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親の期待に応えるデメリットとは?

日本社会には、「親の期待に応えるのは良いこと」だとか、「親孝行だ」という考え方があります。でも、そのおかげで本当は嫌なんだけど期待に応えなきゃと考えている人も多いはず。そもそも、親の期待に応えるのって、そんなに良いことなのでしょうか?

期待の本質は欲

そもそも「期待」とは何でしょうか?

よ〜く観察すれば分かることですが、まず自分の中に満たされたい欲や願いがあり、それを自分ではなく相手が行動することを通して満たしたいということですよね。

人は一人ひとり違いますし、残りの人生の時間の量も不明です。限りある人生をどのように生きるのかは、一人ひとりが自分で決められる──はずなのですが、期待が関与し始めるとそれが難しくなる場合があります。

期待に応えないパターン

親からの期待だと感情的に揺さぶられがちですが、期待が「される側」ではなく「する側」に属しているという事実は変わりません。感情的に揺さぶられる相手からの期待なら、なおさら慎重に取り扱う必要があります。

親の期待に応えないと、親が可哀想だと考えている人は大勢います。また、こう考える人ほど、そうした期待に縛られがちです。

もちろん、期待が外れれば残念かもしれません。一時、気落ちすることもあるでしょう。でも、人にはそこから回復して自分の人生を生きる力があります。あまり親を見くびらず、自分の人生を生きることも必要なのではないでしょうか。

我慢は世代を越えて連鎖する

期待に応えることのデメリットは、「やりたいことを親のために我慢する」ことになります。立派だみたいに言う人もいますが、ひとつの選択に過ぎません。

問題は、「親のためにやりたいことを我慢した人」が親になった時です。

今度は自分の子どもに対しても、同じように、自分の期待に応えるよう要求するようになるのではないでしょうか?

そんなわけない!と思う人もいるでしょう。確かに、違うかもしれません。でも、子どもに自由を与えたいと願う自分が、なぜ自分の場合は親の期待を優先するのかを、よく考えてみる必要がありそうです。

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