ゴジラ-1.0

ゴジラ-1.0を観ました。戦後ボロボロになった日本がさらにゴジラに襲われてズタボロになるという意味でマイナスがタイトルなんだと、観賞後に家族から教わりました。なるほど、なかなかネガティブで身も蓋もないタイトル。実際そうだったしね。

私のゴジラ史は幼少のみぎりより始まり、父の英才教育の賜物で小学2年生にして「モスラの歌」がフルで歌えるほどだった。今も歌えますよ。
毎年正月の時期になると近所の映画館に出かけて行ってゴジラを観る。年中行事に近く、行くのが当然化していたので期待も興奮もない。それどころか、ここだけの話実は少し億劫に感じていた。

ゴジラの映画は観るのが面倒。長い長い大人の会話のパートを経てようやく出てきたゴジラが暴れ回る。それが終わったら何かしらの機転をきかせて追い払うか怪獣同士勝手に相打ちになる。予定調和の中でもゴジラは何故かすごくしんどい。ゴジラはずっと悪役で、正義のヒーローでもないし怪物を倒してスカッとさせる役割も担っておらず、ただただ海から出てきて破壊活動に勤しむのみ。負の感情と景色だけを与えて去っていく。もちろん子供がそこまで分析できているわけはない。

ゴジラの見た目は好きだが顔つきがどうの背びれの形がどうのなんて見てないし、ゴジラ自身に何の感情移入もできず、出てくる俳優にも興味なし。正直微妙〜と思って行っていたわけ。当時はゴジラと戦後日本の密着した関係も知らないから、なんか知らんが毎年やってくる強くて疲れる怪獣。それが私のゴジラ。

その揺るぎない印象の刷り込みは今も続いている。というわけで、観賞する前の私のテンション-1.0。

結果として、生まれて初めて前のめりになって頭から最後まで集中したゴジラでした。
そして過去一怖かった。怖くて怖くて仕方なかった。
長い歴史の中でゴジラは定期的に「怖い存在である」と人々の目を覚まさせる動きがあの手この手で活発化する。ゴジラはそもそも核実験から着想を得て、人間が作り上げた怖いものだからだ。誕生からして-1.0どころか-100くらいのネガティブ。日本が経験する自然災害、蔓延する病気、戦争の爪痕。あらゆるものを具現化させられて生きている。なので感情を失ったクリーチャーであったり、父性があったり、不良番長であったり。恐怖一つ取ってもゴジラは安定しない。逐一リセットされる感じが子供心にしんどかったのかもしれない。

ゴジラの完膚なきまでな破壊力に対する絶望的恐怖はシン・ゴジラで味わった。-1.0は少しニュアンスが違う。完全に使徒化したシンゴは予測不能で恐ろしかったが、マイゴは動きは自然な生き物っぽく、飛行機が気になって追ってくる様子や、鼻面出して海を泳ぎながらキョロキョロする顔はスマトラトラみたいで可愛らしい。愛嬌がないこともない。

カメラワークも絶品で、人間の視点から見た下からのアングルがとても多い。丸裸でゴジラの真下にいるのだ。そういう恐怖。ゴジラの圧倒的な力よりも(が、艦隊の真下で海が青白く光るのを見て何が起こるか察し、十分に絶望した)そこに立たされている臨場感が怖かった。今までで一番ゴジラと人間の距離が近く感じた。だからこそ、特攻する恐怖、ゴジラと相対する恐怖に打ち勝てなかった敷島を情けないと思えなかった。しかし、時代は敷島を許さない。

戦争が終わり、立ち上がりかけた日本は再び踏み潰されて(物理)焼け野原にされた。せっかく生き残ったのに無惨に死んでいく人たちを見るのは怖かった。そうした多角的恐怖を見せられてすっかり怖気付いたところで、戦後を生き抜いた日本人はやはり馬力が違うのである。小さな力を持ち寄って戦おうとするのだ。その背景には死んでいった仲間たちへの後ろめたさ、守れなかった家族に対する悔恨、国のために役立てなかった自分。とこれまたすんげえネガティブ。当時の日本人の心理状態による美しいやり甲斐搾取?と見せかけて、この映画はさらに一歩踏み込むんです。そこが魅力です。

その場のムードで終わらせない。かなり現実的かつ冷静な目で、今度は生き残る国にしていこう。と時代の転換を見せるのだ。当時は臆病者とそしられた敷島の価値観が蔓延するのではなく、時代そのものがごっそりと前進したのが熱かったね。ゴジラを倒さないと前に進めない人達が当時は大勢いた。

合間合間に展開される、信頼しかない役者陣の命の通った一種軽快なやり取りや時代描写の巧みさで、過去一恐ろしいながらにどこか懐かしさや温かみを感じる、とても生命力が強い稀有な作品だった。

この先もゴジラの新作が出るたびに私の心はちょった重くなるのだろうけど、結局観て面白かったと言っていると思う。もう大人なので、ゴジラの観るところがわかってきました。次も楽しみです。

そして、観た人全員がやはり伊福部昭は天才だなあと実感したに一票。

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