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身体はいつも自分らしくあろうとしている

多くの人は自分の身体を自分でコントロールしていると考えていますが、実際は違います。身体は、勝手に色々なことをやってのけています。なぜそうするのか知っていますか?

頭が制御しているのは身体の一側面だけ

もちろん、頭で身体をコントロールするというのは当たり前に行われています。そうじゃないと、文字通り身動き出来ません。でも、そうやって意識的に制御していないときにも、身体は動き続けています。

例えば、内蔵は24時間動き続けていますよね。眠っていても動いていますし、動いていてもらわないと困ります。こちらはほぼ制御不能で、「ちょっと止める」ということさえ出来ません。呼吸は意識で止められますが、その間も心臓は動き続けています。

内臓だけじゃありませんよ。「ソーサーの上に乗ったコーヒーカップをそっとテーブルに置く」みたいな場面を思い浮かべてください。「ソーサーを持ってそっと置こう」と考えてはいますが、どの指でソーサーのどの部分をどういう角度で…とかまで考えていませんよね。細かな部分は身体が勝手に動いてくれています。

頭で制御するとかえっておかしくなる問題

新人のカフェ店員が、ソーサーをテーブルに置くときにガチャンと音が鳴ってしまったり、逆にそ〜〜〜っと置こうとしてプルプル手が震えてしまったりといった、そういう場面があります。

その店員も、普段自分のために入れたコーヒーなら、下手すればノールックですっとテーブルに置いたり、携帯をいじりながら熱いコーヒーを飲んだり、そういうことが出来ているはず。それが、なぜお店では出来なくなってしまうのでしょうか?

それは、「静かに置こう」と考えて緊張し、任せればいい部分まで身体を制御しようとするからです。身体にお任せしておけばいい部分まで、でしゃばった結果、失敗してしまうのです。

身体がいかに「頼れる奴」か

内臓や日常の身振りだけでなく、身体は勝手に様々なことをしています。「目が行く」「足が向く」「腹が立つ」など、身体の部位を主語にした表現は、身体が勝手に動くことを物語っています。

僕は若い頃、即興劇のレッスンをたくさんしました。「劇」はふつう、台本があって他人を演じますよね。純粋な即興劇になると、台本がないだけでなく、前もって動きを一切決めません。その時に感じたこと、その時のフィーリングだけで動いていきます。

このとき立ち現れてくる身体は、普段は抑圧されがちな「もう一人の自分」のようなものです。頭で制御して不自由になっている身体を、解放する力が即興劇にはあります。

即興劇のような特殊な空間でなくても、日常生活の中で「自分の身体がしたがっていること」をキャッチするのは、とても大切です。心身の健康というレベルを越えて、身体は常に自分らしくあろうとしています。自分らしく生きていこうと考える人にとって、身体ほど頼れる相棒はいません。


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