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感謝の仕方、間違えてませんか?

感謝してます、きょうも感謝、感謝しかない──ネットに溢れる感謝の言葉。感謝するって良いことだと言われるけど、無批判に感謝ばかりしていて本当に大丈夫でしょうか?

感謝が尊いとされる理由

以前、小林正観さんが、半量の水が入ったコップを例にして、

1.半分しかない
2.半分もある
3.誰かが半分残しておいてくれた

という3つの受け止め方を例に、感謝について分かりやすく解説した話を聞いたことがあります。

1はネガティブ、2はポジティブ、それでは3は…?

「感謝」です。感謝の念は、考え方によってもたらされるのだということが分かります。1と3を比べたら、その先の展開を想像したら、感謝の心が尊いのは言うまでもありません。

「足を知る」は結論だけ使っちゃダメ

京都の石庭で有名な龍安寺に、知足のつくばいというのがあります。つくばいは手水鉢を元にデザインされた、石で出来た庭の置物です。水戸黄門が寄進したと言われていて、本物は龍安寺の茶室にあるとかないとか。

ここに、「吾唯足知(我ただ足るを知る)」と刻まれていて、欲を出して不満ばかり述べるのではなく、「必要なものは既にすべて揃っている」という意味合いです。自己啓発っぽい話が好きな人には有名な話ですよね。

でも、「足を知る」というのは、気付きです。肥大する自我との対峙があり、葛藤があり、その末に訪れた気付き。ですから、結論部分の「いまあるもので十分なんだよね!」だけを頭に取り込んでも、肝心な部分が抜け落ちてしまいます。

感謝して何も考えなくなる前に

「いまあるもので十分なんだ!」

それは感覚ではなく考えです。そう考えるだけで、いまあるもので十分だと感謝の念と共に生きられるでしょうか。人は生きていれば、様々な感情を体験します。

喜怒哀楽、感情はただそこにあるもので、優劣はありません。どう付き合うのか、どう表現するのか、取り扱い方には注意が必要でも、良い感情とか悪い感情というのはありません。

コロナ禍になって、日本政府が様々な対応をしました。感謝している人もいれば、怒っている人もいます。様々な感情を体験したはずです。

そうした感情と向き合い、葛藤し、考え、人と話し合い、また考える。感謝は大事だけれど、考えることをやめてはいけないと思うんです。感謝を思考停止装置にしてしまっては、もうそれは感謝ではありません。

自分で感じ、自分で考えて、自分なりの答えを出す。無批判に何にでも感謝するより、いまずっと必要なことです。

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