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「感動」ってそんなに価値あるもの?

あなたは最近、何かに感動しましたか?
感動する出来事に出会えるのは、人生の喜びですよね。ただ、その素晴らしい感覚故だと思うのですが、「感動」ってちょっと価値が過大評価され過ぎてしまっている部分もあるなと思います。

感動すると何かが変わった感じがする

例えばすごく示唆に富んだ映画を観て、驚きや共感や感動を覚えたとします。もちろん、それは素晴らしい体験です。その映画を観て、人生が変わった! みたいなことだって、あるかもしれません。

僕の場合は、あるワークショップに出て、同じような体験をしたことがあります。文字通り、それは僕の人生を変える体験でした──と書きたいところなのですが、現実は違いました。

まず、その感動や、人生を変えるぞという決意が、時間経過と共にどんどん薄っぺらなものに変化していきました。感動を反芻しているだけだと、以前の日常に、以前の自分に、どんどん押し流されて戻っていくのです。

変化は実際の行動によって導かれる

その場で感動をした鮮烈さが薄れていくなかで、僕は色々ともがきました。以前の状態に戻りたくなかったからです。

変化を勝ち取るプロセスは簡単ではありませんでしたが、以前のリアリティを新しいリアリティが侵食するようにして、時間をかけて変化をつくり出しました。それは、いままでとは違う決断、いままでとは違う行動、それを支える意志と勇気によるものでした。

感動させられる、は危ないことも

噺家の立川志の輔さんが、落語のまくらで人情話について話していたのが思い出されます。みんなを一斉に笑わせるのは(笑いのツボがみんな違うから)難しいけれど、みんなを一斉に泣かせるのはそれに比べると簡単──という趣旨の話でした。

映画なんかを観ていると、ここで感動させたいという作り手の作為が透けて見えることがあります。本当に優れた作品は違うと思うのですが、そういう「はい、ここで感動!」みたいなのってありますよね。

短い30秒くらいのテレビCMでも泣けたりして、人が感動して涙する鉄板の構造って、あるんだなと思います。そういう意味では、こちらは「感動した!」と思っていても、実際は周到に感動させられているのかもしれません。

感動は素晴らしい。でも、それを現実の変化とそのまま結びつけてしまうのは、ちょっと違うなと思います。

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