見出し画像

運命とか立命とか宿命とか①

高校1年生
私は、よく洋楽のビルボードチャートを見ていました。MVが好きでした。マイケルジャクソンや、ビョーク、ジャミロクワイの映像に目を輝かせていました。特に好きだったのがケミカル・ブラザーズ。Let Forever Be や Star Guitarを見た時、感動しました!何だかワクワクした気持ちになったのを覚えています。
と、同時にこんな映像を作る仕事がしたいと思うようになり、美大受験を目指し、毎日デッサンの練習をしに予備校に通ってました。

高校3年生
地方の美大受験生には衝撃的な事実を突きつけられます。夏期講習で東京の予備校に行くと、レベルの違いに圧倒されました(゚o゚;;でもこんなに大勢の美大志望の人がいるんだと思うと、少し嬉しい気持ちにもなりました。
ある日、TVでスターウォーズのメイキング映像を見ました。ILM社というところでCGやミニチュア制作をしている様子が映し出され、私はますます映像の世界に憧れを強く持ちました。
その後、美大受験するも実力が届かず、浪人生活をすることになります。

大学2年生
浪人生活はひたすら勉強しました。東京の美術学院に通い、デッサンや色彩構成など必死に学び、なんとか1浪で美大に合格することができました。
大学では、2年生までは基礎を学びます。さまざまな画家の描き方を学び、ガラス、木工、石工などいろんな素材に触れ、美術を楽しんでいました。

大学3年生
そろそろ就職活動が頭をよぎります。就活のための作品を用意していったり、希望する企業の情報を調べます。その最中、母が脳腫瘍で倒れました。

このあたりから私の描く台本は少しずつ思い通りにいかなくなっていくのです。

父は仕事一筋でやってきたので、家のことは全くできず、母の介護はもちろんできないと思いました。加えて、祖母も一緒に住んでいて祖母の介護もする必要があったので、必然的に私は地元に帰ることが決まりました。

その頃、大手の広告会社の就職が決まっていた友人がうらやましく、大学からの帰り道、同じ電車に乗ることを拒んでしまう気持ちがある中、その友人から「お父さんの会社に入るんでしょ?大企業と違って、自分の好きなことができるんじゃない?」と言われました。その時は素直に聞き入れることのできなかった言葉でしたが、やがて年を重ねると、この言葉の意味が分かるようになりました。

「運命とか立命とか宿命とか②」に続きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?