎という団体は、いまではNPO法人になっていますが、かつては任意団体でした。法人格を取得すると、メンバーも事業内容も熱意も何もかも同じなのに、契約の主体になれるなどのメリットがあります。
たまに法人格取っただけで何かを成し遂げたと勘違いしている団体があるのだけど、それって勘違いです。中身が大事ですからね。それで、特殊な例え話だとは思うのだけど、結婚ってそういう感じのものなのです。
つまり、before/afterで、2人の関係性は変わりません。既に同居していたら、住む場所も同じ。中身の変化はないのです。安室ちゃんには悪いけれど、永遠なんていう言葉を知らないのは、結婚前も後も同じなのです。
変わるのは、2人の関係性ではなく、対外的な部分だけです。
大切なのは体裁ではなく中身ですよね?
大切なのは体裁ではなく、中身ですよね。
これって、別に結婚に限ったことではなく、色々なことにも当てはまります。
体裁を整えることで、中身が変わるのを期待するのは、あまりに非論理的です。多少の影響はあっても、本質が変わるはずがないのです。
「結婚」という社会的なアクションを実行することで、人の心の内側や関係性がよりよく変化することはありません。よりよく変化したのなら、それは結婚したからではなく、お互いの気持ちを率直に話し合ったり、理解し合うために行動したりしたからで、結婚したからではありません。
ゼクシィ的なロマンチックな演出が施されるのは、そこにマーケットがあるから。その価値をバブル的に高く見せ、「一生のことだから」みたいな思考停止に追い込みまとまった額を支払わせることで、富める人をさらに富めるところにおしあげていく──客観的にならないと、踊らされちゃいます。
そんなことより、相手の目を見てまっすぐに話すとか、本心を丁寧に伝えるとか、そういうことをしませんか。人間関係では、それが一番大事です。